49.外堀から



 後に発生の日付から取って「八・一八の政変」と呼ばれたこの事件では、長州藩士ならびに長州に肩入れしていた公卿らが都を追われた。

 派手ないわゆる「戦」とはならず、御所への出入りを禁じられた長州派の志士らはあえなく撤退していった。

 壬生浪士組も例に漏れず、持ってきた槍や刀を使うことはなく、夕方には事態は収束、解散となった。

「なんだか、肩透かしだったな」

 と、さくら達はぼやいたが、前日夜から緊張しっぱなしだったものだから、屯所に帰営するなり全員泥のように眠ったのだった。


 そして八月の下旬、勇、山南、歳三の三人が黒谷の会津藩本陣に呼ばれた。

 内容は、十八日の一件のせいで記憶が薄れかけていた「大和屋焼き討ち」の件であろうかというのが大方の予想だった。

 ただ、芹沢や平山が呼ばれずにこの三人だけが呼ばれたのが不可解であった。

 勇は、最悪の事態を想定した。「お預かり」の関係解消か、はたまた切腹か。

 容保が言い渡したのは、「最悪の事態」とほぼ変わらない内容だった。

「芹沢を、なんとかせよ」

 容保はそう告げたのだった。

「失礼ですが、なんとかせよ、とは」山南が落ち着き払って言った。勇は動揺をなんとか隠しながら、山南の問いに対する容保の答えを待った。

「これ以上は言わぬ。だが、芹沢のやり方を今後も続けられては、”京都守護職”の面目が立たぬと申しておる」

 本気なのだ、と勇は容保の目を見て悟った。芹沢の牛耳る壬生浪士組を終わらせなければいけないのだ、と。

「承知致しました。それでは、我々の方で”なんとか”いたしましょう」

 容保は、うむ、と頷いた。その表情は、少し悲し気な色を帯びていた。

「時に」容保は突然話題を変えた。

「先日の御所への出動の件、ひと悶着あったがそなたらの行動の迅速さは高く評価したい。そこでだ。名前を考えた」

「名前……ですか?」勇があっけにとられたような顔をした。

「いつまでも壬生浪士組、では示しがつかぬであろう」

 容保は、自身の隣に置いてあった紙を仰々しく広げて見せた。

 そこには、「新選組」と書いてあった。


***


 屯所に戻った勇たち三人は、早速話し合いを行った。

「なんとかしろっていうのは、やっぱり……」勇は不安げな表情をして言った。

「なんだよ勝っちゃん、あの場で『なんとかします』って言ってたじゃねえか。斬るんだろ、芹沢を」

「やはり、そういうことだよなぁ。いやあ、あの場ではああ言ったが、本当にやるのかと思うと、な」

「近藤先生のお気持ちはよくわかります。この前の御所出動の時も、無事でいられたのは芹沢さんのおかげですし」山南が助け船を出した。

「そうなんだ。芹沢さんに恩がないわけじゃない。なんとかこう、国に帰ってもらうとか、そういうやり方でなんとかならないものか……」

「そんな要請に芹沢がハイそうですかと応じると思ってんのか?」歳三が一蹴した。

 勇はうーんと唸り目をぎゅっと閉じた。芹沢に出会ってから今までのことが走馬灯のように蘇る。志や気力・胆力、武士として手本になる面もあった。が、それ以上に思い出されるのは力士との乱闘騒ぎや佐々木、佐伯を死に追いやったこと、そして今回問題になっている大和屋への放火。

 このままいけば、いずれ芹沢がもっと過激なことをしでかすであろうことは、火を見るより明らかであった。

「わかった。よし、やろう」

 勇はそれだけ言うと、口を真一文字に結んだ。

「それにだ、勝っちゃん」ここまで合意したところで、歳三はニヤリと笑みを浮かべた。

「俺は、”新選組"の名は、壬生浪士組が俺たちのものになった時、近藤勇が唯一の局長になった時から使うべきだと考えている」

「それは私も同感です。その方が、隊士たちの士気も上がり、気持ちも新たに隊務に励めるでしょう」山南も続いた。

「しかし、名前をもらったのはこの前の出動の功労ゆえだろう。あれに関しては芹沢さんは暴挙どころか勇猛果敢なふるまいをしてくれたじゃないか」

「近藤さん」歳三が、改めて名前を呼んだ。

「俺たちはあいつを殺ると決めたんだ。芹沢の功績なんぞ、もう俺たちには関係ないことだ」

 歳三の鋭い目つきを見て、勇はゆっくりと頷いた。

 心を鬼にせねば、この難局を乗り越えることはできない。勇は歳三、山南の目を交互に見て、その固い意志を確認した。


 やる、と言っても、すぐに今晩寝首を掻きにいくというわけにもいかなかった。

 芹沢を斬るということは、同時に新見や平山といった芹沢の腹心たちも葬り去る必要がある。そうでなければ、新見や平山が芹沢にとって代わるだけ。いつまで経っても近藤派・芹沢派といった派閥の溝は埋まらない。

 さらに、他の隊士へ動揺が広がらぬよう、近藤一派が芹沢一派を直接手にかけた、ということがばれないようにことを進める必要もあった。

「さくらには、言わないでおこう」勇が静かに言った。

 歳三も山南も、これには同意とばかりに頷いた。

「あいつにとっては、芹沢さんは命の恩人だ。余計な心配をかける必要もないだろう」


 九月に入ると、歳三が「この前の政変の慰労会をやろう」と言い出した。

 場所は角屋。隊士総出で、宴会を行う。

 その手配に、さくらと平助、新八が向かった。この三人は、今回の暗殺計画をまだ知らされていない。同じ流派の新八と、うっかり口を滑らせてしまいそうな平助は、勇たちによって蚊帳の外に置かれていた。


「まあまあ島崎先生に藤堂先生、永倉先生まで。皆さんお揃いで。ご無沙汰してはりますなあ」

 女将は笑顔で三人を迎えてくれたが、心からの笑みとは到底思えなかった。気まずい空気が流れ、窒息してしまいそうだ。

 なぜ気まずいか、というと、実は芹沢はこの店でも揉め事を起こしている。

 以前、ここで宴会が開かれた時に店の者の態度が気にくわないとして、例の鉄扇でもって店内をめちゃくちゃに破壊した挙句、七日間の営業停止命令を勝手に出したのだ。もっとも、命令されずともそのくらいは店を閉めなければとても復旧できない状態になってしまったのだが。 

 それからなんとなく近藤一派の面々は角屋に寄り付かなくなっていたが、今回なぜか歳三はこの店を指定したわけだ。

「改めて、以前はうちの芹沢のせいでご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした」さくらは頭を下げた。

「その後、お店の方は大丈夫でしたか……?我々の心配など大きなお世話かとは思いますが」新八も続いた。

「へえ、おかげさまで、穴の開いた壁や障子も直りましたし、割れた食器も買い直しましたし、今は前と同じようにお店続けさせてもろてます」

 底の見えない女将の笑顔に、三人は「それはよかったです」と返すしかなかった。

 それから三人は本題に入り、一番広い松の間が最短でいつ空いているかを尋ねた。

「それでしたら、三日後、十六日がちょうど空いておいやす」

「あっ、そんなに近い日が空いているのですね」

 いくらなんでも急になってしまうだろうか、とさくらは新八と平助に聞いたが、「良いんじゃないですか。土方さんは最短って言っていたし」と平助が言うので三人はその日程に決めた。

 そして、どうせだからこのまま飲みにでも行こう、と三人は夜の花街に繰り出した。


 同じ頃、祇園の料亭の一室に、歳三、山南、総司、斎藤の四名が鎮座していた。

 歳三が少しだけ襖を開け、隣の部屋を覗く。

「いたぞ。へっ、女に囲まれて、いい気になってやらあ」

 歳三はほくそ笑んだが、こう見えて緊張している。

 隣の部屋では、新見が一人で酒を飲んでいた。馴染みの女に酌をされ、すっかり気が抜けている様子である。

 高級な店では入り口で刀を預けなければならないが、ここはそこまで格式高い店ではなく、部屋の片隅にある刀置きに大小二本が置かれている。

「土方くん、行きましょう」山南が言うと、歳三は襖を開けた。柱の死角に隠れた総司と斎藤を残し、二人は新見の前にどっかりと腰を下ろした。

「おや、土方山南両副長殿。こんなところで何を」新見は恭しく言った。一応、関係性は平隊士と副長。恭しくなるのも当然といえば当然なのだが、その口ぶりはねっとりと嫌味ったらしいものだった。

「最近、田中さんがここを贔屓にしていらっしゃると聞き及びましてね。折り入って、お話したいことがありましたので罷り越しました」山南がにこりと笑みを浮かべて言った。

「ほう、副長のお二人が雁首揃えて。どのようなお話でしょうな」新見は挑戦的に言い放った。

 山南は、女中も含め部屋にいた女たち全員に「あなた達は、少し席を外してくださいませんか」と声をかけた。女たちはただならぬことになりそうだと察したのか、おずおずと部屋を出ていった。

「随分堂々としているじゃねえか。芹沢の横ではへこへこしてるくせによ」歳三がふっと鼻で笑った。

「処世術というものだ。芹沢さんの覚えさえよければ、私がこうして馴染みの店に一人で来ようが誰も咎めぬ。あの梅という女のせいで名まで変える羽目になったが、あの女のおかげで芹沢さんの目が逸らされたのだから、良し悪しといったところだな」

 化けの皮が剥がれたかのように、新見はかつて自分が副長であった頃のように尊大な態度を見せた。一口酒を口にいれると、「それで」と歳三、山南を交互に見た。

「単刀直入に言う。先日の大和屋の一件、下手人を処断せよ、との達しが来ている」歳三が告げた。

「下手人だと?下手人も何も、諸悪の根源はあの大和屋の主人本人だろう。山南、お主とて芹沢さんと共にあの店に乗り込んだと申していたではないか」

「ええ。もちろん、あの大和屋の行いは看過できるものではありません。ですが、火をつけて無理矢理に焼き払うというやり方はよくなかった。何の罪もない、裏手の町家まで延焼したそうですよ。死者こそ出ませんでしたが、住んでいた方は路頭に迷うことになってしまいました」

 新見はぐっと唇を噛むような仕草をした。

「わかった。確かにそうだな。それならば、処断されるべきは芹沢さんだろう。主導したのはあの人。まさしく下手人。そうか。この私に協力してほしいというわけか。おおかた、弱点を教えてくれといったところか」

「いいえ」 

 新見の余裕ぶった発言を、歳三がピシャリと遮った。

「最初に火をつけたのは、田中さん、あんただったと、目撃した者がいる」

「なんだと?誰だそんな出鱈目をいう奴は」

「島崎だ。あの時、あんたが最初の火種を店内に放つのを、見たと言っていた」

「なっ、あんな女の言うことを信じるというのか?」

「もちろんさ」

「田中さん、いえ、新見錦さん」山南が丁寧に名前を呼んだ。

「火付けは、重罪です。今この場で、切腹していただきたい」

 新見は顔面蒼白になった。

「断る、と言ったら」新見は山南を睨みつけた。

「我々で、あなたを切り伏せます」

「ほう、我々、ね。確かにな。そこにまだいるんだろう」新見は隣の部屋を顎で指した。 

 歳三は苦々し気に新見を見た。

 酒を飲んでもこれだけ冷静でいられる新見は、ある意味では芹沢よりタチが悪い。

 先に狙いを定めたのは正解だった、と思った。

 襖が開き、総司と斎藤が現れた。

「こんばんは、田中さん」総司が淡々と言った。斎藤は、何も言わずにぺこりと頭を下げた。

「ふん、沖田に、斎藤。四対一とは、武士として、卑怯ではないのか」新見が言った。

「それはあくまで稽古の上の話。実際の戦では、兵の数は相手の兵より多いに越したことはない。敵の数に合わせて味方の数を調整する愚将がどこにいますか」歳三はにやりと笑った。

 これを聞いた新見は立ち上がると、部屋の隅にあった自分の大小二本を取りに行った。

 歳三たちは俄かに殺気を放ち、新見を睨みつける。だが、新見は可笑しそうに鼻で笑うだけであった。

「心配するな。お前たちに斬られるくらいなら、自ら腹を切った方がマシだ」

 新見が手に取ったのは、短い、脇差の方であった。着物の身ごろを左右に広げ、腹を見せる。

「次は、芹沢さんか?」

 尋ねられたが、誰一人縦にも横にも首を振らなかった。だが、新見にはそれで十分伝わってしまったようだった。

「自業自得、というものか。だが、あの人も私も、もともと一度は捨てる覚悟をした命。短かったが、悪くない余生だったさ」

 新見は、脇差を鞘から抜いた。行燈の薄明かりが反射し、刀身がきらりと光る。

「あの人がいる壬生浪士組の舵取りも大変だが、いなくなった後の壬生浪士組も、それ以上に大変な舵取りとなるだろうよ。果たしてお前たちにそれができるのか。あの世から見守っててやるさ」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、新見は脇差を自身の腹に突き立てた。


 その様を、四人は黙って見つめていた。







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