59.潜入!島原遊郭(前編)



 さくらの次なる仕事は、島原での潜入調査だった。郭に出入りしているかもしれない過激尊攘派の尻尾をつかむこと。ここには藩を問わず男たちが集まる。酒を飲んで気が緩んでいる者も多いだろうから、情報を得るにはうってつけの場所であった。ただ、入京を禁じられている長州藩の人間が堂々と遊廓で遊んでいるとも考えにくいので、手がかりをつかめれば御の字。


「ほんまに、番頭さんでええのん?」髪結いのタミがもったいない、と言わんばかりに声をかけた。番頭さん、すなわち番頭新造というのは主に食事の用意をはじめとした雑用を行う立場の者で、年季が明けた遊女や少々落ちこぼれ気味の遊女が務めるものだが、まれに外部から女中の延長のような形で雇われる者もあった。さくらは、その立ち位置を装っていくつもりだった。

「当たり前です。私、三十一ですよ。吉原ならとっくに年季明け。本当の遊女に紛れたら明らかにおかしいですって。それに遊女の方になってしまうと客と話したりする機会も増えてボロが出やすいんです。裏方稼業でじゅうぶん」

「そういうたらそうやけど。せやけどあの綺麗なおべべは一度着てみとおすなあ。うーん。うちも二十……いや、十五若ければ。さくらちゃんも、そう思わへん?」

「うーん……まあ……」

 それは、思わないでもなかったが。タミの言う通り十五年ほど遅い。

 どちらにせよそんなことを言っている場合ではない。飽くまで諸士調役の任務として赴くのだ。目立たず、黒子に徹しなければ。

「さくらちゃんは、稽古して動き回っとるからやろか、歳より若う見えるで。二十五でも通じるわ」

「そ、そうですかね……」

 他愛もない話をしている間にも、さくらの髪は女子仕様に結上がっていく。前より伸びた髪は結いやすくなったようで、タミの手つきも慣れたものになってきた。

 完成した自分の姿を見て、さくらは微笑んだ。

 男所帯の中で気を張って生活しているさくらにとって、女子姿で自在に動ける諸士調役・監察の任務はつかの間の息抜きのような役割も果たしていた。

 ――こればかりは、少しは歳三に感謝せねばな。

 それでも、鏡に映る自分は江戸の道場の師範代ではない。新選組の、一員なのだ。

 よし、とさくらは小さく呟き気合いを入れた。


 さくらが潜入するのは、新選組が贔屓にしている木津屋という置屋だった。島原の中でも大きな方で、普通置屋といえば遊女を揚屋に派遣するだけだが、ここでは揚屋の要素も兼ね備えていた。さくらが「番頭さん」として情報収集するには都合のよい店なのである。

 小部屋に通されると、女将が現れてさくらの目の前に腰を下ろした。

「まあまあ、島崎先生。すっかり見違えて」

 女将と顔なじみのさくらは、気恥ずかしくて「ははっ……」と笑うと、その顔を隠すようにお辞儀をした。

「暫くお世話になります。よろしくお願いいたします」

「ここのおなご達の中には島崎先生のこと知ってはるもんもおるけど、今回のお仕事のことはわざわざは言わん。その恰好なら、パッと見てくれでは気づかへんやろ。先生には給仕や雑用をやってもらうよし、お気張りやす」

「はい、心得ました」

「そうは言うてもな、一人くらいは事情を知っとるもんがおった方がやりやすいやろ思うてな。明里いう天神がおるんやけど、普段はその子の付き人のような立ち位置で働いてもらういうことでええやろか」

「ええ、構いません」

 さくらは、記憶の中で必死に「明里」という遊女の名前を思い出そうとしたが、思い出せない。ということは、左之助や新八の馴染みではないらしい。それならそれで都合はいい。新選組と馴染みの薄い遊女の方が、敵方と接触する確率も高い。

「ほな。明里、入りよし」

 女将が部屋の外に声をかけると、襖が開いた。その艶やかな姿に、さくらは思わず「ほう」とオヤジくさい溜息を漏らしてしまった。天神というのは太夫よりは格下の遊女らしいが、明里は太夫にも引けを取らない品のよさが滲む女だった。歳は二十二、三といったところだろうか。

 ――うちのやつらが放っておくはずのない器量だが……むしろ高嶺の花で手が出せぬといったところか。

「初めまして。明里いいます。どうぞよろしゅう」

「島崎朔太郎と申します。ここでは、初という名前で通すつもりですのでよろしくお願いします」

 さくらは自己紹介し、明里に頭を下げた。

「新選組の皆さん、この前もお相手しましたえ。いつもご贔屓にありがとうございます」明里は鈴の鳴るような声で言った。

「そうでしたか。こちらこそ、いつもうちの荒くれものたちがお世話になっています」

「構しまへん。それがわてらの仕事やさかい。うちは、新選組さんでも長州さんでも、分け隔てなくおもてなしするのが信条。せやから、一つだけ覚えておいてほしいことがありますのや」

「はあ、なんでしょう」

「あんさん方が『敵』みなしてるお方を見つけても斬ったりするのはご法度。遊郭さとを血で穢すことは島原の女一同許しまへんえ」

 台詞の内容にそぐわない笑顔を浮かべる明里に、さくらは少し面食らった。

「そ、それはもちろんです」

「おおきに。話が早ようおすな。……もう、そないに怖い顔せんでええし。これからうちらはお仕事仲間。よろしゅうお頼申します」


 ***


 一通り建物の中を案内された後、さくらは一度タミのところに戻るべく、店を後にした。今後しばらくは、タミの店から木津屋に通うことになる。

 すっかり日が暮れていた。だが、島原の区域内は道々に明かりが灯されていたし、それぞれの店が提灯を軒先に掲げているので、比較的明るい。加えて、桜が満開を迎える時期だ。鮮やかな桃色が光を反射し、幻想的な雰囲気を醸し出していた。そんな季節限定の風情を味わおうとしているのか、老若男女問わずたくさんの人々が賑やかに往来していた。

 さくらは人波に逆らうように島原の外に出ようと大門の方に向かっていた。だが、少し遠くの方に見知った顔を見つけ、足を止めた。

「山南さん……?」

 確かに山南だった。一人だ。さくらには気づかない様子ですぐに人混みの中に消えてしまい、さくらはその姿を見失った。

 ――こんなところで何をしているのだろう。待ち合わせか何かだろうか?


 屯所からしばらく離れることになるさくらの耳には幸か不幸か入らなかった話がある。

 女遊びにさほど積極的ではなかったあの山南に、馴染みの女ができたらしい――

 屯所では、そんな噂が飛び交っていた。


 ***


 勇は、江戸から届いた手紙を見てため息をついていた。

 送り主は母・キチであった。こちらの息災を気にしているという内容であったが、もう一つ、周斎が病がちで、すっかり元気がない、ということが書いてあった。

 無理もない。

 もともと自分たちは、将軍が江戸に戻る時に一緒に戻る予定だったのだ。それなのに、こちらに来て一年も経って、一度も誰も帰郷していない。

 やんわりとした筆致で書かれてはいたが、手紙からは「いつ帰ってくるんだ」「取り残されたツネとたまが不憫だ」「万が一のことがあったら近藤家はどうなるんだ」というキチの鬼気迫る様子がにじみ出ていた。

 近藤家のこれから――

 この件については、確かに勇も耳が痛かった。何しろ、江戸に残して来たのはまだ幼い一人娘で、さくらのように女だてらに跡を継がせるかどうかもまだわからない。

 勇としても、最近思うことがあった。

 ――おれは、いつ死ぬかわからん。

 実戦重視の天然理心流を稽古してきたが、実際に真剣をもって戦うようになったのはこちらに来てからである。「明日、斬られて死ぬかもしれない」そんな緊張感は、江戸ではないに等しかった。

 跡継ぎが、要るのではないか。すぐにでも近藤の家を継いでくれる誰かが。

 真っ先に思い浮かんだのは、総司の顔だった。

「引き受けてくれるかなあ」

 ぼんやりと呟いたその時、襖の向こうから「近藤先生」と呼ぶ声がした。

「なんだい。開けていいぞ」

 カラリと襖が開くと、一人の若者が現れた。三兄弟で入隊してきた谷家の三男・千三郎だった。

「失礼致します。近藤先生。稽古の時間でございます。皆すでに集まって、先生をお待ち申しております」

「ああ、もうそんな時間か。すぐ行こう」

 勇は慌ただしく手紙をしまい込むと、部屋を出た。

「しかし何だな。こうして一対一の時はいいが、稽古の時に三人揃うとなると、『谷君』では誰を呼んでいるのかわからなくなってしまうよな」

「皆、長兄の三十郎のことは谷さんと呼んでいますが、次兄の万太郎は『谷君』もしくは下の名前で呼んでいます。そして私のことは千三郎と呼ぶ人がほとんどです」

 昔からそうなんです、と谷千三郎は笑った。

「そうか。では、おれも千三郎と呼ぼうかな」

「近藤先生にそう言われると、なんだか恐縮してしまいます」

「恐縮する必要などない。我々は皆同志。便宜上、おれが局長なんて肩書で務めてはいるが、本来そこに上下関係などないのだ。それが新選組だ」

「はいっ!」

 嬉しそうな笑みを浮かべ、千三郎は意気揚々と道場に入っていった。


 ***

「では、谷千三郎君、葛山君」

 勇が呼び掛けると、千三郎と、新入りの葛山武八郎かつらやまぶはちろうが道場の中央に出てきて対峙した。素振り百本やった後の稽古試合とあって、皆肩で息をしながら「(休憩したいがため)自分の番がなるべく後になりますように」と願っていたところだ。一番に呼ばれた二人のうち、葛山は顔をしかめていたが、千三郎は生き生きとした表情で木刀を握った。

「始め!」

 勇の太い声が道場に響くと、先手必勝とばかりに千三郎が動いた。ダンッと大きな音を立て道場の床を踏み込み、真正面から狙っていく。さすがに真正面すぎる攻撃だったので葛山も避けたが、その時に足がもつれて体勢を崩した。すかさず千三郎はそこを狙い、面を打った。

 勇は首を横に振った。狙いは良いが、一本と言うには浅い。

 その様子をちらりと見た千三郎は、小さく頷くと体勢を立て直した。再び両者は対峙し、互いの隙を見極めようと動かなかったが、葛山が焦れた。

「ヤアアーーッ!」

 正面から打とうと向かっていった葛山に、千三郎も向かっていった。胴を狙っている。

 二人の攻撃は、同時に相手に当たったかに見えた。

「一本!千三郎!」


 お辞儀をして、防具を外した千三郎の顔は晴れやかだった。対する葛山はぜえ、はあ、と苦悶の表情を浮かべている。

「なかなかよかったぞ。千三郎君。素振りの直後だと疲れて力を発揮できない者も多いが、君はよくやった」勇は素直に誉め言葉を述べた。

「ありがとうございます。私は、素振りの直後の方が、どうやら勢いを失わずにいられるようです」

 勇は「ほう」と口角を上げた。なかなか良い若者が入ってくれたものだ、と頼もしくなった。

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