57.見えない気持ち


 数日後発表された法度の内容には、勇、歳三を除くすべての隊士がどよめいた。

 もちろんそれは、結果的に事後報告をされた試衛館以来の同志の間でも例外ではなく。実際、「近藤先生がいいと言うなら」と反論なく首を縦に振ったのは総司と源三郎だけだった。

 それ以外の面々は、勇の部屋に押しかけ、口々に詰め寄った。「お前も行くぞ」と左之助に連れられた斎藤もその場にいたが、様子を静観するに留まっていた。

「切腹はやりすぎじゃないですか?びびった隊士たちが脱走して切腹して、それを見てさらに脱走して、なんてことになったら悪循環。せっかく集まったのに人数減っちゃいますよ?」平助が言った。

「びびるようならそれまでのやつらってこった。だいたい、脱走して切腹する隊士を目の当たりにしたら、自分は脱走すまいと思うのが普通だろう」歳三が答えた。

「ということは、徹底して脱走隊士を捕まえるということですか。そこに労力を割いている場合なのですか?」と新八。

「必要な労力だ。もちろん、人員を割く。そも、なんだってお前ら隊士らが脱走する前提で話してんだ」

「えー?じゃあ、あんな厳しい法度、みんなが守ると思ってるのかよ」左之助はあぐらを掻いた足元を所在なげに弄っている。

「守らせる。切腹は脅し文句だ。今まで通り普通に隊務に励んでいれば切腹になることはない。それだけのことだ」

 平助、新八、左之助の三人は「そんなもんかなあ」とぶつぶつ言いながらも最終的には諦めたのか、受け入れたのか、歳三の頑とした態度に折れた。しかし、別の意味で怒りを露わにしていたのが、さくらと、山南であった。

「歳三」

 さくらがずい、と前に出た。

「そういう大事な話を、なぜ二人で勝手に決めてしまうのだ。せめて、せめて山南さんをその話し合いの場になぜ入れぬ。お前と同じ副長なのだぞ」

 山南は何も言わなかったが、醸し出す空気からさくらの台詞と同じことを思っているであろうことは、誰の目にも明らかであった。その目は、冷ややかに歳三を見つめている。

「島崎、山南さん、一緒に来てください」

 今まで沈黙を貫いていた勇が立ち上がり、部屋を出ていってしまった。さくらと山南は不思議そうに顔を見合わせたが、ここはついていくしかないだろうと立ち上がって勇についていった。

 その様子を見届け、三人に声が聞こえないだろうと判断した歳三が、おもむろに口を開いた。

「お前ら、気づいてるか」

「何が」左之助がキョトンとして答えた。

「サンナンさんの腕だ。去年やられてから、あれは……たぶん、動かないんだと思う」

「えっ!」

 左之助は周囲をぐるぐると見渡した。驚いているのは自分だけか、とでも言わんばかりである。

「薄々は」新八が言った。そして、ちらりと斎藤を見やった。斎藤が小さく頷いた。二人はすでに知っていたが、そのことはここでは伏せておこうという意味の目配せだった。

 続いて平助が、「僕も、前みたいな剣筋じゃないなぁ、とは」と同意した。

「最近の山南さんは、右側に力が入りすぎている」斎藤が初めて発言した。

「よって、先手を打たせてもらった」

 歳三は、この面々だけには、と真意を語った。山南を隊に繋ぎ止めるため。さくらを、守るため。

「確かに。島崎さんは女だってだけで寝首を掻かれる危険性もありますしね」平助が頷いた。

「そういうわけだ。今まではなんだかんだで芹沢に気に入られてたことが抑止力になっていたが、これからはそうもいかない。わかったら、この話は終いだ」

 歳三がこれ以上の問答は無用とばかりに言ったので、全員おずおずと立ち上がって部屋を出ていった。


 一方で、勇は山南とさくらを別室に呼び、開口一番――

「すまなかった」

 と謝罪していた。

「付き合いの長いさくらや源さん、そして副長の山南さんに相談せず決めてしまったのは、水くさいと言われても仕方がない。だが、決して皆を信用していないとか、そういうわけじゃないんです。いろいろな出自の隊士が増えていくにつれ、こういう掟は絶対必要だろう。芹沢さんの時のように、派閥が生まれてしまって結局一掃しなければならないという状況になってしまうのは本意ではない。誰が、ということではなく、例外なく、おれも、トシも、『士道』に従って新選組を盤石にしたいという気持ちがあったんです」

 さくらは勇にじとっとした視線を向けた。

「それは、相談せずに決めた理由にはなっていない」

 勇は一度真一文字に口を結ぶと再び話し始めた。

「相談をするまでもなく、この法度が必要だと思ったからだ。此度の決定は、トシの発案を、俺が承認したという形を取った。声高には言わないが、経緯を聞かれればそう答える」

「――隊士たちの不満を、土方くんが一人で背負おうというのですか」

 山南がようやく口を開いた。さくらがハッと山南を見た。

「そういうことです。『苦情の受付係は俺一人で十分だ』とそう言ってました」

 山南は笑みを浮かべた。さくらも勇も、その笑顔の真意はわからない。

「何にせよ、水臭いですね、土方くんは」そう言うと、手をつき頭を下げた。

「過分なご配慮痛み入ります。有難うございます」

 山南は、立ち上がると部屋を出ていってしまった。

 残されたさくらと勇の間には、若干の気まずい沈黙が流れた。

「思うところがないではないが――」さくらが苦々し気に喋り始めた。

「山南さんがああ言っている以上、私がとやかくいうのも筋違いというもの。勇――否、近藤局長」

 さくらは真っ直ぐに勇の目を見た。

「この法度は、確かに新選組のためになると、そう考えているのだな?」

「ああ、もちろんだ」

「ならばよい」さくらはさっと立ち上がると、部屋を出た。


「バレてない……かな……」一人になった勇はぽつりと呟いた。

 ――二人とも、なんだかんだ鋭いからなあ。

 そんなことを思い、勇は緊張の糸を解いてふう、と息をついた。


 さくらは、源三郎の部屋にいた。

 畳にごろんと寝転がり、天井を見つめてぼんやりしている。

「来ると思ったよ」源三郎が優しく言った。文机に向かって手紙を書いている。内容は郷里の兄に向けた近況報告だという。

「こんな話聞かせられるの、源兄ぃくらいだからさぁ……」さくらは首の向きだけ変えて源三郎を見た。

「なんだか、あの二人、まだ何か腹に抱えているものがある気がするのだ」

「近藤先生と、トシさんのことか」

 うん、とさくらは頷いた。

「なあ、なんだか、勇も歳三も、変わってしまったような気がしないか?」

 源三郎は手を止め、さくらに向き直った。

「法度なら、前からあっただろう。それに切腹、という罰則がついただけのこと」

「源兄ぃ、意外と淡々としているのだな……」

「私はね、千人同心の家に生まれたといっても、三男坊だろう。新選組はそんな私でも身を立てられる場なんだ。こう見えてな、新選組の発展こそ悲願。それでもって、局長という重圧を背負っている近藤先生を陰ながら支えるのが使命だと思ってるんだ。もちろん、表から支えているのはトシさんだが。さくらもどちらかといえば、表か」

 源三郎は満足そうな笑みを浮かべた。さくらはそんなもんかなぁ、とつぶやいた。

「大丈夫。あの二人はなんにも変わっちゃいないよ。少なくとも、さくらのことをないがしろになんかしてない。むしろ、江戸にいた頃よりも、お前の存在を大切に思ってるはずだ」

 そんな風に真っ向から言われると、さくらはなんだか照れ臭かった。同時に、少しだけ心のもやが晴れていくような心地がした。

「山南さんは?」

「山南さん?そりゃあ、山南さんもお前のことは一目置いてると思うが。それにしても急に大胆な……」

「なっ、そういうことではない。勇と歳三が、山南さんをどう思ってるか、の話だ。……って、源兄ぃ、まさか」

 さくらはぐっと口をつぐんだ。墓穴を掘ってしまった。顔を赤らめ、源三郎から視線を逸らす。見なくても、源三郎がニヤニヤとした顔でさくらを見ているのは手に取るようにわかった。

「この私が気づかないとでも思ったか。お前のことはこーんな小さい頃から知ってるんだからな」

 さくらの視界の端で、源三郎が手を畳に近づけ、「こーんな小さい」を表現しているのが見えた。

「た、他言無用だからな……」さくらは負け惜しみのように言った。

「それは構わないが……このままで、いいのか?」

「このまま、とは」

「いや、ほら、さくらは曲がりなりにも女なわけだし。で、行き遅れ中の行き遅れ。行き遅れ組の局長みたいなもんだろ。兄貴分の私としては、山南さんに嫁ぐなら申し分なくめでたいなあ、なんて」

「行き遅れを連呼するな。私は生涯どこにも嫁がぬ!」

「山南さんも、お前のことを憎からず思っていたらどうする」

「そ、そんなこと、万に一つもあり得ぬ。よしんばそうだとしても、今まで通り、新選組の同志として共に働くのみ。それ以上でも以下でもない」

 源三郎はカラカラと笑った。

「悪い悪い。少しからかってしまった。いや、うん、やっぱりそれでこそさくらだな」

「人をからかうなっ」

 さくらは堪らず立ち上がり、「本当に他言無用だからな!以上!」と言って部屋を出た。が、

「源兄ぃ、ありがと」襖から顔を覗かせ、なんだかんだで話を聞いてもらった礼は忘れないさくらなのであった。

「ははっ。まあなんかあったらまた来い」


 さくらはこういう、うじうじと悪い方に物事を考えてしまいがちな時には素振りで邪念を払うに限る、と道場に向かった。

 今の時間なら、誰もいないはずである。

 しかし、道場には、先客がいるようだった。

「山南さん……?」

 山南は素振りに集中しているようで、さくらには気づいていない。さくらも、声をかけたら悪いと思い、キリのいいところまで様子を見守ることにした。

 素振りの様子をまじまじと見ていると、さくらはある違和感を覚えた。やけに、木刀が左に傾いている。右腕に力が入りすぎている証拠だ。否、左腕の力が、入っていない。両手で木刀を持ってはいるが、左手はただ添えられているだけのようである。

 さくらは、嫌な予感がした。まさか。

 すると、鈍い音が道場に響き渡った。山南が、木刀を取り落とした。山南は、右手で左腕を抑えるような仕草を見せると、落ちた木刀を拾い上げた。そこで、さくらに気づいたようで振り返った。

「ああ、島崎さんも素振りですか。考え事をしていて煮詰まった時は、やはり体を動かすに限りますよね」

 すると、山南は拾い上げた木刀をそのまま壁にかけて、道場を去ろうとしてしまった。始めてからまだそんなに時間は経っていないはずだ。たったこれだけで稽古を終えてしまうなんて、真面目な山南らしくもない。

「あの、山南さん……」

「はい」

「腕、左腕、大丈夫なんですか?」

「もちろん、大丈夫ですよ」

「嘘」さくらは、即座に否定した。

「嘘など……」

「それなら、私と勝負してください」

 山南は、一瞬ためらった。だが、「いいでしょう」と笑った。

 勝負と言っても、審判もいないので防具はつけずに立ち会う。打ち込む時は、寸止め。先に打ち込んだ方が勝ち。

 さくらは、やや下段に構えた。対する山南は、中段。やはり、左――さくらから見て右――に剣先が傾いている。つまり、さくらから見て左ががら空きである。

 定石通り、そこを狙った。さくらが振り上げた木刀を、山南は素早く払ったが、左側を守り切れなかった。そのまま、山南の腰のあたりにさくらの木刀が触れた。

「参りました」山南は素直に負けを認めた。

「やっぱり……腕が……山南さん、どうして……」

「関係ありません。さくらさんが腕を上げただけのこと」

「違う。山南さんは、こんなにあっさり私に勝ち星をくれたことなんてなかったじゃないですか。いつだって、私より強くて、それで……」

 山南は力なく笑った。

「すみません。あまり、嘘をつき続けるのもよくないですね。おっしゃる通りです。左腕が、使い物になりません。生活するうえで物を持ったり運んだりする分には支障ありませんが、いざ剣術となると、まったく力が入らない」

 さくらは、自分の体がわなわなと震えるのがわかった。

 あの時だ。あの騒動で腕を斬られてしまったことが引き金になったのだ。

 ――目の前で、また大切な人を守れなかった。何をやっているのだ。何のために、私は修行をしてきたというのだ。

「わ……」

「私のせいだ、なんて言わないでくださいね」

 言おうとしたことを言い当てられて、さくらは山南の目を見ることができなかった。代わりに、見た目には何も異変のない彼の左腕に視線をやった。

「いつか話してくれましたね。母御を目の前で斬られてしまったのをきっかけに剣術を始めたのだと」山南はさくらの心を見透かしたように言った。

「だから、あなたには知られたくなかった。知れば、自分を責めるでしょう。ですがもちろん、あなたのせいじゃない。私の未熟が招いたこと」

「や、山南さんは未熟なんかじゃありません!やはりあの時――」

 山南は、わずかに口角を上げた。

「ありがとうございます。やはり、あなたに話すべきではありませんでした。……近藤局長と土方副長には、黙っていてください」

「でも、そういうわけにもいきません……!いろいろ隊務で難儀することもあるでしょうし……」

 さくらは、それ以上言葉を続けられなかった。淡々とした、感情の読み取れない山南の顔を見たら、何も言えなくなった。山南は無言で木刀を片付けると、道場を出た。入り口側に立っていたさくらの横を通る時、山南が小さな声で、だが確かにこう言ったのがわかった。

「私も甘くみられたものだ」

 残されたさくらは、自分でもどう説明すればいいのかわからないもやもやとした気持ちに包まれながら、立ち尽くしていた。

 山南の気持ちを害してしまった。ただそれだけは、痛いほどわかった。

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