第10話 クランの涙
放課後になってもまだ、晃は迷っていた。
冬華と会ったら、まずなんて話したらいいのかを。
自分は悪くないと確信しているのだから、謝る必要はないと思う。
でも相手を責めるのも、なんだか違う気がした。
彼女と別のクラスだったのも、よかったのか悪かったのか。
いやでも顔を合わせる状況なら、自然と会話の糸口も見つかったかもしれない。
逆に気まずいまま、一日を過ごす可能性もあったけれど。
(あー、もう! どうしたらいいんだよ……)
業を煮やした晃は、心の中でスイッチに手をのばす。『知力』を上げれば、なにかいい考えが浮かぶはず。
けれども、その手はひとつの疑問によって、止まる。
なにからなにまでスイッチに頼っていいのか――と。
すくなくとも、完璧な自分を維持するためと、冬華にバグと見抜かれないために限定するべきじゃないのか?
(そうだよ……。これくらいのこと、自分自身の力で解決できないと)
そうしてすこしだけ落ち着くと、不思議なものでまた違った思考ができた。
――そうだ。牛乳だ。
冬華が機嫌を悪くしたとき。いつも好物をあげることで、なんとかなっていたのだから。
そのことを思い出した晃は、購買に向かって足を速めた。
久しぶりに感じる、この高揚感。
誰の力でもない、自分の力で、事態が好転する気配を見せ始めたときの喜び。
スイッチの力を使うようになってからは、ほとんど感じたことのなかった感覚だった。
しかし、こういうときに限ってタイミングが悪いもので――。
「……あ」
「あ」
晃と冬華。
二人は自販機の前で、ばったりと出会ってしまったのだった。
計画が根底からくずれた晃は焦った。
なにか話すか?
いやそれよりも、まずは牛乳を買って渡すか?
いやいや、それはそれで、なんかおかしいし……。
冬華にじっと見つめられるほどに、思考がまとまりをなくしていく。
そのまま数秒間、冬華は晃を見上げて――ふっと視線をそらすと、すばやくお金を入れて自販機のボタンを押した。
ぴっ、がちゃ、ごとん。
冬華は牛乳パックを取り出すと、それを晃に突き出す。
あさっての方向を向きながら。
「……これ。あんたも好きでしょ」
これがプレゼントなんだと、晃はようやくわかった。
まさか冬華がこんなことをするとは思ってなかった晃は、正直驚いていた。
もしかしたら、冬華なりの謝罪なのかもしれない。
「ほら! 好きなの、きらいなの!? はっきりしなさいよ!!」
視線を合わせず、すこし頬を赤くして怒鳴る。
あまりにわかりやすい照れ隠し。
晃は今までの動揺や緊張が、うそのように消えていくのを感じた。
しょうがないやつだな……そんな気持ちになり、苦笑する。
「あぁ。好きだよ」
そう答えて受け取ろうとした、そのときだった。
びゅっ、と、なにかがその指先をかすめた。
そしてそれは、自販機に深々と突き刺さる。晃はゆっくりと、視線をそちらに移す。
「これは……まさか……」
飛んできたものの正体。
それが矢であることに気付いた晃は、全身から冷や汗が吹き出た。
おそるおそる、自販機とは反対のほうを見ると。
「ああぁ。晃さま、いけませんわ! こんな白昼堂々、好きとかきらいとか言い出すなんて! ときめきを通り越してハレンチでしてよ!? あたくしのメモリアルも駆け抜けてしまいますわ!!」
やはりというかなんというか、明乃が縦ロールの髪を振り乱して叫んでいた。
動揺しているのか、いつも以上に内容が不明だ。
「いや、これは違うんですって! 好きって言ったのは牛乳のことで――」
晃の説明は、どこまでも無力だった。
明乃はまったく耳を貸さず、冬華に指を突きつける。
「あなたですわね、この詐欺師!! 晃さまをたぶらかして……。あたくし、もう我慢なりませんわ!!」
「詐欺師って、わたしが!?」
驚いて自分自身を指差した冬華は、一転して晃をにらむ。「どういうことよ!?」と言っているような目だった。
――まずい。最大級にまずい!
明乃はいろんな意味で誤解しているし、冬華は今にも爆発しそう。
これではまるで、銃弾が乱れ飛ぶ地雷原を走って抜けるようなもの。
弾に当たるか、地雷で吹き飛ぶか。どちらにしろ生還の可能性は低い。
すると、明乃の後ろからクランが顔を見せた。
(そうだ、クランさんなら……!)
彼女はまだしも常識的な人物だ。
明乃に振り回されてばかりだったが、それでもなんとか止めようとしてくれている。
けれど、今はそれも期待できなかった。
どこか申し訳なさそうにうつむくクランを見て、晃は思い出す。
彼女もまた、昨日のことで激しく誤解をしていることに。
(か、勘弁してくれ……)
状況は最悪だった。
銃弾と地雷の恐怖で逃げ惑う晃の頭上に、爆撃機が現れたような絶望感。まさに万事休す。
さらにとどめとばかりに、この騒ぎに野次馬が集まってきている。
これだけの人間から逃げようとなると、晃の選択肢はたったひとつ。
これはいよいよ、スイッチを使うしかない……!!
晃は決心する。
けれどそのとき、爆撃機はあらぬ方向に機首を向けた。
「……明乃ちゃん」
クランは、晃ではなく、明乃に対して話しかけていた。
「ん、なんですの? 早くしないと、あの詐欺師が逃げて――」
「もうやめよう? こんなの……」
あの引っ込み思案なクランが、明乃の言葉をさえぎった。
それがどれだけ大変なことなのか。
誰よりも知っていたのは、誰よりもクランと仲がいい、明乃本人だった。
目をいっぱいに見開いて、クランを見つめる。
「クラン、さん……。あなた……?」
明乃の言葉に、クランも意を決したようにその視線を見つめ返す。
「ね、もうやめよう? 本当に晃さんのことが好きなら、その恋路を邪魔しちゃいけないよ。温かく見守ってあげないと……」
声こそおおきくないけれど、しっかりとした強い意志が感じられる言葉だった。
明乃は、そのただならぬ雰囲気に気おされた。
クランの言葉を聞き流さずに、しっかりと受け答えをする。
「な、なにをおっしゃいますの……? だからこうして、悪い虫がつかないように――」
クランは悲痛な表情で首を横に振る。
「……違うよ。晃さんの幸せを考えるんだったら、そんなことしちゃダメだよ。好きな人同士は……」
そこで言葉に詰まったクランの瞳から、大粒の涙が落ちた。
「いっしょに……いるのが……幸せ、なんだもの……」
好きな人同士。
その一言に野次馬がざわついたが、晃はそれよりも気になることがあった。
クランの涙の意味。
あれはきっと、失恋の涙なんだろう。
誤解とはいえ、確かに彼女は失恋したのだ。
それなのに、晃の幸せを願った。あの明乃にも臆せず意見を言って。
これがきっと、クランの出した答え。
友情も恋愛も、どちらも自分には選べないと、願いの木に打ち明けた――その答え。
彼女は自分の幸せではなく、相手の幸せを願うことにしたのだ。
もしも自分だけの幸せを願うなら、明乃といっしょに恋路を邪魔しただろうに。
すくなくとも晃が逆の立場だったら、クランと同じことが言えるか……。
とてもじゃないが、その自信はなかった。
明乃にもその決意が届いたのか、彼女はクランの涙をぬぐった。
「……あなたの気持ち、よくわかりましたわ」
「そ、それじゃ……!」
目を赤くしたクランの顔が、ぱっと明るくなる。
明乃は「ええ」とうなずいて、ぐるりと周囲を見回すと。
「現時点をもって……
そう、宣言した。
晃も、冬華も、クランも……。
たくさんの野次馬たちもふくめ、その場にいた全員が沈黙した。
ようやく口を開いたのは、クランだった。
「え……え? なんで、それって、どういう……?」
全員が同じように思っていた疑問。
みんなの気持ちを代弁したような問いに、明乃が答える。
怒っているような、それでいて寂しいような……そんな目で。
「……クランさん。副会長であるあなたが、公衆の面前でこのような意見を口にしてしまった以上、もはや面目を保てませんわ。会も……そして会長である、このあたくしも。よって、会は解散しますわ」
明乃はそう言うと、クランに背を向ける。
「あなたとは、志を同じくする仲間と思っていましたけど――残念でしてよ」
「あ、明乃ちゃん……。それって……?」
「二年間のつきあいでしたけれど、それも今日までですわ……」
まぎれもない、絶縁の言葉だった。
みるみる顔が青ざめるクランを気にもせず、明乃は歩き出した。
野次馬が開けた道を、振り向きせずに進んでいく。
その姿が人垣の向こうに消えたとき、ようやくクランは手をのばした。
「あ……。ま、待って! 待ってよ、明乃ちゃん! 待っ、て……」
その手が明乃に届くことは、なかった。
クランは糸が切れた操り人形のように、その場に倒れた。明乃が歩き去ったほうに手をのばしたまま。
「クランさん! だいじょうぶですか!?」
晃はクランに駆けより、安否を確かめた。
見たところ苦しそうな様子はない。おそらく気を失っただけだろう。
明乃に言い渡された言葉が、それだけショックだったのだ。
けれど、このままというのはあんまりだ。
せめてどこか、横になれる場所に寝かせてあげないと。
「……しかたないな。よっ、と」
クランを抱きかかえる。
すこし恥ずかしさもあったけれど、気にしている場合じゃなかった。
とりあえず自分の部屋なら個室だし、ゆっくりできる。
校舎の保健室にいくよりも、ずっと早いだろうし。
「ほら冬華。おまえも来るんだ」
「えっ? な、なんでわたしまで!?」
まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのか、冬華は慌てて返事をした。
「クランさんが俺たちのことを誤解してるのも、二人が仲たがいをした原因のひとつなんだ。目を覚ましたら、ちゃんと説明して誤解を解かないと」
「……むぅ。わかったわよ」
冬華がしぶしぶ納得したのを確認して、晃は歩き出した。
「ほらほら。見世物じゃないんだ。道を開けてくれ!」
晃の声で人の囲いが割れる。
(こりゃ神尾晃の伝説が、またひとつ増えたかもな……)
そう、胸の内で苦笑する晃だった。
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