第11話 秘めた優しさ

 気を失い、晃の部屋に運ばれたクラン。

 晃と冬華がしばらく見守っていると、クランはゆっくりと目を開けた。


「う……ん? あれ、ここは……?」


「あ、気付いたんですね。よかった」


「……まったく、手間かけさるんじゃないわよ」


 しかしクランは状況が飲み込めないのか、まだ目をぱちくりとさせている。


「えっ、えっ……? あの、わたし……?」


「ああ、ここは俺の部屋。クランさんは気を失って、倒れちゃったんですよ」


「あ、晃さんの部屋!? あわわ……ご、ごめんなさい! すぐに帰るから!」


 クランはがばっと起き上がる。

 けれど、いくらなんでも慌てすぎだった。


 ベッドから降りようとして足をすべらせ、盛大に転んでしまう。

 転んだ拍子で顔からはずれたメガネが、かしゃんと床に落ちた。


「うわ……。クランさん、だいじょうぶ?」


 晃はメガネを拾うと、それを渡して手を差しのべる。


 クランはその手につかまろうとしたが、はっ、と冬華を見て、メガネだけ受け取ると手を引っこめた。


 やはり、完全に誤解しているらしい。


 その様子を見ていた冬華は、照れくさそうにクランから視線をそらして話し始めた。


「あ、あのさ。なんか勘違いしてるみたいだけど、わたしと晃は、その……あんたが思うような関係じゃないから」


「勘違い……なの? でも、それじゃあの……こ、告白は……?」


 クランはメガネをかけなおして立ち上がると、昨日の光景を思い出しでもしたのか、すこしだけ悲しそうな声で聞いてきた。


 それを言われると、確かに説明が難しかった。

 まさかバグのことを言うわけにもいかないし……。


 晃はとにかく、思いつくままに言葉を並べるしかなかった。


「そ、そうですよ、勘違い! あのときにクランさんが聞いたのは……そう、演劇の練習だったんです!」


「は、はぁ!?」


 冬華が思いきり顔をしかめる。


 晃自身も無理があると思ったけれど、これしか思いつかなかったのだからしかたない。

 小声で冬華に耳打ちする。


(それとだな。俺が冬華に会う理由をごまかしたから、おまえは手品師ってことになってる。手品師が演劇の練習をする理由を、なんとか考えてくれ)


(バ、バカ言わないでよっ!? あんた、なんにも考えてないの!?)


 おまえと仲直りする方法ばっかり考えてた――とは、さすがに口にするのが恥ずかしかった。


 さて、ここからどうやってごまかしたものか。またスイッチの力に頼るか……。


 そんなことを考えていると、突然にマーシャが姿を現した。


「ひゃっ……。な、なにこれ。びっくりした……」


 驚いたのはクランだけじゃない。見慣れている二人もだ。

 するとマーシャはなんと、恭しくお辞儀をしたのだった。


「はじめまして。我の名はマーシャ。冬華の手品によって現れた、人形でございます」


 そして、ちらりと二人に目配せをする。それでようやく、晃は気付いた。

 了解したとばかりに、ちいさく親指を立てる。


「そうなんです! すごいでしょ? 手品で出したこの人形相手に、冬華は劇をするんですよ! なぁ、ほら!」


 晃はそう言って、冬華をひじでつっつく。

 すると冬華も事情が飲み込めたようだった。こくこくとうなずく。


「え、えぇ、そう! こうやって、どんな人形も一瞬で出せるのよ!」


 冬華がぱちんと指を鳴らすと、マーシャはその姿を変えた。


 服だけじゃない。

 年齢から性別、それに体型まで、自由自在に早変わり。


 これには晃も驚いて、ただ見入っていた。

 マーシャにこんなことができるなんて、今の今まで知らなかったのだ。


 まして、なにも知らないクランにしてみれば、まるで魔法のように見えたことだろう。


 やがてマーシャの姿が消えて。

 クランはにこやかな笑顔で、ぱちぱちと拍手を送ってくれた。


「すごい……。手品で劇なんて、おもしろそう。ちょっと感動しちゃった」


 どうやらすべて納得してくれたようだ。

 晃と冬華は顔を見合わせて、ほっと胸をなでおろす。


「これでわかってもらえました? ぜんぶ誤解だったんですよ。俺はその、劇の練習に付き合ってただけで」


「そ、そういうことよ。これであの、明乃だっけ? あの人とも仲直りできるでしょ?」


 クランが明乃にあんなことを言ったのは、晃と冬華の仲を誤解したからだ。

 それさえなくなれば、二人がケンカをする理由はないのだから。


 けれど明乃の名前を出したとたん、クランの笑顔はくもってしまった。


「……そうだといいけど。明乃ちゃん、けっこう強情だから」


 人の意見には耳を貸さないところは、強情と言えなくもない。

 いや、傍若無人と言ったほうが正しいかも。


 するとクランは、すこし困ったように笑った。

 晃の考えていることを見抜いたのかもしれない。


「わたしもときどき困っちゃうの。一度思い込んだら、止まらないし」


 そこで言葉を区切り、遠くを見るようにして「……でもね」と前置きして続ける。


「明乃ちゃんは明乃ちゃんなりに、真剣に人のことを考えてる。いつだって全力で……そう、わたしはそんな彼女に、守られてばかりだった」


「守る……ですか? なんか、あんまりイメージが……」


 どちらかと言えば、クランのほうが明乃の保護者という感じだ。


 むしろご主人様と飼い犬か。

 明乃の首に鎖をつけたはいいけれど、暴走する彼女を止められずに引きずられているクラン。


 そんな失礼な絵が浮かんでしまい、晃は「こほん」とせきをしてさっきの言葉を打ち消した。


 クランはまた苦笑する。


「……昔の、入学当初の話ね。晃さんほどじゃないけど、わたしの金髪や青い目は目立つ存在だったみたい。男の子からもお付き合いを申し込まれたり……。そんなのが続いたら、生意気だって、わたしをいじめる人が出てきて」


 そう言って、すこしだけ悲しそうに目を伏せた。


 人より秀でているゆえに向けられる、好意と悪意。

 それは、晃も日常茶飯事に受けているものだった。


 もっとも晃の場合は完璧すぎたため、悪意を向ける相手にもためらいがあるのだろう。

 なにをどうやってもかなわない。それがわかっているから。


 けれどクランは違う。


 生まれつきの、どうしようもない外観だけで、彼女は好奇の目にさらされた。

 つけいる隙は、いくらでもあったのかもしれない。


「でも、誰にも言えなかった。誰かにしゃべって、いじめがひどくなるのが怖くて……。そんなとき」


 クランは顔を上げてほほえんだ。とても嬉しそうに。


「明乃ちゃんが気付いてくれた。泣きながら、わたしに謝って。『ルームメイトなのに気付かずにいた、そんなあたくしを許して……』って。それから明乃ちゃんは、わたしの盾になって、わたしを守ってくれた」


 そして、諭すような視線で晃を見つめる。


「明乃ちゃんがね、いつも口癖みたいに言うの。『もう誰にも、あなたみたいな思いはさせない』……って。だから、彼女が晃さんを守りたいと思う気持ちは、本物。それだけは信じてあげて……?」


 過保護で押し付けがましい愛情。

 晃は明乃のことを、そう思っていた。


 けれどそれは、クランにつらい思いをさせてしまったという、後悔の産物。


 晃が同じ目にあわないようにと願う、純粋な思い……。


 彼女の行動すべてに納得できたわけじゃないけど、その気持ちだけは理解できなくもない晃だった。


「わかりました。クランさんのその言葉、信じますよ」


「……ねぇ、クラン。ひとつ聞いていい?」


 それまで黙って話を聞いていた冬華が、口を挟んだ。


「え……? な、なに?」


「わたしたちのことを勘違いしたのが元で、明乃を否定して、ケンカしちゃったわけよね。そのこと、後悔はしてないの?」


 冬華の問いに、クランは考えるようにすこしだけうつむく。けれど、すぐに顔をあげてほほえんだ。


「後悔なんかしてない。明乃ちゃんには感謝してるし、その気持ちもわかるよ。でも、まちがいはまちがい……ちゃんとそう言うのも友達の役目だって、気付いたから」


「……そう。仲直り、できるといいわね」


 冬華はやわらかくほほ笑み返した。


 今まで見たことのない表情に、晃はすこしだけ驚く。


「それじゃ晃さん。どうもお世話になりました。二人には心配かけちゃったみたいだし、明乃ちゃんと仲直りできたら報告するから。それと……」


 クランはそう言って、冬華に視線を送る。


 それが名前を聞こうとしているのだと気付いた冬華は、「冬華よ」と、短く答えた。


「冬華さん。あなたの手品と劇、すごく楽しみにしてるよ。人に見せられるようになったら、わたしにも見せてほしいな? いい?」


「え? あ、あぁ。あれね……。も、もちろんよ」


 すこしひきつった笑顔で、冬華は答えた。


 クランは「おじゃましました」とお辞儀をすると、急ぎ足で部屋を出ていった。

 きっとすぐにでも、明乃と仲直りしたかったのだろう。


 これで元鞘か……。


 そう思って安心した晃は、ベッドに腰をおろして「やれやれ……」とつぶやいた。


 すると、マーシャが再び姿を現す。


「嘘がばれそうになると、さらにおおきな嘘をつくしかない。やがてそれは、際限なくおおきくなり……今回はその典型だな」


「そ、そうよ! あんたがあんなウソつくから、変な方向に話がいっちゃったじゃない! 手品で劇なんて、わたしはやんないわよ!?」


「なっ……! それを言い出したら、おまえが妙なバグなんか再現するから誤解されたんじゃないか!? 俺は悪くないぞ!!」


 一触即発。


 にらみ合う二人の間に、マーシャが「二人とも、そこまでだ」と、割って入った。


「今回の件は双方に非があるが、双方とも責任はない。強いて言えば、不幸な偶然が重なった結果だ。これ以上の議論は水掛け論になるだけ。やめておけ」


 そこまで言われてしまっては、もう怒ることもできなかった。


 晃は「わ、わかったよ」と、しぶしぶ納得した。

 冬華もおもしろくなさそうな顔をしていたけれど、それ以上はなにも言わなかった。


 なんとも居心地が悪かったので、とりあえず別の話題を探す。


「……それにしても、さっきは助かったよ。マーシャって、あんなこともできるんだな」


「我には実体がないからな。表示される外見や声を変えることは、造作もない。我の本来の性別は男なのだが、外見は女性にしろと冬華がうるさくてな」


「えっ。お、男!?」


 驚いて冬華を見ると、「まぁね」と言ってうなずいた。


「考えてもみてよ。こんな堅苦しいのが、むさい男のカッコして出てくるのよ。それだけで気が滅入るでしょ? 変えられるんだったら、変えたくもなるじゃない」


 マーシャの口調に合った外見……おじいさんの姿を想像してみる。

 すると、髭を長くのばして杖をついた、魔法使いのようなおじいさんが浮かんだ。


 確かにそれよりもスーツなお姉さんだろう。

 冬華の判断は、まちがいじゃなかった。


「……なるほどな。よくわかったよ」


「神尾晃も同じ意見か。ならばこれも、時代の流れなのだろうな……」


 しみじみとつぶやき、マーシャは消えた。


 清楚なお姉さんの顔と声でそんな年寄りくさいことを言われると、どうにもおかしかった。


 なんだかもう、いろんなことがどうでもよくなり、晃は苦笑した。

 それは冬華も同じだったらしく、くすくすとお腹を抱えて笑いながら、ベッドに倒れこむ。


「あー、おっかし。マーシャのことでこんなに笑うの、はじめてよ」


「ホントだな。あれ、自分がどんなにおかしいこと言ったか、気付いてないぞ」


 晃がそう言うと、冬華が「あはは」と吹き出した。

 晃もいっしょになって笑った。


 ついさっきまでお互い罪をなすりつけ合っていたことは、どこか遠くにいってしまっていた。


 しばらくして、冬華がぽつりとつぶやく。


「……あ、そうよ。これ、すっかり忘れてた」


 ベッドに座り直すと、ポケットからなにかを取り出した。


「牛乳か……? って、もしかして?」


 晃の問いに、冬華はちいさくうなずく。


「さっきのどさくさで、けっきょく渡せなかったから……。こんなぬるくなったの、もういらないと思うけど、あ、あげるわ!」


 ぶっきらぼうに突き出された牛乳。


 言われてみれば、二人はしっかりと仲直りをしていなかったのだ。


(……あっ、もしかして!)


 明乃とケンカをしてしまったクランを、冬華は親身に励ましていた。


 それは、自分とクランの姿を重ねていたから……なのかもしれない。

 だから、仲直りできればいいわねと、声をかけて。


 考えすぎかもしれないけれど、まちがってはいない気がした。


 晃は牛乳を受け取らずに、ベッドから立ち上がる。


「冬華、ちょっと待ってろ」


「え? うん……」


 部屋の冷蔵庫を開けて、冷えた牛乳を取り出して戻る。

 そしてぬるくなった冬華の牛乳を受け取ると、冷えた牛乳を冬華に渡した。


「あ、晃? これって……?」


「……マーシャが言ってたろ。俺にも非はある、って。だから、これでお互い貸し借りなしだ。ぜんぶ水に流そう。……ダメか?」


 面と向かって言うのは恥ずかしかったけれど、これが一番すっきりする形に思えた。


「そんな、いいも悪いも……。あ、あんたがそう言うんなら、これでチャラにしてあげるわよ!」


 ぷい、と横を向く冬華。


 どう見ても照れ隠しだったけれど、晃は気付かないことにした。

 苦笑しながらパックにストローを刺す。

 口にふくんだ牛乳はすっかりぬるくなっていたけれど、不思議とまずくなかった。




 そんな二人からすこし離れた場所、部屋の隅に、マーシャが一瞬だけ姿を現した。

 腕組みをして、ちらりと横目で二人を見やる。


「……あの二人も困ったものだな。我がいなければ、どうなっていたことか」


 そう、ぽつりとつぶやきを残して、再び消えていった。

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