36.会津藩

 翌日、とにかく会津との接点を持とうとさくら達は動き出した。

 まず、浪士組を会津で雇ってもらいたい、という内容の嘆願書を用意した。この時、後々しばらく使うことになる「壬生浪士組」という名称が生まれることとなる。

 そして、嘆願書には全員が署名をするわけだが、ここで芹沢が思わぬ提案を持ちかけた。

「島崎、お前、女の名前で署名したらどうだ」芹沢がニヤリと笑った。

 これには、さくらを含め試衛館出身者一同、「なっ」と言葉を詰まらせた。

「もうこのことでガタガタぬかすお偉いさんもいねえ。組頭の俺と、近藤だって当然もうわかってんだから窮屈な思いをすることもなかろう」

 いつの間にあんたが組頭になったんだ、と歳三の顔にはありありと書いてあったが、今その内容で喧嘩をふっかけるべきではないということも誰もがわかっていたから、山南と源三郎が「まあまあ」という視線を歳三に投げるに留まった。

 当のさくらと言えば、そう言われると少しだけ心が揺らいだ。

 島崎朔太郎と名乗ることで、当初は男だと思われるものの、なんだかんだで女であることはこの先ばれていく可能性が高く、それなら最初から、とも思った。事実、江戸から京都への道中で、「バレるのではないか」と気を張り詰めていた前半の道のりより、バレてしまった後の後半の道のりから今現在の方が格段にいろいろと動きやすかったということもある。

 だが、さくらが答えるより早く口を開いたのは意外な人物であった。

「なりません」山南である。

「芹沢さん、会津のじゅうの掟というものをご存じですか。あの中には、戸外で女性と会話をすることさえ禁じる一文がある。そして最後には『ならぬことはならぬ』と。そんな家風の会津藩への嘆願書に、女子の名前など書いたら、通るものも通らなくなってしまいます」

 さくらは、少しだけ胸がチクリと痛んだのがわかった。

 組のためとはいえ、「女子の自分」を山南に認められていないような、そんな気がしたのだ。

「サンナンさん、そんな言い方ねえだろ」歳三が言った。

「もちろん、これは嘆願書を出す時の話です。いつか、島崎さんの人物や剣術の腕前が会津中将あいづちゅうじょう(松平容保のこと)様の知るところとなった後に、女子と知れても大丈夫かどうか、様子を見ましょう」

 そう言って、山南はさくらに笑いかけた。さくらはそれだけで、先ほどのもやもやした気持ちも忘れ、「はい」と無意識に頷いた。

――やはり、山南さんには考えがあったのだ。

 これが惚れた弱みというやつか。山南の言うことなら、それに委ねようとさくらは思ったのだった。

 

 そうして出来上がった嘆願書を持って、さくら、山南、新見の三名がまだ京に滞在していた鵜殿を訪ねた。

「よかろう。嘆願書を、京都守護職に取り次ごうではないか」鵜殿は人の良さそうな笑顔ですんなりと嘆願書を受け取った。

「ありがとうございます!」三人は深々と頭を下げた。

「実のところ、そなたらが残るという話を聞いてな、心配しておったのだ。何も後ろ盾のない状況でどうするのか、とな。だが会津であれば過激な尊攘派を取り締まるという目的は同じ。きっと良きに計らってくれることだろう」

 鵜殿の言葉には半分の真実が現れ、半分の真実が隠されていた。心配していたというのは、過日浪士取締役に話した通り「何かあった時に幕府が泥をかぶることになるのではないか」という「心配」である。その泥を会津がかぶってくれるのであれば好都合というわけだ。もっと言えば、鵜殿はさくら達の嘆願書などなくとも、すでに会津に掛け合うことを決めていた。近々に、殿内らを京都守護職の本陣である金戒光明寺こんかいこうみょうじに派遣するつもりでいたのだ。

 もちろん、鵜殿がそんなことまで考えているとは知らない三人は、嘆願書を受け取ってもらえたことに感謝し、安堵した。

 ちなみに、この鵜殿への嘆願書を持ち込む人選は、歳三が決めた。試衛館組からは、鵜殿からの覚えが良いさくらと、人当たりがよく交渉向きである山南。そして、その二名だけでは芹沢組に対して角が立つからという理由だけで、新見を選んだ。

「会津の藩士に出くわした時に、かしらの顔を覚えてもらった方がいい」

 そう言って、勇と芹沢には市中に出るよう勧めた。鵜殿への交渉に芹沢を行かせればまとまる話もまとまらない可能性があると踏んで、そちらの人選からは外したかったという別の理由もあったのだが。さくらに反比例するように、鵜殿が芹沢をよく思っていないことを、歳三はこれまでの様子で察していた。

 かくして、勇たち試衛館出身の七人と、芹沢、平山、平間、野口、斎藤、佐伯の十三人は徒党を組んで市中を練り歩いた。

 殿内や家里、上洛時に浪士組の一番組組頭を務めた根岸らの姿はない。

 勇は彼らにも声はかけていた。大勢で徒党を組む方が目立つ。そして会津藩の知るところとなる可能性が高い。だが、「そんな策をろうして何になる」と彼らは取り合わなかった。

「歳三さん、そも不逞の浪士って、どういう人が不逞の浪士なんですか」総司が隣を歩く歳三に尋ねた。

「怪しいと思ったやつだ」

 総司はぷっと噴き出した。後ろで話を聞いていた平助と左之助も、くっくっと笑いを押し殺した。

「てめえら、真面目に歩きやがれっ!」歳三は笑いが止められない三人を一喝した。

 総司の質問にこうした曖昧な答え方をしてしまったのは他でもない、歳三も誰が「不逞の浪士」かはわからないからだ。

 あからさまな犯罪行為や事件が発生すればもちろん捕まえて奉行所に突き出すまでだが、さすがに今日の今日でそんな事態に出くわすほど、ひっきりなしに事件が起きているわけではない。

 今はとにかく、町中を歩く。

 これが、のちに歳三たちの活動の基本となるわけだが、それはまた先の話。

 一刻いっこく(二時間)ほどぐるぐると町を歩き回ったが、特に何も起きなかった。一行は、今日はこのくらいにして八木邸に戻ろうと帰路についた。

 しかしその直後、歳三が狙った通りの出来事が起こった。

 一行の前に、身なりのいい侍が三人現れた。

 今まですれ違った町人や浪人風情とは明らかに出で立ちが違う。一定の階級以上の侍であることは間違いなかった。

 三人は歳三たちの目の前に立ち止まると、訝しげな視線を投げた。

「その方ら、何をしているのだ」

 真ん中の男が睨みを利かせたが、勇は今が好機とばかりに怯まず答えた。

「上様の警護です」単刀直入に、そう言った。

「上様の警護だと…?上様は今二条城におられる。お主らの警護など必要ない」

「我ら上様が安心してお過ごしいただけるように、市中の警護をしている者だ」勇の隣に立っていた芹沢は、男を睨み返すように見た。

「何が市中警護だ。町の者から、怪しい連中が徒党を組んで闊歩しているという報告が入って来てみれば。お主ら、何者だ」

「先日京に参りまして、今は壬生村に滞在しております、浪士組の近藤勇と申します」

「浪士組組頭の芹沢鴨だ」

 さりげなく自分だけ名乗る時に「組頭」をつけた芹沢に、歳三が小さく舌打ちをしたことには、誰も気づかなかった。

 面倒ごとが起きぬよう、芹沢が比較的酒を飲むことが少ない午前中を市中警邏の時間に選んだわけだが、素面しらふの芹沢は頭の回転が良く、それが裏目に出てしまった、と歳三は思った。

 すると、右端に立っていた男が、真ん中にいた男に何やら耳打ちをした。

 真ん中の男は合点がいった、という顔をすると少しだけ警戒を解いたような調子で言った。

「そうか。お前たちが、例の浪士組か。近々江戸へ戻ると聞いたが」

「ええ。ですが、我々は京に残り、上様の警護を続けていく所存です」

 勇があまりにきっぱりと言うので、男たちは驚きの色を見せた。

「失礼ですが、そちらは。我々のことをご存じなのですか?」勇が続けた。

「私は会津藩士、広沢富次郎。京都守護職・会津中将様にお仕えしている身である」

 これには、全員慌てて地面に跪いて頭を下げ、「これはこれは、そうとは知らず飛んだご無礼を」と芹沢が謝った。

「おやめなさい、このような往来でそんな真似をするものではない」広沢が促すと、一同は頭を上げた。

「浪士組か、覚えておくぞ」

 広沢はそれだけ言うと、踵を返して去っていってしまった。

「お咎めなし…ってことですかね?」平助が小さく言った。

「勝っちゃん、この好機を逃す手はねえ!行け!」歳三が勇の背中を押すと、勇はハッとしたように「そうだな!」と言って広沢を追いかけた。

「お待ちください!」

 振り向いた広沢の目を、勇はじっと見据えた。

「我ら浪士組を、会津藩のお預かりにしてはいただけないでしょうか。只今、幕臣の鵜殿鳩翁様づてで、会津侯松平容保様への嘆願書を提出する考えでおります」

「な、なんだと…?」

「嘆願書お受け取りの暁には、ぜひとも、前向きにご検討いただきたく、平によろしくお願い申し上げます!」

 そう言って折り目正しく頭を下げる勇に、広沢は戸惑いの色を隠さなかった。

「保証はできぬ。だが、話すだけは話してみよう」

 勇はその言葉を聞き、パッと顔を上げて満面の笑顔を見せ、「ありがとうございます!」と大きな声で礼を言った。


******


 京都御所の東に位置する金戒光明寺・通称黒谷。

 嘆願書に目を通すのは、会津藩主・松平容保である。

 その様子を、ずらりと並んだ会津藩士たちが見守っている。

「広沢。そちはこの浪士組に会ったと申しておったな」

「はっ。そちらにもございます組頭を名乗る芹沢、近藤両名と少し話をしました」

「やはりその者らが組頭であるか。この嘆願書を持ってきた殿内という男は、自分が組頭だと主張しておったのだが」

 容保は嘆願書に視線を戻した。書面の先頭には芹沢、近藤、の順で名前が並んでいる。

「それは存じ上げませんでしたが…」広沢は口ごもった。

「殿、誠にそのような怪しい連中を会津で預かるおつもりですか」苦言を呈したのは藩士の山本覚馬やまもとかくま。西洋式砲術の知識に長け、重用されている人物だ。

「確かにこの者らは素性の不確かな浪人たちだ。だが、広沢、そちの目で見た彼らは如何であった」

「はっ。彼らは徒党を組み、市中の警護と称して見回りをしておりました。危害が加えられたという報告もなく、その点については真かと思います。それに」 

 広沢は一息つくと、まっすぐに容保の目を見た。

「近藤勇という男。あの目には一点の曇りもございませんでした」

 その言葉を聞いて、容保は嬉しそうに頷いた。

「決めた。浪士組を京都守護職の預かりとしよう」

「しかし、殿…」まだ不服そうな山本は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「山本。京の治安維持に我らも想定より手を焼いていることは認めざるを得ないであろう。浪士組を預かることで、利害が一致するとは思わぬか?」

 そこまでおっしゃるのなら、と山本はそれ以上口ごたえをせず、頭を下げた。

「広沢。しばらくは浪士組の取次役を任せる。まずはこの嘆願書の返事だ」

 広沢は「はっ」と頭を下げた。

 容保はもう一度嘆願書を見た。

「近藤勇、か」

 そうつぶやいて微笑み、嘆願書を丁寧に折りたたんだ。


 こうして、壬生浪士組は晴れて会津藩の預かりという身分を得た。京に入ってから、十日足らずでの出来事であった。

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