37.謀略(前編)



 四条堀川。

 夜の闇に紛れて、更に見つからぬよう物陰に隠れて、息を潜めるのは芹沢一派の五名と、山南、平助、佐伯。

「来ました。芹沢さん。今です」山南が声を低くして言った。

「僕、もっと前に出て様子を見てきましょうか」

「藤堂、野口、通行人を装って確かめてこい。今まで清川の前でもさほど存在感のなかったお前たちならわからぬだろう」

 新見の言葉に、平助は顔をしかめながら物陰から出た。

 たった今、角を曲がって先へと歩んでいく二つの人影を、抜き足差し足で尾ける。

 ひゅうと吹いた風が雲を動かすと、月が顔を出した。

「野口さん、間違いないよ。芹沢さんたちに知らせてきて」

「わかりました」

 平助は、人影を見失わぬようそのまま後をつけた。

 やがて、背後から足音が聞こえ応援が来たと察した平助は、二人の左側を歩いていた男に背中から体当たりを食らわせ、その場に転ばせた。

「な、何をする…あなたは…!」

「ごめんなさい、山岡さん」

 平助は山岡の後ろ首に手刀を食らわせると、すぐ後ろに来ていた野口と共に道端に運んでいった。

「な、何者だお前たち!」異常事態に気づいた清川は、刀の柄を握った。

 すでに目の前には、芹沢、新見、平山、山南が並び同じく刀の鞘を握りしめて立っている。

「おのれ、芹沢…!」

「ご公儀に背いた咎だ」芹沢は清川を睨みつけた。

 その場の空気がピンと張り詰める。

 芹沢は、スラリと刀を抜いた。

 清川も、抜いた。

「ヤッ!」

 芹沢は清川に向かったが、相手ははなから戦う気はなかったようだ。近くにあった大量の木材を芹沢に向けて転がすと、一目散に逃げていった。

「野郎…!」

 平助と野口を残し、芹沢たちは清川を追いかけた。

 しかし、その逃げ足は伊達ではない。

 たちまち見失ってしまった。

「ちきしょう…」舌打ちする芹沢に、山南が「あとは、近藤先生たちの方でうまく迎え撃てればよいのですが」と声をかけた。

 

 一方で、さくら、勇、歳三、総司、源三郎、新八、左之助、斎藤の面々は、仏光寺通ぶっこうじどおりで清川を待ち構えていたが、待てど暮らせど獲物は現れない。

「こちらがハズレくじか…」さくらは溜息をついた。

「そのようだな。もう一時近くは経つぞ」歳三は苛立ちを隠そうともしない。

 そうしているうちに、やがて夜明けが近づいてきてしまった。


 壬生浪士組最初の仕事「清川暗殺」はあえなく失敗に終わった。

 翌朝には、江戸へ帰還することになっていた大多数の浪士が、ついに京都を出発。先頭には、何事もなかったかのように隊列を率いる清川の姿もあった。

 さくら達も、白昼堂々清川を斬り捨てるわけにいかず、江戸へ帰っていく清川の姿を指をくわえて見ているしかなかった。

 ちなみにこの暗殺を指示したのは、鵜殿と佐々木。し損じたことを早速報告すると佐々木は憤慨したが、「あとはこちらで」と意味深に言ってのけたのだった。

 事実、この一カ月後、江戸に戻った清川は佐々木によって暗殺されることとなる。


 とにもかくにも、会津藩御預の壬生浪士組は、このような波乱の幕開けとなった。

 例の嘆願書は無事に受理され、組頭に一度会っておきたいという藩主・容保の要望で、勇と芹沢、そして殿内が代表して黒谷の本陣に参上した。

「知っての通り、昨今の京の町は日に日に物騒になっている。我々会津藩だけでは手に負えないほどだ。それゆえに、そなたらの働きに、期待しておる」

 藩主・容保は人の良さそうな顔をして勇たちにそう言葉をかけた。三人は、「ははーっ!」と深々頭を下げ容保の言葉に応えた。

 特に、勇は嬉し涙を必死にこらえながらのお辞儀であった。

 一介の農民で、貧乏道場の主であった自分が、一国の主に拝謁し激励の言葉をかけてもらった。

それだけで、言葉には言い尽くせないものが胸にこみ上げてくる。必ず、務めを果たしてみせる、と勇は胸中で強く誓った。


 さて、嘆願書の筆頭に名前を書いてあったのは「芹沢鴨」「近藤勇」であったのに、なぜこの期に及んで三人目の代表者として殿内が出てくるのか。もちろん、鵜殿の差し金ではあるのだが、当然さくら達はそれを知る由もない。それでも、殿内には何かがあるはずだ、ということだけは疑っていた。何しろ、嘆願書を黒谷へ持っていったのは殿内である、というところまでは掴んでいたわけで。

 そうでなければ、そもそも殿内が本当に京に残ったことが不可解でならない。なんと言ってもさくら達を毛嫌いしているのだから。さくら達は殿内の真意を知るために彼と家里の動きに注視していた。そうしてある日、殿内と家里が出かけていくのをさくらと山南が尾行することになった。

 尾行の人選では、殿内との因縁が最も深いのは自分である、とさくらが自ら役を買って出た。そして、誰あろう山南が同行すると言い出したのである。

「連れだって歩いている方が何かあった時に安心でしょう。彼らの動きは、私も前から気になっていましたしね」

 そう言って、当たり前みたいに隣を歩いている山南の存在に、さくらは一瞬任務を忘れそうになったが目だけは殿内らの背中から離さなかった。

 やがて、二人は殿内と家里が茶屋に入ったのを確認し、追って店内に入ると死角になる座席を陣取った。表情を窺い知ることはできないが、会話の内容は十分聞こえた。

「殿内さん、これからどうするんですか。会津の預かりになったってことは、もう鵜殿様からは梯子を外されてしまったのですか?」家里が心配そうな声色で聞く。

「そういうわけではない。鵜殿様は確かに、これからも浪士組の様子を逐一報告するようにと言い置かれた。会津の預かりになったとはいえ、あんな不逞の浪士と紙一重みたいな連中に上様の警護なぞ勤まるわけはない。とにかく、今はこちら側の人間を増やさねば」

「確かに、今は事実上芹沢一派と近藤一派が牛耳っていますからね」

「そんなにはっきり言うことか!それに、あの女だ」殿内はため息をついた。

「あの女が何食わぬ顔で浪士組にいることをなぜ皆疑問に思わぬ。あいつこそ、江戸に帰るべきだったんだ。前回は失敗したが、次は必ず仕留める。あのような女、寝首をかけば造作もない」


 さくらは山南を見た。山南も、黙ってさくらを見つめ、頷いた。

 命を狙われている。前回、殿内に刀を向けられた時は無我夢中でじっくり感じることはなかったが、改めてそういう台詞を聞くと、身の引き締まるような、心の臓がブルリと震えるような心地した。

 さくらと山南は一言も発することなく、茶を飲み、団子を食べた。店の者が、「あのお客さん、なんかワケ有りなんやろか」と陰で言うほどに、二人の間には一切の会話もなかった。

 やがて、殿内と家里が店を出るのを確認すると、山南が先に口を開いた。

「間違いないですね」

「ええ。やはり、誰か幕府の人間の息がかかっているとは思いましたが、鵜殿様だとは…」

 さくらは肩を落とした。自分の味方をしてくれていたと思っていたが、結局全幅の信頼を置かれていたわけではなかったのだ、と。

「さくらさん」山南はそんなさくらの気持ちを察したのか、優しく名を呼んだ。

「こういうことがあると、疑心暗鬼になってしまうこともあるでしょう。ですが、我々は先に進まなければいけません。その為には、私たちは、私たちだけは盤石でいることが重要です。大丈夫。ここまで来たんです。近藤先生も、土方くんも、もちろん私も、何があってもあなたの味方ですから」

 そう言って自分に向けられた笑顔に、さくらは体中の澱がさらりと流れていくような心地に包まれた。


 八木邸に戻り勇たちにこのことを報告すると、勇は珍しくその顔に怒りの表情を浮かべた。

「一度ならず二度までも。決まりだ」

「ああ。殿内を、斬る。うかうかしてたら、さくらが狙われる」歳三が続いた。

「まあ、姉先生があの人に斬られるとも思えませんけど」と総司。この場には試衛館の面々しかいないから、歳三も総司も自然江戸にいた頃のようにさくらを呼ぶ。

「討っ手はどうします」新八が言った。

「俺と、総司でどうだろう。さくら本人を行かせると、向こうが逆上して火事場の馬鹿力のようなものを発揮する可能性もある」

「トシ、待て」「歳三、待て」

 勇とさくらが同時に言った。二人は驚いた表情で互いを見た。他の面々も二人を見た。

 まず、さくらが「私が行く」と毅然とした面持ちで言った。

「これは、私が片づけなければいけないことだ。歳三や総司にやらせて自分は安全なところで待っているわけにはいかない」

「そうは言うけどよ…」ここ最近の歳三には珍しく、言葉から勇ましさが消え、さくらを心配するような声色だった。

 勇も続いた。

「トシ。さくらの言うことももっともだ。大丈夫。さくらはし損じたりしない。それに、おれも行く」

「勝っちゃん、大将はでんと構えてろって言ったろ。汚れ仕事は俺らでやるって」

「おれは、人を斬ったことがない」

 勇の言葉に、全員が沈黙した。

「実戦剣法の天然理心流宗家とは言いながらも、人を斬ったことがないおれが、大将だ大将だと言って安全なところでふんぞり返り、汚れ仕事を門弟のトシや総司にさせる。おれはそんな師匠にはなりたくない。おれにやらせてくれ」

 勇とさくらの目を見て、歳三はふっと笑った。

「ったく、困った宗家と師範代だぜ。皆、異論はないな」

 二人の決意を、皆理解してくれたようであった。誰も何も言わず、ただ頷いた。

 清川の暗殺未遂から間もなく、今度はこうして殿内の暗殺計画が持ち上がったのであった。

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