48.初陣





 大和屋が市井の人々に迷惑をかけたのは間違いない。壬生浪士組が、それを取り締まるのは至極まっとうなことである。

 だが、やり方が悪かった。

 この件について話がある、と勇、山南、歳三が呼ばれたのは、火災から半月後のことであった。

 半月空いたのには訳があった。

 火災の翌日、八月十三日。会津藩は大和屋での一件にかまけている場合ではなかった。

 長州藩の動きが、いよいよきな臭くなってきていた。自藩に同情的な公卿を味方につけ本格的に攘夷を押し進めようとしている。さらにその最終手段として、帝に直接指揮を執ってもらい、外国勢力を追い払わんと企てていたのだ。

 だが、時の帝・孝明帝こうめいていは外国との戦は避けたい考えだった。あくまで、ここまで幕府が結んできた外国との不平等条約を破棄し、鎖港を行うことによる穏便な攘夷を望んでいた(それが穏便かどうかはさておき、だが)。

 事態は、拡大していく長州の過激な尊攘派、そして長州派の公家を駆逐せねばなるまい、というところまで来ていた。


 八月十七日夜半。

 前川邸の面々は、夜巡察に出た者以外はほとんど皆床につくところだった。

 そこへ、ドタドタと足音が聞こえてきた。

「近藤!近藤いるか!」

 芹沢の声だった。

 さくらは自室の障子をガラリと開け、欠伸をかみ殺した顔で隙間から顔を覗かせた。

 芹沢と平山が立っていた。いつものごとく酒は入っていたようだが、その目ははっきりと意思を持っている目であった。 

「お前じゃない、近藤勇の方だ」

「そんなことはわかっていますよ。近藤局長なら夜巡察です。土方副長も」 

 さくらは言いながら、障子の端をしっかりと握った。また手籠め未遂、なんてことになれば面倒だ。庭を挟んだ斜向かいにある部屋をちらと見やれば、明かりがついている。総司と平助はまだ起きているようだ。いざとなったら加勢してもらおう。さくらは警戒心を剥き出しにして芹沢を見た。

「なんだその目は。まあさくらの方でもいい。全員に伝えろ。出陣の用意だ」

「出陣の用意?」

 やはり酔っているのか。出陣といっても大方島原にでも繰り出すことを指しているのだろうと思い、さくらはまともに取り合おうとしなかった。が、芹沢はしゃがみこんで床に立て膝をつくと、さくらに目線を合わせ、ニヤリと笑った。

「さっき、会津から使いが来た。御所の警備だ。長州の連中をいよいよ追っ払うんだとよ」

「ほ、本当ですか?」

 聞けば、軍備を整え指示を待て、ということであった。

 さくらは眠そうな顔をパッと輝かせた。

 会津に頼まれて大坂に行った時は、どちらかといえば面倒事を押し付けられたような性格が強かったが、御所の警備ともなれば「加勢して欲しい」と頼られたのだと考えて差し支えないだろう。

 慌てて部屋を出ると、仲間たちを起こして回っていく。

「総司!平助!山南さん!源兄ぃも!みんな起きろ!出陣だー!」

 夜更けにこだまするさくらの弾んだ声に、皆何事かと部屋から出てきた。

「起きろって、今何時だと思っているんだ。もう寝ようとしていたところだぞ」源三郎が呆れたように言った。

「これが寝ていられるか!ついに長州のやつらに一泡吹かせる絶好の機が巡ってきたのだぞ!」

「どういうことですか?」総司が驚きにぽかんと口を開けた。

 状況が飲み込めていない、と言わんばかりの総司たちにさくらは得意気に説明した。

「そういうわけだ。今すぐ全員を起こして出陣の準備!源兄ぃ、山南さん、とりあえずよろしくお願いします!私は勇と歳三を呼び戻してきますから!」

「あっ、私も行きますよ!」

 どちらにせよ勇たちは間もなく戻るのでは、などと源三郎らに言わせる隙もないままに、さくらと総司は屯所を飛び出した。

 風圧で提灯の火が消えない限界の速さで走る。いつもの巡察路を逆走すれば、勇たちに会えるはずだ。

 一刻も早く、二人に伝えたかった。

 ご公儀のお役に立てるのだと。

 会津候が、お殿様が自分たちの作った壬生浪士組を頼ってくれたのだと。武士になれるのだと。

「いた!いさ…近藤局長!土方副長!」

 向こうの角から勇、歳三を筆頭に隊列を組んだ浅葱羽織の一団が歩いてきていた。

「どうした島崎、こんなところまで出てきて」勇がキョトンとした顔で言った。

「会津から、我々に、出陣の命が下った。御所の警備だ。軍備を整えて待てと」

 提灯に照らされた勇の表情が、一瞬で変わった。

「本当か?」

「ああ。だからすぐに屯所に戻って……」

「言われなくてももう帰り道だ」

 後ろに立っていた歳三がふんと鼻を鳴らした。が、口調とは裏腹に歳三もこの知らせを喜んでいるに違いないと、さくらは確信していた。


 屯所に戻ると、山南の指示のもと、皆武器や防具の用意にバタバタとしていた。

 用意、といっても、普段稽古をする時のような格好に毛が生えた程度のものである。何しろ、全員にきっちりした装備をさせてやれるほど、壬生浪士組は裕福ではなかった。

 さくら達も武具の用意をし、総勢四十余名の壬生浪士組隊士は、完成したばかりの道場に集まった。

「島崎先生、土方さん見ませんでした?」総司がキョロキョロとあたりを見回した。さくらも道場に集まった隊士の顔をひとりひとり目視したが、歳三の姿はない。

 やがて全員が用意を終え、「土方副長がいないぞ」などとざわつき始めたところに、ようやく歳三が現れた。

「今日こそ、この旗を掲げるべきだと思う」

 歳三は手にしていた赤い布を両手いっぱいに広げた。何か書いてあるがあまりに大きい布なのでたわんでしまいよく見えない。さくらはすかさず駆け寄って布の端を持ち、歳三と一緒に広げた。

 おおーっと隊士らの感嘆の声が漏れた。

 さくらも、完成品を見たのは初めてだった。

 旗だ。壬生浪士組の、隊旗である。

 中央には「誠」の文字が、白く、大きく染め抜かれていた。

 今着ている羽織と同じくダンダラ模様もついている。

 浅葱の羽織は芹沢の金策によって資金を得たが、この隊旗は歳三の金策(つまりは日野の佐藤彦五郎の金だが)によって得た金で作った。よって、勇の好きなダンダラ模様と、「武士といえば赤だろう」というほぼ歳三の好みが多分に反映されている。

 ひと月程前に出来上がってはいたが、ここぞという時に掲げるのだ、と歳三の自室にしまわれていた。「ここぞという時」がついぞ来なかったらどうするのだとさくらは思わないでもなかったが、時は来た。

 勇が引き受け、隊士らの前に立って説明した。

「みんな、これはおれ達の覚悟・思いを一字に込めたものだ。この旗を掲げ、御所までまかり通る!」

 隊士らは、今度は気合いの「応っ!」という声を上げた。


 おおいに士気の上がった壬生浪士組であったが、結局会津から指示があったのは日も上ろうとする頃であった。

 勇やさくら、歳三などは興奮から眠ることなどできなかったものの、大多数の者がうとうとと舟を漕いでいた。そんな彼らを覚醒させたのは、「壬生浪士組はいるか!」という野太い声だった。

 道場の入口に、武装した男が立っていた。

「会津侯の命で参った。壬生浪士組、出動命令だ」

 勇と芹沢はがばっと立ち上がり慌てて男に駆け寄った。さくらを含め、他の隊士は二人の後ろから遠巻きに様子を見た。

 やがて、

「承知いたしました。壬生浪士組、身命を賭してお役目果たしてご覧にいれます」

 と芹沢が言うのが聞こえた。

 使いの男が去ると、芹沢と勇が全員に向き直った。

「壬生浪士組、これより御所御花畠おはなばたけの警護に向かう!」芹沢がもったいぶった調子で言った。 

 が、おはなばたけ、という言葉に拍子抜けしたのか、隊士らは一瞬間を置いてから「承知!」と声を上げた。

「おはなばたけって、お花畑?」さくらはたまたま隣にいた左之助に聞いた。

「なーんか気の抜ける場所だな。そんなとこ守ってどうすんだ?」

 二人の会話を聞いた山南が、冷静に言った。

「御花畠は通称です。本当は凝華洞ぎょうかどうと呼ばれる場所で、上様(*ここでは容保のこと)がそこに仮宿所を構えているそうですよ」

「さっすがサンナンさん、なんでも知ってんのな」左之助が舌を巻いた。


 日は上っていたが、秋のひんやりした風が寝不足のさくら達に冷たくみた。

 勇、芹沢、山南が先頭に立ち、歳三、平山の両副長が殿しんがりを務めた。さくら達副長助勤は隊列の中にバラバラに配されている。

 御所の近くまで来ると、あたりは異様な緊張感に包まれていた。

 京のはずれや大坂で、小者の浪士を一人一人捕まえるような捕り物とは違う。これは戦なのだと、口にせずとも皆そんな思いを共有していた。

 一同は堺町御門から御所の敷地内に入るつもりで向かったが、ここで思わぬ壁が立ちはだかった。

「何者だ、その方ら」

 門番をしていた男が警戒心を剥き出しにして言った。 

 その台詞を聞いたさくらは勇の頭越しに門番を睨んだが、果たして伝わっているか否か。

 完全に不審者を見るような目をしている門番に、芹沢が言った。

「俺たちは会津藩お預かりの壬生浪士組だ。上様の命に従い参上つかまつった」

「壬生浪士組ぃ?ああ、何やら烏合の連中を配下にしたという話だったな。だがな、お前たちの出る幕ではない。そのような命が下っているなど聞いておらぬぞ。通すわけにはいかぬ」

 門番は梃子でも動かないといった様子で芹沢を睨み付けた。

「そんな、何かの間違いです!我々は御花畠を守るようご指示を受けたのです」勇が食い下がった。

「知らぬ知らぬ!そなたらの手を借りずともこの場は間に合っておる」

「では、広沢様か山本様にお取り次ぎを。我々のことをよくご存知ですから」山南が門番に笑いかけたがその目は笑っていない。

「取り次げるわけがなかろう。お二人とも忙しいのだ」

「では、今ここであなたの判断で我々を兵に加えていただくということで如何でしょう。確かに我らは烏合の衆と言われても否定はできませんが、ここにいるのは腕に覚えのある者ばかり。いないよりはマシでしょう」

 門番はそのような判断が自分の一存で下せるわけがない、と言いたげであったが、口に出すのは屈辱なのか、ぐぬぬと口を結ぶに止まった。そして、力技に出た。

「ええい、とにかく通すわけにはいかぬ!者共、追い払え!」 

 横一列に並んでいた藩士らが、壬生浪士組を取り囲み、槍を向けた。少しでも動けば心の臓に刺さるような位置で、穂先がきらめいた。

 これには、一同大なり小なり肝を冷やした。あからさまに「うわぁっ」と声を上げてじりりと一歩下がるものもいたが、さくらを始め副長助勤以上の者は冷静に藩士らを睨みつけた。

「斬りますか?」さくらの隣に立っていた平助が鯉口を切った。

「待て。仮にも相手は会津の兵だ」さくらは小声で言った。下手に動いて触発すれば、危ないのはさくら達の方なのだ。

「でも、このままこうしていても仕方ないですよ」後ろに控えていた島田が言った。

 島田の言うことももっともであった。が、皆どうすればよいかわからず、身動き一つ取れなかった。

 その時、ジャッと金属の擦れる音がした。

「俺たちはあんたらの仲間だと言っている。この羽織、あの誠の旗。会津候に忠誠を誓い帝のために身命を賭して働くという意気込みの表れだってのに何故わからん。俺たちの敵は長州のやつらだろ。仲間割れしてどうすんだ」

 芹沢が、鉄扇で自らの目の前に突きつけられたら槍をなぎ払った。

 まさか扇子一本で槍をどけられると思っていなかった藩士たちは一瞬たじろぎ、隙ができた。

 芹沢はそこを突破口に、静かに、だが次々と槍を下ろさせていく。 

「それとも何か?あんた、門番の振りして長州とつるんでるか何かか?なあ、それなら頑なに通さないわけだよな?」

「うるさい、無礼であるぞ!」

「無礼はどっちだ」

「そなたら、何をしている!」 

 藩士らの群れの向こうから声がした。

 人垣が割れ、現れたのはまさに先ほど取り次いでくれと言った広沢であった。

「壬生浪士組の面々ではないか。これはどういうことだ。そなたら、ひとまず槍を下げよ」

 広沢の指示で、壬生浪士組の隊士たちは槍から解放された。 

「ひっ、広沢様!この得体の知れない連中が門の中に入ると言って聞かないのです!」門番は悲痛な叫びを訴えた。が、

「何を言う。この者らは壬生浪士組。れっきとした殿のお預かりの者共であるぞ」と広沢は助け船を出してくれた。

「先ほど指令を出したばかりだというのに、もう参ったのか」広沢はすぐ側にいた歳三に尋ねた。

「いかにも。我らいつ指令が出てもいいように昨晩から武装して時を待っておりました」歳三が得意げな顔で、少し皮肉――待たせやがって、という恨み節――を込めて言い放った。 

「天晴れだ。迅速な出動、感謝する。門を開けよ!」

 広沢の一声で門が開いた。

 芹沢は、さくらが見る限りでは一番の得意顔で高らかに声をかけた。

「壬生浪士組!御花畠――凝華洞の警護に付く!」

 おうっ!と隊士らは意気揚々と門を通り抜けた。

 いよいよだ、とさくらは拳を握りしめた。

 皆が誇らしげに、晴れやかな表情で行軍しているので、さくらはきっと今自分もこのような幸せそうな顔をしているのだろうと思った。



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