50.恩返し(前編)


 新見の訃報は、翌朝壬生浪士組を駆け巡り、隊士らを震撼させた。

 料亭で一人飲んでいたところを長州派の浪士に襲われ絶命した。と、そういう触れ込みであった。

 さくらは、嫌な予感がした。

 佐々木や佐伯の時のように、その死に芹沢が関わっているのではないかと。

 そうだとしたら、芹沢にこれ以上仲間殺しをさせるわけにはいかない。

 そう思い、さくらは単身八木邸に乗り込んだ。誰も連れていかなかったのは、あくまで個人的に疑念を抱いているという程度だったからだ。

「芹沢さん、話があります」

 芹沢は面倒くさそうにさくらを見た。当たり前のように隣には梅が寄り添っている。さくらは「席を外してくれませんか」と頼んだ。

「田中のことか」

 さくらが頷くと、芹沢も梅に「しばらく外してくれ」と告げた。梅はしぶしぶ立ち上がると、部屋を去っていった。

「言っとくが、俺は今回、何もしていないぜ」

 さくらは、先手を打たれたような気がして面食らったが、「といいますと」と、芹沢の言葉を促した。

「何も知らねえ。あいつをやったやつのことを、俺は何も知らねえ。だが」

 ここで芹沢は一呼吸置いた。

 さくらは、芹沢がこんなに気落ちした様子でいるのを初めて見た。

「一報を聞いて最初に駆けつけ、死体をここまで持って帰ってきたのは、土方や沖田だって話じゃねえか」

「それが何か」

「お前は俺を疑っているのかも知れねえが、一枚噛んでいるのはあいつらなんじゃねえのか」

「え……?」

「島崎。今夜、飲みに行くぞ」

「えっ、でも……」

「お前とゆっくり話がしてえ気分なんだ」

 芹沢はのっそりと立ち上がると、「お梅ーっ、もういいぞー」と声をかけながら梅を探しにいってしまった。

 残されたさくらは、茫然と芹沢が去っていった方向を見た。


 まさか、まさか。芹沢に対し抱いていた嫌な予感の矛先を、歳三や、総司に向けなければいけないのか?

 嘘であってほしいと思いながら、さくらは前川邸に戻った。

 歳三も総司も、勇も、部屋にはいなかった。

 巡察に出ているわけではないから、屯所のどこかにはいるはずだ。

 探し回っていると、山南と源三郎が寝起きしている部屋から、声が聞こえた。なぜか、勇や歳三の声も聞こえる。

 さくらはバクバクと跳ねる心臓を抑えながら、縁側から庭に降り、床下に隠れた。

――何をやっているんだ、私は。こそこそと、こんな真似をして。よりによって、歳三や、総司を疑うのか……?

 が、さくらの淡い期待――予感が間違っていてほしいという思い――は外れた。

「首尾よくいったか」勇が言った。

「ああ。隊士らの間では、この前の事件で追われた長州の残党の仕業ということで持ち切りになっているぜ」歳三が答える。

「角屋は、いつ取れた」

「平助の話だと、十六日だそうですよ」総司が、花見の日程でも相談しているような調子で言った。

「明後日か……」

 勇がそう言うと、沈黙が流れた。さくらは気配を消そう消そうと、毛一本も動かさないように努めた。

「いいか。芹沢にしこたま酒を飲ませたら、屯所に連れ帰る。斎藤、駕籠の手配を頼む」

「はい」

「トシ、他の者らは」

「平山、平間、野口までは、明後日、必ず仕留める。他の腰巾着どもは……御倉みくら荒木田あらきだあたりか。長州の間者だったことにして、後日また」

「確かに、一晩で全員を手にかけるのは、却って仕損じる可能性も高い。それでいいでしょう」山南が言った。

 ああ、間違いないのだ、とさくらは悟った。

 少なくとも、勇、歳三、総司、山南、斎藤が、新見の死に関わっているのだと。そして、芹沢一派を葬り去ろうとしているのだと。

――止めるべきか?いや、あの言い方だともう私が何かを言ったところで覆らない可能性が高い。だが、それでも。

 このまま聞かなかったことにして去ることもできるが、それはそれで罪悪感に苛まれる。ずっと後悔するだろう。

――言うしかない。やめろ、と。言えないまでも、このままというわけにはいかぬ。

 心臓がどくどくと大きく鼓動しているのがわかった。嫌な汗も出てきた。

 さくらは縁側の下から這い出て、立ち上がった。立ち上がれば、障子に影が映る。

「そこにいるのは誰だ?」ひどく驚いたような、歳三の声が聞こえた。

 続いて、勢いよく障子が開く音がした。さくらを見た歳三の顔には、あからさまに「しまった」と書いてあった。

「さくら……」勇が驚きの眼差しを向けた。

「聞いて……いたのですか?」山南が尋ねた。

「芹沢さんを、斬るのか?田中さんを斬ったのもお前たちなのか?」

「ばか、お前、聞かれたらどうする。とにかく入れ」

 歳三に促され、さくらは縁側から部屋に入った。

 さくらは、源三郎と左之助もその場にいたことにひどく狼狽した。

 つまり、いわゆる「近藤派」の中で、ここにいない三人――さくら、新八、平助――には共通点がある。新見が死んだ夜、歳三の指示で祇園とは反対方向の島原に行かされていたのだ。

 さくらは、状況を理解した。

「そうか。私は、蚊帳の外。そういうわけだな。芹沢さんは私の恩人。新八は同門。平助は……おおかた目くらましといったところか」

 歳三が、ふんっと鼻を鳴らした。

「そこまでわかってんなら話は早え。サク、この話は聞かなかったことにしろ。胸三寸に収めておけ」

「なぜだ。なぜ田中さんを殺した。なぜ芹沢さんを斬る必要がある。これでは、芹沢さんが佐伯を殺した時と一緒だ。ただの仲間殺しじゃないか」

「さくらさん」山南が落ち着いた口調で言った。

「上様の命なのです。芹沢さんを、なんとかしろ、と」

「いいかさくら、これは殿内を殺った時と一緒だ。生かしておけば、浪士組のためにならない。だから、斬る」畳みかけるように歳三が言った。

 これでいいのだ。正しいのだ。こうするしかないのだ。

 さくら以外の全員が、そういう目をしていた。

「私が、芹沢さんにこのことをばらして、逃がしたらどうする」

 居心地の悪い間が空く。最初に口を開いたのは、勇だった。

「さくら。その時は、お前には壬生浪士組を離れてもらうことになる。最悪、お前のことも斬らねばならなくなる。そのくらい、おれ達は心を鬼にして今回のことを計画してるんだ。さくらには悪いが、お前がなんと言おうとこの計画を止めるわけにはいかない」

 他でもない、大将たる勇がそう発言することの重みを、さくらは無視できなかった。

「わかった」

 さくらは、それだけ言って部屋を出た。


 勇たちの言い分もわかる。 

 芹沢が方々に迷惑をかけ、壬生浪士組の評判を落とし、活動をやりにくくさせているのも、これからそれがより過激になる可能性があることも、わかる。

 何より、容保の命令とあれば、従うしかないのだ。

 主君の指示は絶対。武士として働くためには、避けることはできない。

 それでも、さくらはこの計画を阻止できないものかと、考えていた。

 あまり時間はない。

 悩んでいるうちに、夜を迎えた。

 この折に芹沢から飲みに誘われているのは、好機か否か。

 さくらは、島原に向かった。


 芹沢と落ち合うと、二人はとある揚屋の一室に入った。揚屋といえば芸妓が酌をしてくれるのが常だが、今日はそういう女は呼んでいない。個室に、二人きりだ。

「なんだ、俺を警戒しているのか」

 芹沢は、さくらが自身の左側に置いている大刀を見て言った。

「警戒していないと言えば嘘になります。お忘れかもしれませんが、芹沢さんは一度私を手籠めにしようとしましたから」

 さくらはそう言って、鞘に触れた。いつでも抜ける位置に、あえて置いてあるのだ。

 だが、芹沢はくっくっと笑った。

「お前みたいに女だか男だかわかんねえやつに手出す程俺は落ちぶれちゃいねえよ」

 どの面下げて、と喉まで出かかったが、さくらはぐっと飲みこんだ。確かに、あの後梅が八木邸に出入りするようになり、芹沢の女癖の悪さは少しだけ、収まっていた。本当に、少しだけ。

 膳と酒が運び込まれてきた。

 さくらは酔い過ぎぬよう、ちびちびと口をつける。

 芹沢は、話したかったことであろうことを単刀直入に切り出した。

「田中……新見を殺したのは、土方たちだろう。背後には間違いなく近藤がいる。お前、本当に知らなかったのか?」

 さくらは、「知らなかった」と首を振った。

「次は、俺だ」

「そんなこと……」さくらは否定してみせたが、説得力はない。

「まあ、近藤たちもお前のことは巻き込めねえだろうな。俺はお前の命の恩人だ」

 芹沢は不敵な笑みを漏らすとくいっと杯を傾けた。

「にしても驚いたぜ……昔助けたガキが、女だってのに剣術の腕を身に着けて、浪士組の一員として俺の前に現れたんだ」

「それはそうでしょうね……」

「俺はな、水戸にいた時訳あって牢に入れられた。新見も一緒だった。せっかく拾った命、面白おかしく使ってやろうと思って浪士組に参加したし、こっちに残った。こんな形で再会したのも何かの縁だ。お前と、ひと暴れしてみてえって気もあった」

 いつになく、芹沢は饒舌だ。さくらは内心驚きながらも黙って続く言葉を待った。

「俺は俺のやりたいようにやってきたつもりだが、潮時のようだ」

「ど、どうしてそんな、落ち着いていられるんですか……!」

 さくらは声を荒げた。芹沢は可笑しそうに笑った。

「遅かれ早かれ、壬生浪士組に俺の居場所はなくなる」

「何を言ってるんですか。芹沢さんは、壬生浪士組の局長ですよ」

「その局長を差し置いて、この前黒谷に呼ばれたのは土方と山南だって話じゃねえか」

 それに関しては、何も言えなかった。何せ、事実である。さくらは話を逸らした。

「私は……私は、芹沢さんに死んで欲しいなんて思っていません。これからも、壬生浪士組のために一緒に戦ってもらえれば……」

「島崎。それは本心か?俺のせいで、お前はいろいろと余計な苦労や尻拭いをしているだろう。だのに、そんなことが言えるのか?」

「確かに、いろいろありました。ですが、芹沢さんがいなければ今の私はありません。この半年間で芹沢さんから得たものだけじゃない。遡れば、十八年前のあの時に助けていただかなければ、母と一緒に斬られてあの世行き。命の恩人に、死んで欲しいはずがありません。私はまだ芹沢さんに恩返しもできていません」

「そうか。そりゃあ随分恩を売っちまったな」

 芹沢は空の杯をさくらに向けた。「酌をしろ」という意味だと思い、さくらは芹沢の目の前に移動すると、徳利を手に取り酒を注いだ。

 近づいたせいか、酒のにおいが鼻をつく。だが、芹沢は正気を保っているようだった。

「なあ、島崎。どうせならよ、お前が俺を斬れ。お前への貸しは、それで手打ちだ」

 芹沢は、ぽんと片手をさくらの頭に載せた。頭皮がむき出しになった月代の頭は、ぺちっと音を立てた。

 さくらは、目を丸くして芹沢を見た。芹沢は、疲れたような、それでいて憑き物が落ちたような、そんな顔をしていた。

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