第7話 適性検査

 晃は冬華に会うときのため、戒めを作っていた。


 ひとつ。

 自分の昔の話はしない。

 どうしてもしなくてはいけない場合、事前に考えておいた『俺』としての晃の過去を話す。


 ひとつ。

 同様に、冬華に昔のことを聞かない。

 

 ひとつ。

 すこしでも危険を感じたら、ためらわずにスイッチを使い『知力』を上げる。


 できることなら、冬華に会うときはいつでも『知力』を上げていたかった。


 けれど、それでは虚弱体質のまま過ごす時間が増えてしまい、すぐに体調を崩してしまう。

 実にバランスが難しい。


 ……これらは戒めというには、些細なことかもしれない。


 とはいえ、晃がバグだと気付かれないための防衛策は、少ないことはあっても多いことはないはず。

 どれだけ気を配っても万全とはいえない。


 なにがきっかけで、冬華の中で今の晃と昔の晃が結びついてしまうか、わからないのだから。


(……よし。いくぞ)


 どうにか明乃から逃げ切った晃は、気を引き締める。


 寮を出て裏庭にたどりつくと、腕を組んで全身で怒りを表現している冬華が、すでに待っていた。


「……遅いわよ、晃! 十分も遅れてるじゃない。あと五分でも遅れたら、このまま帰ろうと思ってたんだからね!」


 二人はお互いのことを名前で呼び合っている。


 気の強い冬華がそう呼んでくるのはしかたないとしても、せめて晃のほうだけは、彼女を名字で呼びたかった。

 まるで昔に戻ったみたいで、気を抜いてボロを出すのが怖かったのだ。


 けれど名字で呼ぼうとすると、「わたし、名前のほうが好きだから」と、いとも簡単に却下されてしまった。


「あぁ、悪いな、冬華。ちょっといろいろあってさ……」


 一言で済むような、でも話し始めると長くなりそうな、そんないろいろだった。


 部屋の窓から外に出られないか、ちょっと真剣に考えてみよう……晃はそんなことすら思っていた。

 冬華に会うたびにこの騒ぎじゃ、こっちの身がもたない。


「まぁ、お詫びってわけじゃないけどさ。これやるよ」


 晃が差し出したのは、牛乳の紙パック。

 彼女がへそを曲げているのはわかりきっていたので、地下の購買によって買ってきたのだった。


 この半月間で、冬華の扱いにもすこし慣れてきていた。

 好物の牛乳を与えれば、だいたいの場合は機嫌をなおしてくれる。


 いつだったかのような自販機の売り切れは死活問題なので、部屋の冷蔵庫にはいつも数本の牛乳をストックしている。

 晃自身の好物でもあるし、これは一石二鳥だった。


 冬華はそれをちらりと見ると、奪うようにして受け取る。

 さっそくストローを差し込むと一口だけ飲み、どこか照れくさそうに上目遣いで見上げた。


「……ふ、ふん。今日はこれで許してあげるわ。でもまた遅刻したら、今度こそ帰るからね!?」


「わかったわかった。気をつけるよ」


 あまりに予想通りの反応に、晃は苦笑した。


 それが気に入らなかったのか、冬華は「むぅ……」とすこしだけふくれる。


「ホントに反省してる……? あやしいわね」


「もちろん。反省してるって」


 なんとなく話の流れに危険なものを感じた晃は、話題を変えることにする。


「それより今日はどうするんだ。だって、これ……」


 晃は視線を、願いの木に向けた。


 そこにはいつもの静かな裏庭はなく、大勢の作業員が忙しそうに動き回り、そして、やかましい音を響かせる建設重機が居座っていた。

 おそらく願いの木の工事だろう。伐採か、移植か……。


 けれど冬華は、とくに驚いてもいなかった。


「あぁ、今日から移植の工事が始まるみたいね。結局、バグのすべてを修正できたわけじゃなかったから」


「バグの発生状況、か……」


 バグを修正するには報告書を書く必要があり、その際にふたつの事項を記載する。


 発生状況と、発生要因。


 発生状況とは、そのバグが発生するまでなにが起こったのか、その経緯のこと。

 つまり、バグの過去だ。


 そして発生要因は、誰の、どのような思いがバグを起こしたのかの説明。

 つまりバグの現在になる。


 たとえば、この願いの木の場合。


 発生状況は『大勢の人間が、願いの叶う木として信じてしまったこと』になり、発生要因は『クランが願いの木に実現不可能な願いをしたこと』になる。


 冬華の報告によって発生要因と、それによって発生した緊急停止ストップは修正できた。

 しかし、発生状況はどうにもならなかったのだ。

 この場所に願いの木が存在し、生徒たちがこの木を願いの叶う木と信じ続ける限り……。


 だからマーシャは、バグの未来とでもいうべき修正状況で、再発防止のために木を移植することにしたのだった。


 今回のように物理的な手段で再発を防止できる場合は、まだ運がいい。

 どうしても修正できずに再発が繰り返されると、最終的にはそれを『仕様』として認めるしかなくなってしまう。


(この木がなくなると裏庭もさびしくなるけど……しかたないんだよな)


 もっとも、どういう手段を使えば、こんなおおがかりなことができるのか。


 晃にはさっぱり想像できなかった。

 もしかしたら監視者というのは、本当に神のような存在なのかもしれない。


「……けれど、こう騒々しいと落ち着いて話もできないな。どこに移動しようか?」


 目立たない裏庭ですら、噂になってあの騒ぎだったのに。

 もっと目立つ場所に冬華といたら、明日にはどんなことになっているか……。

 考えるだけで恐ろしい。


 困り果てる晃だったけれど、冬華は困っている様子もなく、いたって平静だった。


「まぁ、問題ないわよ。基礎講習も終わったし、そろそろ適性検査でもやろうと思ってたから。もちろん、ここじゃないとこでね」


「適正、検査……? デバッガーのか?」


「そうよ。今まで教えたことをいかして、あんた一人で症状をみつけてみなさい」


 症状とは、バグの別称。

 バグによって起きる異常のことを症状と言うからだ。


 症状をみつけるということは、発生状況と発生要因までふくめた、報告書に書くべきバグの全容。

 それをすべて見つけるということなのだった。


「えっ、俺一人で!?」


 予想もしていなかった事態に慌てる晃。


 それをからかうように、冬華はにやにやと笑っている。


「なに、不安なの? かわいいとこもあるじゃない。ま、心配しなくても、大事なとこはアドバイスするわよ」


 ――かわいい。

 晃がもっとも嫌いな言葉だ。


 それもこんな、ほとんどお子様みたいな冬華に言われると、悔しさも倍増だった。


「……わかった。おまえのアドバイスなんかいらない。最初から最後まで、一人でやってやろうじゃないか」


 挑発的な晃の言葉に、冬華もぴくりと表情をこわばらせる。


「ふーん……。たいした自信ね? 後悔してもしらないわよ?」


 お互い意地を張るように、一歩も引かない。

 火花でも散りそうなほどに鋭い視線で、しばしにらみ合う。


「……ついてきなさい。なるべく周囲に影響のない場所で、わたしが意図的にバグを発生させるから」


「おう、望むところだ」


「場所は……そうね。あっ、あそこなんかいいかも。みてなさい……いかに自分が思い上がってたか、教えてあげるから」

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