53.新たな一歩


 歳三は、女を抱いていた。

「なんや、上の空やおへんか?」

 うちのことだけ見たらええし、と甘ったるい声で囁きながら、女はそうっと歳三の頬を撫でた。 

「言われなくても、俺の目に写るのはお前だけだ」

 歳三はさらりとそんなことを言う。そこに恥じらいや照れはない。慣れたものだ。

 歳三は女に口づけを落とし、そのまま自身の体を女に沿わせた――


「羨ましおすなぁ」

 女は身なりを整えながら、ぽつりと呟いた。

「何が」歳三はぶっきらぼうに言う。肘枕をして寝転び、女に背を向けている。

「土方はんが見とるのはうちやない。本命のお方がおるんやろ?」

「何が」

「けど、それでも構しません。ここは殿方に夢を見てもらうところ」

「ああ、いい夢見させてもらったぜ」

 女はくすりと笑った。だが、目には憂いを帯びている。

「羨ましおすなぁ。そのひとが」

 女は、歳三の背中を見つめながら、再び呟いた。


 歳三は、きちんと代金を払って見世を後にした。

 上洛して間もない頃から、島原や祇園、上七軒といった花街で様々な女と遊んできた。人数だけで言えば、あの女好きの芹沢よりも多いかもしれない。何せ、芹沢は最期の数ヶ月、梅という「馴染み」がいたのだから。

 資金に乏しい壬生浪士組で、なぜそんなに女遊びができたかといえば、それはひとえに歳三が実にもてたからである。

 切れ長の目、二十九歳にしてはハリツヤと白さのある肌。玄人の女たちも、放ってはおかなかった。その為、ツケでも構わないからと女たちの方から申し出たのである。それをいいことに、所構わず女遊びにふけっていた。

 だが、八月十八日の政変での働きを認められ、新選組と名を改めた歳三たちには、会津藩から正式に給金が支給されるようになった。という話は京の町中にも広まっていたから、もうただでは遊べない。「お金、あるんでしょ?」というわけである。これからは、懐事情と相談しながら遊ばなければならない。

 歳三は、見世の二階を見上げた。もう、会いに来ることはないだろう。

 ――どことなく似てやがるからな。

 歳三は女の顔を刹那思い浮かべ、そして振り払った。


***


 さくらは、祇園の芝居小屋近くにある小道具屋で品物をじっと見つめていた。

 店先には簪や櫛、手鏡など、女性向けの小間物が並んでいるが、その少し奥に、歌舞伎用のかつらがある。

 ――あれをつけたら、たまには女の格好にも戻れるだろうか。

 そんなことを、さくらは考えていた。

 男の格好で過ごし始めてだいたい一年が経とうとしている。今やすっかり慣れてしまったし、動きづらい女物の着物など、着たところで転んでしまいそうな気さえする。

 だが、男装していても、名前が朔太郎でも、三十路でも、たまには……という気持ちもないではない。

 さくらは手近な簪を手に取り、うーんと唸った。

「贈り物どすか?」

 女将と思しき、さくらよりやや年上に見える女性が声をかけてきた。

「えっ、ああ、えーと」

 贈り物、と言われてさくらはいささか狼狽した。もっとも、自分の見た目を思えば無理もない。「まあ、そんなところです」と言葉を続け、簪を元の場所に戻した。

「今日のところは……少し考えます。また」

 さくらは小道具屋を出ようとしたが、恥はかき捨てとばかりに勇気を出して女将に尋ねた。

「あの、奥にあるかもじ(鬘のこと)は、歌舞伎役者ではなくても売ってもらえるのでしょうか?」

「へ?へえ、売り物ですさかい、欲しいと言われればそりゃあお売りしますけど」

「そうですか。教えてくださってありがとうございます」

 女将は明らかに「どうしてそんなことを聞くんだ」という顔をしていたが、口に出されたわけではないのをいいことに、さくらはそれを無視して店を出た。


 往来に出ると、「さくら?」と声をかけられた。

「歳三……!」

 さくらはあからさまに「げっ」と会いたくなかったという気持ちを顔に出した。小道具屋で簪を見ていたと知れたら、「色気づいてどうすんだ」などと嫌味を言われるに決まっている。

「何やってんだこんな所で」

「歳三こそ」

「俺は別に」

「私とて、別に」

 どうやら歳三も言いたくないらしい。祇園を一人で歩いているという状況からして、女遊びをしていたのは明白だったが、そこをつつくとつつき返されるおそれがあったのでさくらはそれ以上何も言わなかった。

 なんとなく気まずい沈黙が流れているまま二人は壬生方面に向かって四条通を歩いた。夕刻。あたりは徐々に暗くなってきている。

 沈黙を先に破ったのは歳三だった。

「さくら」

「な、なんだ」

「お前、髪伸ばしたらどうだ。いや、伸ばせ」

「は?」

 突然の話にさくらは面食らった。

「な、何故またそんなことを……?べ、別に私は髪を伸ばしたくて簪など見ていたわけではないぞ!」

「簪なんか見てたのか」

「あっ」

 歳三はぷっと吹き出した。

「浪士組の時とは違って気兼ねすることもねえんだから、いつまでも月代でいる必要はねえだろ。今じゃ隊士のやつら、お前が女だって知ってるやつの方が多いくらいだしな」

「まあ、確かに……」

 月代を剃っていても、さくらが女であるというのはほぼ周知の話であった。もっとも、「あんなに強いのが女のはずがない」「女が月代を入れるわけがない」と頑なに信じない隊士も一定数おり、幸か不幸か「島崎朔太郎が女かどうか」というのは「幽霊は存在するかどうか」と同じ次元の話になっていた。

「考えがあるんだ。明日、俺の部屋に来い」


***


 翌日。

 歳三の部屋に呼ばれていたのはさくらだけではなかった。勇と、山南もいた。

「勝っちゃん、サンナンさん、考えたんだけどよ」

「なんだトシ、改まって」勇がきょとんとして尋ねた。

「間者を、派遣しようと思ってよ」

「間者?」

 歳三以外の三人は、何のことだ、と聞き返した。

「この前、間者騒ぎがあっただろ」歳三はニヤリと笑みを浮かべた。

 間者騒ぎ、というのは、荒木田左馬之介あらきださまのすけ御倉伊勢武みくらいせたけら数名の隊士が、長州の間者だったとして処断された一件だ。屯所で髪結いに髪型を整えてもらっている最中に、総司と斎藤が背後から突くという昼間からなんとも凄惨な暗殺劇だった。

 芹沢の死からまもない頃であったため、彼らが芹沢殺しの下手人だったのだろうと誰からともなく結論づけられた。こうして瞬く間に隊内では芹沢暗殺事件については「一件落着」となった。

 というのは表向きの話。

 もちろん、芹沢殺しの下手人は彼らではない。そもそも彼らは出身こそ確かに長州とその周辺の藩であったが、間者である証拠などはなかった。彼らが処断された理由があるとすれば、それは「芹沢に傾倒し過ぎた」からに他ならない。第二の平山、新見、ひいては芹沢を生み出さないために、芽を刈り取った格好である。

「あれで思いついた。そもそも、今まではお上から『あっちに不逞浪士』『こっちに尊攘過激派』って調子で言われるがままに動いてただろ。これから新選組を大きくするにあたって、そんなんじゃいつまで経っても武功は上げられねえ」

 新選組、という名前がさらりと出てきたが、さくらはまだなんとなくそう呼ばれるのが慣れないというか、くすぐったいような心地がしていた。だが、今はもちろんそこは本題ではない。さくらは頷きながら歳三の次の言葉を待った。

「こっちから、方々に間者を派遣し、敵方の内情を探る。『諸士調役』とでも言おうか。そういう役職を作ったらいんじゃねえか、と思ったんだが、どうだ」

 話を聞いていた三人は、「なるほど」と膝を打った。

「悪くない。いいんじゃないか?」勇は即時同意した。

「本当、お前はそういう知恵がよく働く」さくらもクスリ、と笑った。

「やってみる価値はありそうですね。人選は如何に?」

 山南の問いに、歳三は待ってましたとばかりに笑みを浮かべた。

「京や大坂の地理に詳しいやつらを配置する。それでだな、そのまとめ役・頭にあたる任務を、さくらに任せたい」

「なぜだ。私は別にこのあたりの地理には詳しくないぞ」

「お前には奥の手があるだろう……女装だ」

「なっ」

 さくらと勇は、信じられないとばかりに声を漏らした。山南は、「諸士調役の頭をさくらに」という時点で察していたのか、大して驚いたような素振りは見せなかったが、眉間にしわを寄せて様子を見守っていた。

「まさか、女が新選組の間者だとは思うまい。適任だろう。これからは、通常の巡察隊とは別行動で任務に当たってもらうことになるから」

「歳三」

 さくらは、歳三を睨みつけた。

「それは、私に一線から退け、と言っているのか?」

「どうしてそうなる。むしろ、大役を任せたいと言ってんだ」

「私が女子だから、だろう。……歳三、お前がそんなことを言い出すなんてな」

 さくらは悲しそうな表情を浮かべると、立ち上がった。

「さくら、どこ行くんだ」勇が慌てたように言った。 

「考えさせてくれ」

 さくらはそれだけ言って部屋を出た。


 一人で考えたくて、一人になれる場所を探した。

 行きついたのは、芹沢の墓の前だった。壬生寺の裏手にある、共同墓地の中だ。

「芹沢さん、私はどうしたらいいんでしょうね」

 物言わぬ墓石の前に座り、語りかけた。

「ふふっ、どの面下げて人生相談なんかしてやがんだって、思いますか?でも私、大好きな人の墓の前で喋るのが好きみたいなんです。あ、そういう意味の好きではないですよ?」

 くすっとごまかすように笑ったが、当然、返事はない。さくらは墓石をじっと見つめ、ため息をついた。抱えた膝に顔を埋めると、視界が暗くなった。

 自分でも、わからなかった。

 女扱いをして欲しいのか、して欲しくないのか。

 対等に、対等に。そう思ってここまで来たものの、対等とは?という思いが首をもたげる。


 その時、ザッと土を踏む音がした。

「ここにいましたか」

「山南さん……」

 山南は何も言わずにさくらの隣に腰を下ろした。

 ――歳三の差し金か?山南さんから言われたら私が首を縦に振るとでも?まったく、完全に歳三の掌の上ではないか。

 そんな思いを隠し、さくらは「どうしてここに?」と尋ねた。

「考えても、答えが出なかったら、一緒に考えようかと思いまして」

「……歳三に言われたのではないのですか?」

「土方くんが?どうして」

「いえ……なんでもありません」

 さくらは、ふっと微笑んだ。

 山南が、自分の意思で来てくれた。それだけで「嬉しい」という気持ちが胸の中を駆け巡る。同時に、やはり自分は逆立ちしたって女子なのだと思い知らされる。

「山南さん」

「はい」

「私は、女子なんですよね。いくら剣の腕を磨こうとも、月代を剃っても、暗殺に加担しても」

「ええ」

「歳三の言うこと、わからないわけじゃないんです。『諸士調役』は確かに必要だと思うし、それに女として参加すれば、敵の目を欺ける。頭に、と言ってくれたのも、歳三なりに私に花を持たせようとしてくれてるんだろうなってことも。でも、それでいいのかって。勇や歳三と、武士になろうって言ったのに、あの二人に水を空けられるんじゃないかって、私だけ蚊帳の外に置かれるんじゃないかって、そんな風に思ってしまうんです」

 さくらの口からは堰を切ったように悩みの正体が語られた。山南は、それを黙って頷きながら聞いていた。

「さくらさん、上洛前に、言ってましたよね。『皆と同じ土俵に上がるのが大変だ』と。私は、『きっと上がれますよ』なんて言ったと思いますが、さくらさんは、もう十分土俵には上がれていると思うんです。その上で、ですが」

 山南は、まっすぐにさくらの目を見た。さくらはどきりとして、視線を逸らしそうになったが、なんだか逸らしてはいけないような気がして同じく山南の目を見つめた。

「ここからは、別の道から武士を目指していく、というのも一つの手なのではないでしょうか。なんといいますか、江戸から京へ行くのに東海道と中山道があるような。武士になる道は一本道じゃない。何も、さくらさんが男として振舞おう振舞おうとしなくてもいいと思うんです」

 目から鱗が落ちるようであった。

 対等に、対等に、がむしゃらにやってきた。だが、それはどこか息苦しさを伴うものでもあったのだと、ストンと腑に落ちたような気がした。

「算術が得意な河合さんが勘定方になったり、京都の地理に詳しい人たちが諸士調役になったり、適材適所、それぞれが得意なことを生かして任務を全うすることで、新選組はより強固に、大きくなっていくんじゃないでしょうか」

 ふわり、と微笑む山南につられて、さくらも笑みを零した。

「本当、山南さんには敵いませんよ」

「買いかぶりでしょう」

 さくらは、芹沢の墓石に視線を移した。

 ――芹沢さん、あなたの産み出した新選組、私が、私たちが育てます。

 そんなことを、胸の内から語り掛けた。


***


「なあ勝っちゃん、これでよかったと思うか」

 歳三はぽつりと言った。さくらと、追いかけていってしまった山南がいなくなり、部屋は急にしんと寂しくなっていた。

「もちろんさ。お前が間違っていると思ったら、おれは全力で止めに入る。だから、おれが止めない限り、お前は好きなようにやってくれ」勇はにこりと笑みを浮かべて答えた。

「そんなんでいいのか。局長は勝っちゃんだろ」

「ああ。だからこそだ」

「そうかい」

「さくらのこと、守りたいんだろ」

 俯き気味だった歳三は、バッと顔を上げた。今まで口には出さなかったことを軽々と言ってのけた勇に、驚きの眼差しを向ける。

「今は、剣の実力で大多数の隊士を上回っているから、彼らも一目置いているが、今後隊士が増えればそれだけでは脆い。『剣術師範』『副長助勤』以外の役どころを作って、隊内でのさくらの地盤を固めたいんだろ」

「お見通しかよ」歳三はそう言って、渋々ながら認めた。

「さくらは、きっと引き受けてくれるさ」

 勇は、ニッと笑った。

「本当、勝っちゃんには敵わねえな」

 歳三は、勇に背を向け、ごろんと寝転がった。





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