第2章

第6話 襲来! AAAの会!

 あれから、半月――。


「あー、ダメだ。気が重い……」


 ばふっ、と、晃はベッドに倒れこんだ。


 寮はほとんどが相部屋だが、成績優秀者だけは別待遇。最上階の個室に住む権利が与えられていた。

 これは、完璧な『俺』になったことのメリットのひとつだ。


 気兼ねなく生活できるのもそうだが、それ以上に安心できるのが嬉しかった。

 万が一、この姿でいられなくなっても平気なのだから。


 人と接するときは、いつだって気が抜けない。

 完璧を演じなければいけない晃にとって、人に会うということは、それだけでリスクが発生するのだ。


 けれども、これから会う人間――冬華に会うリスクは、他とは比べようもなく高い。


「……でも、会えばメリットもあるわけだし」


 できることなら会いたくない。けれど、会えばデバッガーの情報が手に入る……。


 こうなると一種の賭けだった。

 虎穴に入らずんば、虎児を得ず。


 この先ずっとデバッガーの存在におびえるくらいなら、今ここで多少の危険を冒してでも、彼らのやり方を熟知しておいたほうがマシだ。


 そう自分に言い聞かせて、晃はようやく重い腰をあげた。


 冬華とは放課後のたびに裏庭に集合し、そこでデバッガーの基礎講習を受ける約束をしている。

 わずか半月、日にちにしたら十四日間しか話を聞いていないが、なかなか興味深いこともいくつか聞けた。


 そのひとつが、中級セカンダリ以上のデバッガーになると使用できる、『デバッグメニュー』というもの。

 担当監視者の許可が必要だが、バグと同じように法則プログラムを改変して超常現象を起こせるらしい。


 毒をもって毒を制す、というわけだ。


 晃がその力を使えるようになれば、状況によってはスイッチの力をデバッグメニューと言い張ってごまかせるかもしれない。

 完全にだませる可能性は高くないだろうが、もしものときの保険くらいに考えてもいいはずだ。


(……それにしても、マーシャはいつも冬華を見張ってるんだろうか?)


 マーシャの存在は相変わらず謎だった。


 気になるといえば気になるが、バグなんていう不可解な現象があるくらいだ。

 そのバグを修正できるくらいなのだから、本当に人間を超えた存在なのかもしれない。


 ……そう、無理矢理にでも自分を納得させるしかなかった。


 彼女の謎はさておくとしても、監視者は絶えずデバッガーを監視しているとなれば、それはそれで困る。

 こうして部屋に一人でいるときすら、気を抜けなくなってしまうんだから。


 今度、それとなく聞いてみよう……そう思いながら、晃は鞄を肩にかけた。

 この中には、秘密兵器が入っているのだ。


(ま、保険は必要だしな)


 これでスイッチを気兼ねなく使える。ぬかりはない。

 不敵な笑みを浮かべて、晃が部屋の扉を開けると。


「……あら、晃さま。どちらにお出かけでございまして?」


 AAAトリプルエーの会、会長。鳥居明乃が、仁王立ちで待ち構えていたのだった。

 顔がほほえんでいるだけに、よけいに怖い。


 彼女の背後には、隠れるようにしているクランの姿も見える。


 晃はおもわず、「うあ」とうなってしまった。


「と、鳥居さん……。それにクランさんも……」


「ここ最近の晃さまったら、告白の呼び出しを受けてもすっぽかしてばかり……。いえ、それはそれで嬉しいんですのよ。晃さまが現れず、みじめに泣きながら去っていく子を見ると、ざまぁみろって思いますし」


 上品に口元に手を当てて「うふふ」と笑う明乃。

 さらりと言うが、よく考えると恐ろしかった。


 それはつまり、たとえ晃がいなくともずっと、告白の場所に張り込んでいたということ。

 本当にとんでもない執念だ。


「素朴な疑問なんですけど、どうしていつも告白の場所を知ってるんです……?」


「いえいえ。晃さまをお守りするためなら、どこにだって参上いたしますわよ」


 もじもじと恥ずかしがりながら答える明乃だったが、微妙に答えになっていない。


 その代わりなのか、明乃の背中から顔をのぞかせたクランが口を開く。


「……あの、晃さん。噂を耳にしたんだけど、本当なの? 放課後のたびに、女の子に会ってるって……?」


 まちがいなく、冬華だった。


 目立たないようにと思って裏庭で会っていたのだけど、それでもやはり誰かに見られていたようだ。


 しかし驚くのは、それが噂話として流布していること。

 毎日のように誰かと会っていたとしても、普通の生徒ならこんなに広まることはないだろう。


「あ、それは……その」


 別にやましいことはないのだし、素直に認めたってよかった。

 けれど、目を潤ませ真剣に見つめてくるクランを前にすると、どうにもそれがはばかられた。


 へたに単刀直入に言ってしまうと、彼女を傷つけるような気がしたのだ。

 できることなら、やんわりと納得してほしかった。


 でも、それよりも……。


「はっ、そうですわ! 晃さまが妙な女に引っかかって、一生を棒に振るようなことになる前に――この鳥居明乃、心を鬼にして、この場を通すわけにはまいりませんわ!」


 まずはこの明乃をどうにかしなければ。


 いったいどういう思考をすれば、放課後に女の子と会っているだけで一生を棒に振るのだろうか……?

 まったくもって謎だ。


 この二人を同時に納得させることは、晃には荷が重かった。


(しかたないな……。スイッチ、オン!)



 パラメータ変更。『知力』上昇。『体力』低下。


 鳥居明乃の思考パターンを変数Xとし、クラン・L・フォーテルの思考パターンを変数Yと設定。

 過去の会話事例を参考に方程式を組み立て、それらを連立展開。計算開始。


 一瞬にして最適と思われる解答を導き出した晃は、「勘違いしないでくれるかな」と、少し呆れたように口を開く。


 この場合の最適とは、いかに手早く二人を納得させられる嘘がつけるか。

 たったひとつのシンプルな答えでいいのだ。


「ああ、それでもやはり、言葉にするのは実に面倒だ。単刀直入に言おう。俺はこれから、手品を教わりにいくだけなんだ」


「手品……で、ございますか?」


「その通りだ。確かにそれで、女子には会うがな。それだけさ」


 晃の説明に、明乃は腕を組みながら目を閉じて「手品……。なら、問題はなくて……?」と、自分自身に問いかけるようにつぶやく。


 クランも胸に手を当てて「そう……なんだ。ならよかった……」と、安堵していた。

 こちらは実に、反応がわかりやすい。


 ――よし。計算通り。


 教わるというのは真実。

 すべてを虚構で固めると、かえって不自然さが目立つというもの。

 虚実を混ぜるというのが、嘘の鉄則。


 さらに利点を挙げるならば。

 これで自分や冬華の周囲でバグが発生し、その検証をしているのを見られたとしても、手品と言えばこの二人は納得する可能性が高くなる。


 後々の発展性まで考慮した、有効な嘘だった。


「わかってもらえただろうか? ならば、俺はいくぞ」


 これ以上の言葉を重ねるのは逆効果。


 嘘を嘘でくるむと、ほころびが見えやすくなる。

 単純で明快な論理。これに勝るものは、世界には存在しないのだ。


(ふぅ……。スイッチ、オフ)



 用が済んだからには、いつまでもこんな虚弱体質でいる必要もない。

 元の状態に戻った晃は明乃の横をすり抜け、エレベーターへと足早に向かう。


 すると、その背後からぶつぶつと明乃の声が。


「……手品。手品。手品にはタネが。タネがあるということは、それはウソ。つまり、だましている――だます? 詐欺師!?」


「は、はいっ!?」


 飛躍どころか超越した論理に、晃はおもわず振り向いて声をあげてしまった。

 さすがのIQ180も、論理を超えた思考までは完全に計算できなかったようだ。


 明乃は鬼気迫る表情で、なおも叫び続ける。


「い、いけませんわ、晃さま! その女、きっと詐欺師でしてよ! 今すぐ、お戻りになられてー!!」


「えっ、あ、明乃ちゃん。それは言い過ぎだよ」


 ――まったくだ。世界中の手品師に謝罪してくれ。


 クランの言葉を引き継いでそう言いたくなる晃だったけれど、どうせあの明乃だ。

 言ったところで意味はないだろう。


 そんなことをしてる暇があったら、足を動かしたほうが賢明に思えた。


 彼女に捕まる前に、ここから脱出しないと……!


 晃がエレベーターに向かい加速すると同時、明乃は手を拡声器のようにして「AAAトリプルエーの会のみなさーん! 出番でしてよー!!」と呼びかけた。


 するとエレベーターの扉が開いて、現れた女子生徒の大群が道を阻むように押しよせる。


「きゃー!」

「晃さまー!」

「いかせないわよー!」


 一本道のこの廊下。

 前方には女子の壁。後方には明乃。逃げ道はない。


(ど、どうする……?)


 じりじりと迫る女子たちに、晃は走りながら覚悟を決めた。


(しょうがない。これはあんまり使いたくなかったけど……スイッチ、再びオン!)



 パラメータを変える。

 今度は『知力』を低くして、『体力』を上げる。


 身体が軽くなった。羽根が生えたように。


「よっ!」


 走っていた勢いを利用して、おおきくジャンプ。


 くるっ、と空中で身体をひねって、右足を壁に。

 そのまま左足を前に出し、そしてまた右足を前に。


「か、壁走りでございまして!?」


 驚く明乃の声。


 晃はたたたっ、と壁を駆け上がる。

 そして、女子たちの頭の上をらくらくと走り抜けていく。


(このまま一気に、エレベーターまで!)


 しかし、エレベーターの扉が閉まり始めた。


 晃は壁を蹴って再びジャンプし、さっ、と靴を脱ぐ。

 そして、それを閉まりかけた扉に向かい投げる。


 完璧なコントロール。完璧なタイミング。


 がつっ!


 投げられた靴が、エレベーターの扉に挟まれた。

 安全装置が働いて、扉がゆっくりと開く。


 そこに晃が、ずざざっとスライディング。


「……ふぅ」


 うまくいった。軽く息をつく。


 立ち上がった晃は制服についた汚れをぱんぱんと払って、靴を履きなおす。


 すると、ぽかーんと様子を見ていた女子たちから、黄色い歓声があがった。


「きゃー!!」

「晃さまー!!」

「なにあれ、かっこいいー!!」


「ちょっと、あなたたち!? ぼけっとしてないで、晃さまをお止めしてくださいまし!?」


 焦ったような明乃の叫びに、女子たちは正気を取り戻した。

 雪崩のようにエレベーターに殺到してくる。


「おおっと。まずいまずい」


 晃は、『閉』のボタンを押そうとして――。


「あれ? これ……どっちがどっちだっけ?」


 今の晃の知力はゼロ。

 はっきり言って、小学生以下の知能と知識しかない。


 そんな彼には、『開』と『閉』の漢字すら読めないのだった。


「ええい、もういいや! 適当に押そう!」


 どうにでもなれ的な感覚で、晃はボタンを押した。

 それは偶然にも『閉』のボタンだったのだけれど……。


 ごすっ。めりっ。


 いやな音を立てて、ボタンはめりこんだまま戻らなくなった。


「あれ……?」


 がしがしとめりこんだボタンを連打しても、扉はまったく閉まらない。


「くそっ! こうなったら!」


 最後の手段とばかりに、晃は手動で扉を閉め始めた。


 閉まるボタンを押すということではなく――本当に、手で、力技で。


「ふん! むん!」


 晃が扉に手をひっかけて力を入れると、ぎりぎりばきばきという音を立てて、扉が動き始めた。


「じゃあ、みんな。またな!」


 ほとんど閉まった扉の隙間から笑顔で手を振った晃は、ばちーんと一気に扉を閉めた。


「きゃー、晃さま!」

「すごーい!」

「力持ちー! パワフルなのも素敵!!」


 さらにおおきくなった歓声は、降り始めたエレベーターの中にまで聞こえていた。


(スイッチ……オフ)



 元に戻った晃は、くっきりと手のへこみがついた扉を見ながら苦笑した。


「力持ちなのはいいけど……我ながら、なんだかなぁ」


 力の加減は効かない。

 頭の回転なんか止まってるも同然。

 深く考えず、なんでも力技で解決する。

 

 これが、体力マックス・知能ゼロの晃。

 物理的、肉体的にどうしようもない状況でしか使わないと、固く心に決めている理由なのだった。

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