26.浪士組の知らせ
文久三(一八六三)年 一月
その知らせを持ってきたのは、新八だった。
「知り合いのツテで聞いた知らせなのですが」
と、新八は一通の書状を披露した。
その内容は、三月に上洛する将軍家茂の警護をするため、浪士組を結成するというものだった。
条件は、尽忠報国の志のある者。身分は問わず、参加すれば支度金として五十両が配られる、ということだ。
ちなみに、一両は現在の価値にすれば二十万円とも、三両あれば子沢山の家族でも一か月楽に暮らせたとも言われているから、五十両というのが破格の値段であることがわかるだろう。
「すごいじゃないですか!これって、公方様の警護で京に行けるってことですよね!」総司が無邪気に目を輝かせた。
「それによ、五十両だってさ!それだけありゃ何ができるかな~」左之助も興奮気味だ。
「とりあえず、道場の屋根の修繕と、傷んだ畳の交換とか…」源三郎が指折り数え始めた。
「おい新八」歳三が盛り上がる男たちに水を差すように声をかけた。
「本っっ当に身分を問わないんだろうな?」
さくら、勇、歳三、山南だけがその話を眉に唾つけて聞いていた。
諸手を挙げて参加したいのはやまやまだった。将軍警護などという「武士らしいこと」ができるのであれば、またとない好機である。が、講武所の一件がやはり引っかかる。
「蓋を開けたら実はまた身分重視でした、というオチには騙されぬぞ」さくらは腕を組んで新八、もとい新八の持っている書状を睨みつけた。
「恐らく、今度こそは大丈夫だと思いますが…」新八は書状をさくらに手渡した。隣に座っていた勇と歳三がそれを覗き込んだ。
書状の最後には、この浪士組立ち上げの責任者として、
「山岡って、またこいつが絡んでんのか」歳三は苦虫を噛み潰し、「ますます胡散臭ぇ」と鼻を鳴らした。
「念のため、聞きにいくか?」勇がしぶしぶといった顔で言った。
「うーん……」さくらも言葉を詰まらせた。勇も同じ気持ちだろうと思った。要するに、もう気まずくて山岡とは関わり合いになりたくない、という気持ちだ。
「皆で、行きましょう」山南が言った。
この提案に、さくらも勇も乗った。
弁の立つ山南という心強い存在は、二人に勇気を与えた。
かくして、九人で雁首揃えるわけにもいかぬと、試衛館選抜――さくら、勇、歳三、山南――の面々は、講武所の山岡を訪ねた。
「またお会いできるとは、嬉しいです」
四人を前に、山岡は本音か社交辞令か、そんな風に言葉をかけた。
「本日伺ったのは他でもありません。浪士組のことについてです」勇が単刀直入に言った。
「尽忠報国の志ある者、身分は問わずとありましたが、それは真ですか」
山岡はわずかに笑みを浮かべ、勇を見た。
「ええ。もちろんです」
その答えに反応したのは、歳三だった。
「二言はありませんね」歳三は挑戦的な眼差しを山岡に向けた。
「むろん。あなたも、浪士組の参加を希望されるのですか」
「ええ。土方歳三。多摩の百姓です。私のような者でも参加が可能ということでよろしいですね」
再度確認するように歳三が言うと、山岡は「ええ、もちろんです」と答えた。
さくらは、歳三のトゲのある言い方に内心ひやひやしながら、自分のことを確かめるべく、「山岡様」と声をかけた。
「私は、浪士組に入れますか」
山岡はしばらく考え込んだ。やがて、言いにくそうに言った。
「残念ですが、尽忠報国の士は男子にのみ、その資格があるというのが、松平殿、清川殿の見方です」
さも、さくらが来るのを見越して用意していたような答えだ。おそらくそうなのであろう。さくらは、唇ときゅっと結んだ。
「お言葉ですが」口火を切ったのは山南だった。
「こちらの近藤さくらが剣術の腕に長けていることは山岡様もご存じのはず。必ずや、上様の警護にあたってお役に立てると存じますが」
さくらは山南を見た。嬉しくて、なんだか胸に暖かいものが広がるような気持だった。
「ええ。それは十分、承知しております。近藤殿が男子であったならば、ぜひとも浪士組に入り、上様のためにその力を発揮していただきたいと、思っております」
さくらは、絶望的な気持ちで山岡を見、「承知致しました」と儀礼的な返事をした。
帰り道、歳三がおもむろに言った。
「さくら、お前、男装してったらどうだ」
「な、トシ、お前何言って…」勇が驚いて言ったのを、山南が「私も」と制した。
「同じ考えです」
山南は「ついていけない」という顔をしたさくらを見て言った。
「山岡様のあの言い方、松平様や清川様のことはわかりませんが、少なくとも山岡様は、さくらさんが"男子であれば"入ってよい、つまり女子だとばれぬようにすれば、参加してもよいという意味にも取れました」
「え…?」
「もちろん、決めるのはさくらさんです。我々よりも、ふとしたことで苦労することも多いでしょう。まずは髪も切らなければいけないでしょうし、京都までの道中、他の男連中と寝食を共に――同じ部屋で寝るという意味ですが――そういう、女子だからという配慮の一切ない状況に置かれます」
さくらの絶望的な気持ちに光が差すようだった。もともと、寝食を共にしたり、女子としての配慮を求めるつもりはなかった。髪を切る、というのだけが引っかかるが―――
「もとより覚悟の上です。武士になるためなら、髪くらい、いくらでも切りましょう」さくらは言ってのけた。
「あ、でも、
歳三がぷっと笑った。どちらにせよ、試衛館で律儀に月代を入れている者はいなかった。
勇は、心配そうな顔をしてこの話を聞いていた。
「だが、もしその清川様たちにばれたらどうするんだ…?新八の話だと、集まるのはせいぜい四、五十人だと言っていたぞ。いくら男装したところで、声とか、そういうので、ばれるんじゃないか?」
「ばれたら、どうなるのであろうな…」さくらが言った。
「江戸に追い返されるか、最悪、切腹かもな」歳三が言った。その言葉に、さくらは全身がぞわりと総毛立つような気がした。
「でもよ、さくら。お前が武士になるっていうのは、そのくらいの覚悟がいるってこった。それに、俺たちだって物見遊山に行くわけじゃねえ。向こうで敵に斬られて死ぬかもしれない。命が惜しけりゃハナからこの話に乗る資格なんかねえんだよ」
さくらは歳三を見た。なんだか急に、歳三が頼もしく思えた。
「それも、そうだな」
勇だけが、なおも納得いっていないような顔でさくらを見ていた。
「とりあえず、さくら、父上に知らせに行こう」
その後、さくらと勇だけ、歳三、山南と別れて四谷にある周斎の家に向かった。
「勇。気をつけて行ってこい。さくら、お前は残って道場を守れ」
話の概要を聞いた周斎は、あっさりとそう言ったのだった。
「ち、父上、お待ちください。なぜ私は残らねばならないのですか?」
「なぜも何も、当然だろう。みんなで行っちまったら、誰が試衛館の番をするんだ」
「そ、それは、門人の皆で…。家のことならツネさんもいますし…」
「そういうわけにもいかんだろう。それに、女だってばれて斬られたらどうすんだ」
「その覚悟はあります。もとより、武士とは死と隣り合わせ。命を惜しんで勤まるものではありません」
「ばかやろう。武士が死と隣合わせってのは、敵と相対する時に使う言葉だ。お前がやろうとしてんのは、味方、つまり上様を欺くってことだろう。そんなことしたら、武士道が泣くって言ってんだ」
さくらは言い返すことができなかった。ここで「武士道」という言葉を出してくるなんて狡い。
「では、私はどうして武士になれるというのですか!?」さくらは語気を荒げた。
「道場を守れ。腕を磨け。そうしていれば、いつかきっと道は開ける」
「ならば、なぜ私に宗家四代目をお譲り下さらなかったのですか!」
今度は、周斎がぐっと口をつぐむ番だった。しかし、
「そりゃおめえ、勇に負けたからだ」とだけ言った。
さくらは拳を握りしめた。
「私も一端の大人でございますから、もとより父上のお許しがなくても、自分の道は自分で決めさせていただきます。然らば御免!」
さくらは堅苦しい捨て台詞と吐くと、勢いよく立ち上がって、部屋を出ていった。
ちなみに、このやりとりを勇はどうしたらよいかわからずただ見守るしかなかったのだった。
「勇、とりあえず、さくら追っかけてやってくれ」
周斎に言われ、勇は慌てて立ち上がり、さくらを追って周斎の家をあとにした。
「勇、なぜ助太刀しなかった」追いついた勇に、さくらは開口一番そう言った。
「助太刀って…」
「私も一緒に行くのだと、なぜそう言わなかったと言っているのだ。まさか、父上の『武士道が泣く』というくだりに感化されたのではあるまいな!?」
「う…」
図星だった。
勇の考えとしては、「武士になる」というのは、単純に武士身分を得ることではない。それならば、以前にも話題に上った「御家人株を買う」という手段もある。歳三が昔、「軟弱な名ばかり侍に幻滅した」という話をしていたが、そういう武士ではなく、勇の思い描く武士は、小さい頃読み聞かせられた「三国志」の関羽のような、主君への忠義すなわち「尽忠報国」の志を持ち、公方様のために働く者のことであった。
という定義に照らし合わせると、周斎の発言には一理あると思ってしまったのである。
「ふん、お前も同じか…」
さくらはそれだけ言うと、スタスタと先に帰ってしまった。
「おい、さくら…!」
勇は追いかけようと思ったが、追いついたところでかける言葉がわからず、わざと歩みを遅めてばらばらに試衛館まで帰った。
しかし、さくらが向かった先は、試衛館ではなかった。なんとなくこのまま帰って勇と顔を合わせるのが気まずいと思ってしまい、宛てといえばここしかなかった。
「おや、さくらさん、どうされました?」
山南は少し驚いたような顔をして、さくらを出迎えた。ここは、山南が住んでいる長屋である。
「申し訳ありません、今夜、こちらに泊めていただけませんか」
「ここに、ですか?いったいまた何故…」
さくらは山南に事情を説明した。山南は、「そうですか」と言ってさくらを中に招き入れた。
山南は、簡単にお茶を入れると、さくらに手渡した。さくらはお茶を一口飲んで息をついた。
「さくらさんがこちらに泊まるのであれば、私は今日試衛館の方に世話になりますね」
「えっ」山南を追い出すような形になってしまうことに、さくらは今更罪悪感を覚えた。
「すみません、ご迷惑をおかけしてしまいますね…確かに、私が泊まったら手狭になってしまう」
「手狭、確かに、そういうこともありますが、やはり夫婦でもない男女が同じ長屋で夜を明かすわけにもいきませんからね」
言われて、さくらは、「ああ」と思った。
―――結局、私は女なのだ。
たとえ色気のない雑魚寝であっても、男と同じ部屋で寝るのに、覚悟がいる。
髪を切るのだって、本当はまだ、少し抵抗がある。
「男装して男として生きる」からには、もう振袖や女ものの着物に袖を通すことはない。
どうして、男たちにとっての「当たり前」のことに合わせるのに、女の私はこんなにも覚悟ばかりを求められるのか。
そう思ったら、なんだか泣けてきた。
「さくらさん?」
山南が、優しく声をかけた。
「山南さん、どうして私は女子なんでしょうね」
さくらの問いに、山南は答えない。
「困らせることを言って申し訳ありません。ただ、女子というだけで、皆と同じ土俵にすら上がれないのが、土俵に上がるために乗り越えるものが多すぎる…」
「さくらさん」
山南の優しい眼差しを、さくらは直視できなかった。
「確かに、あなたは私たちより、土俵に上がるのに苦労を要するでしょう。しかし、日本広しといえど、その土俵に上がれる女子はさくらさんしかいないと、私は思います」
「山南さん…」
「大丈夫。さくらさんは、武士になれますよ」
さくらは、なんだかよくわからないが、心臓の鼓動が速くなるような気がした。そして、体中がじんわりと暖かくなった。これはお茶のせいかもしれないが。
「ありがとうございます」
さくらがそう言うと、山南は少し思案顔をし、やがてこんなことを言った。
「やはり、今日はここで二人で寝ましょう」
「へっ?」とさくらは素っ頓狂な声を上げ、危うくお茶を零しそうになった。最初に泊めてくださいと言った時は当然にそういうものだと思っていたが、「夫婦でもない男女が」の台詞を聞いたあとだと、急に恥ずかしくなってきた。
「先ほども申しましたが、京へ行く道中、当然男と相部屋で寝ることもあるでしょう。今から慣れておくのも手かと」山南はさらりと言った。
「そ、そうですね…」
さくらは断る理由を見つけることができなかった。
一方試衛館では、勇たちがさくらの行方を心配していた。
「おれより先に行っちまったから、絶対先に着いてると思ったんだがなあ…」勇が心配そうに言う。
「サンナンさんのとこでも行ってんじゃねえのか。ここ以外にそこしか宛てなんかねえだろ」と左之助。
「ずっと昔、日野まで家出したこともあったけどなあ」源三郎が懐かしそうに言った。
「あ、山南さん!」
平助の声に、全員が振り返った。
土間の方に、山南が現れていた。
「山南さん、さくらそっちに行ってませんか」勇が尋ねた。
「ええ。来ていますよ」
「やっぱり」
「今日は、うちに泊まるらしいです。握り飯と漬物をいくらかもらっても?」
山南はそう言うと、台所の戸棚や釜の中からせっせと食材を取り出して、包んでいった。
「ってことは、サンナンさんは今日はこっちに泊まるのか?」歳三が尋ねた。
「いいえ。私も長屋に帰ります」
えっ!と全員が声を上げた。ひときわ大きい声を出したのが歳三であった。
「浪士組でやっていくためには、これ以降さくらさんを女子扱いしないのが一番ですからね」
涼しい顔をして言う山南に対し、全員何も言えずあんぐりと口を開けるのみだった。
「サンナンさん」歳三が最初に言葉を発した。
「手ぇ出すなよ」
「当たり前じゃないですか」
その言葉には少しだけ怒気を孕んでいたようにも見えた。
その夜、さくらは眠れないでいた。
寝返りを打てば簡単に触れてしまいそうな距離で、山南はすやすやと寝息を立てている。
さくらは山南に背を向けて寝ていたが、そうっと体制を変えて山南を見てみた。
すると、山南と向かい合う恰好になった。さくらはその寝顔をまじまじと見た。
―――寝顔、かわいい…
ハッとして、何を考えているんだ、と思い直し、さくらは再び山南に背を向けた。
―――もし、山南さんに奥さんがいたら、このような感じなのだろうか…
……山南さんの妻なら……なってもいいかな…
さくらは、がばっと体を起こした。
幸い、山南は気づくことなく眠っている。
―――本当に、さっきから、私は、何を考えているのだ…
心臓の音がうるさい。そのせいもあって、眠れない。
胸が、苦しい。ざわざわするような、くすぐったいような、奇妙な感覚に襲われる。そう思った瞬間、いつだか里江に言われたことを思い出した。
『気づいてしまえば、胸が苦しくなってしまいますから』
―――里江が言っていたのは、このことなのか?だとしたら…
さくらは、ついに気づいてしまった。
こんな時に、どうして、自分は女子なのだ。
これから私は武士になるのに。
どうしてこんなにも、女子なのだ―――
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