52.恩返し(後編)
八木邸の門前の茂みに身を潜め、五人は作戦を確認した。歳三が八木邸での飲み直しに付き合う体で、一人一人の居場所を確認していたらしい。
「いいか。手前の部屋に芹沢と平山がそれぞれ女と寝ている。奥側に平間。左之助、平間は外から突ける位置にいるから、そっちを頼む。残る四人で、芹沢たちの方に行くぞ」
「承知」
歳三の計画に、四人は頷いた。
「女はどうする」さくらが尋ねた。
「顔を知られている。悪いが一緒に斬るしかねえだろうな」歳三が言った。
「しかし……」
と、難色を示したのはさくらだけではなかった。山南も同時に険しい顔で「しかし」と言っていた。
「ここでうだうだ話し合ってる時間はねえ。行くぞ」
先ほどから、歳三は事を急いでいる。
何故、とさくらは歳三の表情をまじまじと見た。
強気を装ってはいるが、武者震いとでも言おうか、緊張の色が見てとれた。
この計画を、早く終わらせてしまいたい。そんなことを考えているのだろう。
五人は雨の音に紛れて、狙った部屋の前に立った。
左之助だけ、「あっちは任せろ」と去っていった。
総司が、障子を開けた。雨脚が強まったせいもあり、草鞋の裏にはたっぷりと泥がついていたが、構わず上がった。
すぐ目の前に、平山と、女――吉栄の方に違いない――が寝ていた。
「サンナンさん、さくら、ここを頼む。総司。奥行くぞ」
歳三の指示に、三人は静かに頷き従った。
さくらと山南は、平山の足元から近づいた。
「な、なんどす?」
吉栄が起きていた。平山は深酒していたせいで物音程度では起きないが、吉栄の方はただ酒を飲ませていただけだから、ほとんど酔ってはいない。
さくら達は、名乗らなかった。
「五郎はん、起きて!なんや変な人らあが!」
平山にしがみつき、揺すり起こそうとする吉栄を、さくらが引き離した。
「な、何するん!」
「黙っていろ」さくらは鋭く睨んだ。
その間に、山南が布団の上から平山の腹のあたりに思い切り刀を突きたてた。
「いや、嫌ああ!」
即死とは至らなかった。さすがの平山も目を覚まし、腹の痛みと今置かれている状況に理解が追いつかない様子で呻き声を上げた。
枕元に置いてある刀を取ろうと、体の向きを変えて這いつくばるようにして手を伸ばした。だが、刀を掴む前に、山南の二撃目が入った。
あっという間に、平山は絶命した。
「いやや、いやや、五郎はん……!!」
泣き叫ぶ吉栄の前に、山南が跪いた。
「あなたは逃げなさい。但し、今日見たことは生涯他言せぬよう」
「……他言したらどないなりますのや」
「あんたを斬る。女だからって容赦はしない」さくらが続けた。
「行け」
さくらは吉栄を離してやった。山南は「これでいい」とばかりにさくらに頷いて見せた。
「私は原田くんの様子を見てきます。さくらさんは、あっちへ」山南は平山の横に立ててあった衝立の向こうを指さした。そこに、芹沢がいる。
「わかりました」
さくらは頷くと、立ち上がって衝立の向こうへと駆けた。
たった三歩程度の距離だ。だが、ひどく遠い距離に思え、額からは嫌な汗が染みる。
半年前、「これから暗殺するぞ」と思いながら殿内義雄の姿を追った時を思い出した。が、あの時よりも、心臓は速く鼓動し、思わず手が震える。
「よう」
芹沢は、あぐらを掻いて座っていた。さすがに衝立一枚の向こうであれだけの物音や騒ぎがあれば、目が覚めるだろう。
梅も、起きていた。芹沢にぴたりとしがみつき、恐怖に打ち震えているようである。
「あ、あんたら、うちらのことどないするつもりや……!」
梅の問いには、誰も答えなかった。
芹沢の左側には歳三、背後に総司が立ち、抜き身を構えて睨みつけている。
この状況だけであれば、二人が芹沢に向かって突き技をお見舞いすれば話は終わり。と言いたいところだが、そう簡単なものではない。
芹沢が放つもの、「気」と表現する他ないが、歳三も総司も、それに当てられて動けないでいる。
「土方と沖田だけで来たとは、俺も舐められたもんだと思ったが、やっぱり来たな。さくら」
「芹沢さん」
さくらは刀を構え、芹沢に負けじと「気」を放った。
「恩返しに来ました。あなたが助けた小さな
「おう。見届けてやるよ。俺に勝てれば、の話だがな」
芹沢はゆらりと立ち上がった。屋内であったせいか、いつもよりも背が高く見えた。梅は座ったまま、部屋の右端に後ずさった。
歳三がじりりと動き、枕元、芹沢の刀が置いてある前に立った。もちろん、刀を取らせないようにするためだ。
「歳三、そこをどけ。私は、芹沢さんと真剣勝負をする」
「なっ、バカ言ってんじゃねえ!そんなことさせるためにお前を連れて来たんじゃねえぞ!」
「ふん、舐められたものだな。勝てば、よいことだ」
さくらは芹沢から目を離さずに言った。
「そういうわけだ。土方、どきな」
芹沢が歳三をどかそうと、近づいた。
だがそこで黙って譲ってやる歳三でもない。刀を思い切り横に振り、芹沢の腰を狙った。が、芹沢はその一撃をさっと避けると枕元に置いてあった脇差しを手に取った。
すらりと抜くと、背中を梅に向け、脇差しを構えた。歳三と総司はさくらの背後に控える格好となった。
真剣での、”勝負”は初めてだった。
いつもは不意打ちで先手を取り、怪我をさせて捕縛することがほとんど。
だが今は。一撃でも食らえば、良くて大怪我、悪ければ自分が死ぬ。
さくらは、その緊張感を全身で感じていた。
さくらと芹沢は、互いの目をじっと見た。出方を伺う。
芹沢が、少しふらついた。
やはり酒が抜けきってはいないらしい。このくらいの
さくらは、一気に突いた。
芹沢は、避けつつ上段から薙いだ。だが、突きを避けるためには後ろに下がらざるを得ず、室内戦用に選んだ脇差しではさくらの肩までは届かなかった。
きゃあっ!と梅の声がした。芹沢は梅の前に立ち、脇差しを構え直す。その手は、酒の飲み過ぎか、震えていた。
その背後から、梅が顔を出した。
「なあ島崎はん、なんでこないなことするん?な?同じ女子やおへんか。目の前で
「お梅さん」
さくらは芹沢から目を離さずに言った。
「私は目の前で大切な人を斬られた。だから、目の前で大切な人を斬られないように、強くなろうと修行しました。そのきっかけをくれたのは、芹沢さんです」
「ほんなら、尚更……!」
「お梅」
芹沢も、さくらから目を離さずに言った。
「これは俺とこいつの問題だ。俺はなあ、今嬉しくてたまんねえよ。見ろよ、こいつの目。立派な鬼の目だ。こいつを生み出したのは、俺だ。娘を嫁にやる父親ってのは、こんな気持ちなのかもしれねえな」
話半分で芹沢の台詞を聞きながらも、さくらの集中は剣先にあった。
「歳三、総司。そういうわけだ。これは私と芹沢さんの問題。手を出すなよ」
背後にいる歳三と総司に、さくらは声をかけた。
「バカ野郎。俺たちだってお前を死なせるかってんだ」
「そうですよ。姉先生の言葉、そのまま返します」
さくらは、ふっと笑った。
――そうだ。あの頃より強くなったという自負はもちろんある。だが、それ以上に。今は、一人じゃない。
そう思えば、先ほどよりも力が漲るようであった。
さくらは、刀を平晴眼に構えた。
「芹沢さん、御免!」
二撃目。芹沢は左に避けた。その動きさえも瞬時に追おうとしたさくらの剣先は、急所を外れ芹沢の太腿に刺さった。
「ぐっ……」
「芹沢はん!」
梅の声など聞こえないかのように、芹沢は庭の方へ走った。
「総司、逃がすな!」
歳三が叫んだ。一番庭に近いところにいた総司が、縁側に躍り出た。
芹沢は脚から血を流しながらふらついた足取りで総司の横をすり抜けようとした。
総司は、その機を逃さなかった。横向きにした刃をぶん、と振り回す。
芹沢は再び呻き声をあげ今度は両足から血を流しながらフラフラと隣の部屋に移動する。
「逃がすか!」
歳三が追いかけた。さくらも追いかける。
「あかん!」
梅が、さらに追いかけようとする総司の足を掴んだ。
「お梅さん、離してください。斬りますよ?」
「斬れるもんなら斬ったらええ。うちかて戦う」
「参ったなぁ。初めて斬るのが女子とは」
梅は、沖田総司という男を甘く見ていたのだろう。
この優しげで飄々とした男は、女が命乞いをすれば助けてくれる、と。
だが、総司は梅を蹴り飛ばすと、胸をひと突きに貫いた。
「姉先生の正念場なんです。邪魔しないでくださいね」
総司は部屋の反対側から援護をするべく、平山の亡骸がある方へ向かい、いったん現場を離れた。
一方で、追撃から逃げる芹沢は、もはや隙だらけであった。歳三の一振りが背中に入る。だが、浅い。転げるように隣の部屋の前まで移動すると、歳三は二撃目を繰り出そうと刀を振り上げた。
が、振り下ろした刀が鴨居に引っかかった。
「くそっ!」
刀を手放せば丸腰。丸腰になるわけにはいかない。だが刀はきれいに鴨居に食い込み、取れない。
その焦りが隙となって出た。
芹沢はふらつく脚で刀を構えた。
「歳三!」
すかさず後ろからさくらが飛び出し、臨戦態勢をとる。
だが芹沢は体勢を崩し、背後に置いてあった文机につまずき、倒れ込んだ。
「きゃあああ!」
悲鳴の主は、八木邸の内儀・松だ。息子の為三郎、勇之助を両手に抱き、腰を抜かしている。
「八木さん、こっちへ!」
反対から回り込んでいた総司と、平間の部屋からやってきた山南と左之助が八木親子を安全な場所に非難させた。
芹沢は、立ち上がろうとしたが、脚がもつれてバタバタとその場でもがくだけであった。
「はっ、俺の……負けだ。あの世で待ってるぜ」
「芹沢さん。感謝いたします」
さくらは芹沢の胸に思い切り刀を突き立てた。
はあ、はあ、と荒い息遣いで、さくらは芹沢を見つめた。
顔は、汗と、返り血と、涙で、ぐちゃぐちゃになっていた。
「終わったな」
ガッと音を立て、歳三はようやく鴨居に引っかかった刀を抜いた。
「歳三」さくらは芹沢を見つめたまま言った。
「壬生浪士組を、大きくする。日の本一の組にする。芹沢さんの死を、無駄にはさせぬ」
「壬生浪士組じゃねえ。新選組さ」
さくらは振り返った。久しぶりに歳三の顔を見た気がした。
「しんせんぐみ……?」
雷が鳴った。雨脚はさらに強まっていた。
***
今回の事件に関わった八人以外は皆、芹沢暗殺は長州過激派の仕業によるものと思い込んでいた。
あの日の雨が嘘のような晴天の下で、芹沢と平山の葬儀が行われた。
梅の遺体は、いろいろと揉めた結果西陣の親戚の家に引き取られることとなったが、無縁仏として葬られたという話もあり、その成れの果ては詳らかではない。
左之助が追った平間は、逃げ足だけは随一であったようだ。左之助の槍を肩に受けたが、同衾していた遊女・糸里と共に逃走したという。
「芹沢局長を失ったことは、我が隊にとって痛恨の極みである。我々は芹沢局長のご遺志を継ぎ、尽忠報国の志を遂げるべく益々をもって隊務にまい進する所存である」
勇が、時々涙と鼻水をすする音を立てながら弔辞を読み上げた。
「おい。ありゃあ演技か?」左之助が勇の様子を見て誰にも聞こえないような小声でさくらに尋ねた。
「いや。恐らく本気だろう」
さくらがそう答えると、左之助は「そっか」と呟いた。左之助とて心から勇の涙を演技だと思っているわけではないのだろう。
壬生浪士組のこれからのために必要なことだったとはいえ、人として、一個人として、芹沢を失った悲しみがないわけではないのだから。
それは、歳三も、総司も、山南も、源三郎も、斎藤も、同じであろうとさくらは思っていた。
葬儀が終わると勇は「皆に話さなければならないことがある」と切り出した。
本当はあの宴会の時に発表する予定だったが、と前置きした上で一枚の紙を掲げる。
そこには、「新選組」と書かれていた。
「先月の出動で、我々の迅速な行動、そして芹沢局長の勇猛果敢さが評価され、賜った名前だ。本日をもって、壬生浪士組は『新選組』と名を改める」
ぱらぱらと、「承知」という声が聞こえてきた。皆、まだ動揺から立ち直れず、新しい名前どころではないとでも言わんばかりだ。
さくらは勇の掲げる紙と、二つの棺から目を逸らさなかった。
目を閉じれば、今わの際の芹沢の顔が思い浮かぶ。
――芹沢さんは、最後まで芹沢さんの志を、信念を貫いたのだ。ならば私も、己の信じた道を行こう。
壬生浪士組の歩みは、ここまで。
明日から、新選組として、さくら達は新たな道を歩き出す。
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