51.恩返し(中編)



 私は、芹沢さんを斬るのだろう。

 何故って、芹沢さんは私に斬って欲しいと言ったのだから。

 それでいいのだろうか。

 私が初めて人を斬った時、芹沢さんはこう言った。

 ――お前が前に進むために、邪魔なものがあれば切り捨てろ。ためらうな。それが、たとえ俺でもだ。 

 私が武士として、前に進むために必要なこと。

 壬生浪士組が、前に進むために必要なこと。

 それは、都合のいい解釈だろうか。

 芹沢さんを、斬りたいか。斬りたくないか。

 斬りたいわけではない。だが、斬りたくない、とも言えない。

 斬らなければ、上様の信頼を得始めた勇の面子をつぶす。歳三の野望の邪魔をする。

 共に武士になろうと誓った二人の前に、立ちはだかるのは違う。

 だったら、私は――


***


 その日、いつもより早く日が沈んだ。

 否、日没の時間自体は前日と大差なかったが、厚い雲に覆われ京の町はどんよりと薄暗かった。 

 角屋には続々と隊士が集まり、一番広い松の間に四十余名の隊士がぎゅうぎゅう詰めとなった。

 八月十八日の出動慰労金ということで会津藩から十分金は貰っていたため、今日の宴会料理は豪勢だ。酒も、いつもより良いものを手配してある。

 全員が座ったのを確認すると、乾杯の音頭は芹沢が取ることになった。

「堅苦しい挨拶をするつもりはねえ。今日は無礼講。各々英気を養え。また明日から、壬生浪士組を頼んだぞ」

 それは、浪士組の局長としてはいたって普通の言葉だった。だが、さくらは、芹沢が死期を悟っているからこその「頼んだぞ」という言葉なのではないかと、穿った見方をしてしまう。一瞬目が合った。芹沢は、わずかに口角を上げたように見えた。

 さくらは結局、芹沢の暗殺計画に加担する意思を示したわけでもなく、強く止めに入ったわけでもなく、何事もなかったかのように過ごしていた。

 どちらをとったとしても、事前に勇たちに意思表示をしたところで却下されるに決まっている。

 さくらは、ばらけて座っている勇、歳三、総司、源三郎、山南、左之助、斎藤の様子を順番に確認した。とてもこれから人を殺そうとしているようには見えない、いつも通りの様子だった。

 ――それが、鬼というものなのかもな。

 さくらは胸中で独り言ちたが、呑気にそんなことを考えている場合ではない、と思い直した。実行部隊が誰なのか知らないものだから、彼らの様子から当たりをつけておきたかった。まさか七人で雁首揃えていくわけではないだろうし、そうなれば新八や平助にも感づかれる。

 ――歳三と、総司は、行くだろう。左之助が計画を知っている側ということは、恐らく槍術の必要性が出ることを想定して。あとは、斎藤あたりだろうか……

「どうぞ、島崎さん」

 声をかけられ、さくらはハッと我に返った。

 目の前には、野口が徳利を持って座っていた。

「ありがとう。だが、私は酒は結構だ」

「そうなんですか?そういえば、あまり飲んでるところ見かけないですね」

「すぐに酔いつぶれてしまうのだ。今日は無礼講とはいえ、隊士全員がいる前で醜態は晒せぬ」

「あははっ、島崎さんって本当男前ですねえ」

「それは誉め言葉ということで構わぬか?」

「ええ、もちろん」

 屈託ない笑顔を見せる野口を見て、さくらは「哀れ」と思った。

 ――あと一刻(二時間)か二刻くらいで殺されてしまうとも知らずに。それにしても、野口くらいは生かしてやったらどうなんだ。まだ若いし、芹沢さんにとって代われる程の器や人望があるとも思えない。

「私はもういいから、他の者にその酒注いでこい。そうだ、新八、私の分も飲んでくれ」さくらは隣に座っていた新八に声をかけた。

「島崎さん、私だってそんなに強くは……」

「私よりはマシだろう」

 そんなやり取りをしている間にも、野口は新八の杯に酒を注いでいった。

「今日は無礼講。馴染みの女ができたと言っていたな。女のところに泊まってきたっていい」

「確かに、今日は珍しく外泊解禁ですからね。そうするのもいいかもしれない」

 罪悪感が、さくらの胸をチクリと刺した。

 自分は今、勇たちの作戦に片足を突っ込んだ。新八を酔わせて、女のところに行かせ、計画の中心から遠ざけようとしている。

 白湯や茶でちびちびと口内を潤す。芹沢の様子を見やると、勇や歳三、山南が代わる代わる酌をしていた。なんてあからさまな、とさくらは思ったが、新八は気にも留めていないようだった。


 わいわい、がやがや、と各々楽しく酒を飲んでいるうちにすっかり夜も更けた。

 芹沢は顔を赤くして上座に鎮座している。

 さくらは、白湯を持って芹沢の前に歩み寄った。

「芹沢さん、飲み過ぎですよ。これで少し酔いを冷ましてください」

「別に、冷ます必要はねえ」

「そういうわけには」

「今日は無礼講だといっただろう。いいんだ」

 芹沢は、さくらに鋭い視線を投げかけた。だがそれはほんの一瞬で、酔いつぶれた人間が放つものとは到底思えなかったから、さくらは見間違いかと思った。

 その時、頭上から歳三の声が降ってきた。

「芹沢さん、それ以上飲んではお体に障ります。駕籠を呼びますから、屯所に帰りましょう。平山さん、平間さんも一緒に」

 歳三は芹沢の隣に座っていた二人に声をかけた。

「なんだあ、俺はまだ飲み足りないぞ」平山はそう言うものの、すでに呂律は回っていない。

「では、屯所で飲み直してはいかがでしょう。このすし詰めの中で飲むより、美味いでしょうよ」

「おお、それもいいな。そしたら、吉栄きちえいも連れていこう。平間さん、あんたも糸里いとさと連れてったらいい」

「うん、そうだな、そうしよう」

「では、そちらも手配しましょう。斎藤くん、頼む」

 いつの間にか来ていた斎藤はこくりと頷いた。

 吉栄と糸里というのは、それぞれ平山、平間が贔屓にしている遊女である。

 江戸・吉原の遊女は吉原の外に出ることは固く禁じられていたが、島原の遊女は多少の外泊は許されていた。さくらは、「これは面倒なことになったのではないか」と思った。歳三も斎藤も、同じことを思っているのか、少しばかり動揺の色が浮かんでいる。

 もう一人の標的・野口は、離れたところで平助と談笑していた。歳三はわざわざ声をかけに行くのも不自然と思ったのか、平助に感づかれるのを恐れたのか、芹沢、平山、平間の三人だけを立たせて、部屋の外へと連れ出した。

 歳三は一瞬だけさくらを振り返ると、冷たい、射るような眼差しを向けた。芹沢に白湯を飲ませて酔いを冷まそうとしたことへの怒りなのかもしれない。

さくらは、睨み返した。

 ――私も、行くぞ。


 外泊が解禁されていたから、馴染みの女のもとに行ったり、京都に実家のある者は里帰りをしたりと、隊士らは三々五々角屋を去っていた。残っているのは、半分程度。

 その頃合いに、いかにも「厠へ」「酔い冷ましの散歩」といった感じですっと立ち上がった面々がいた。

 総司、山南、左之助の三人である。

 ――山南さんも、か。

 さくらは一人ふっと息をつくと、立ち上がった。

 部屋を出る時、勇の前を通りかかった。源三郎と、談笑している。否、作戦会議なのか。

 さくらは二人の前に片膝をついた。

「勇、源兄ぃ、私も行くぞ」

 二人は、一瞬ぽかんと口を開けていたが、やがて意味を理解したらしく、慌てて、だが誰にも聞かれないように小声で、「お前まで行くことはない」「ここにいなさい」と忠告した。

「私が、行かねばならぬのだ」

 さくらはそれだけ言って、その場を去った。

「サク……!」

 止めようとする勇の声は、宴の喧騒にかき消された。


 夕方に空を覆っていた雲は、雨となって京の町に降り注いでいた。

 さくらは、前川邸と八木邸の間の道に立っていた。

 背後から、足音。

「さくら……?」

「姉先生……」

 振り返ると、そこにいたのは歳三、総司、山南、左之助、斎藤の五人。

 皆、襷で袂を縛り、袴は稽古用の丈が短いものに履き替えている。さらに、ほっかむり。額には鉢金。

 いかにも、これから暗殺をします、というような恰好だ。

「なるほど、そういう人選か。手堅いな」

「さくらさん、なぜ……?」山南があんぐりと口を開けていた。

「私も行く。これは、私の役目だ」

 さくらは、ふわりと微笑んだ。

 男たちは、ごくりと唾を飲みこんだ。

「何言ってんだ。ここは俺たちに任せて、島原に戻れよ」左之助が声を荒げた。

「左之助、ここで押し問答している時間はねえ」歳三が制した。

 歳三は、さくらの目をまっすぐに見た。

「後悔はねえな」

「ああ。武士に二言はない」

「よし。斎藤、お前外れろ。島原に戻れ」

「しかし、副長……」

「こっちの人数が増えれば、その分同志討ちの危険が大きくなる。頼めるな」

 斎藤は「承知」と短く言った。被っていた手ぬぐいと鉢金を外し、さくらに差し出した。

「島崎さん、そのまま行くつもりだったのですか」

「はは、考えてなかった」

「無茶はしないでください」

 もちろんだ、と言いながらさくらは斎藤から渡された手ぬぐいと鉢金を受け取り、身に着けた。

「では、ご武運を」

 斎藤はそう言い残すと、島原方面に向かって走り去った。

 雨脚が強くなった。あっと言う間に、ずぶ濡れになってしまいそうだ。

「行きましょう」山南が声をかけた。さくら達は頷き、八木邸の敷地内に入っていった。





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