第2話 生きる伝説、神尾晃
入学式から一週間。
神尾晃の名を知らぬ生徒はいない、そう断言できてしまうほど、晃の存在は全校に知れ渡っていた。
なにしろ晃の熱狂的なファンが『
この白桜学園において、晃はすでに生きる伝説に等しい。
特に女子の間では、声をかけるのも恐れ多い。半径五メートル以内に近づけるのは親衛隊の幹部のみというのが、暗黙の了解として成立していた。
それでも中には、勇気があるのか、それとも単に空気を読んでいないだけなのか、晃に近づこうとする女子もまた、確実にいた。
「あのっ、これ、読んでください!」
腰を直角に折り曲げて、女子生徒が手紙を差し出している。
メール全盛のこの時代にラブレターなんて、なんて古臭い……いや、古風な。
それとも今の俺には、そういうことをさせるだけの雰囲気でもあるんだろうか……?
おそらく後者だろう。そんなことを思いながら、晃は手紙を見つめていた。
こうして告白されるのも、入学してから七回目。
しかも偶然にも一日一回、まるでローテーションやシフト制のように。
校舎裏、音楽室、美術室、屋上……よくもまぁ、学校にはこれだけ雰囲気のある場所がそろっているものだと思うほどに、様々な場所に呼び出しを受けた。
今日の場所は、寮の裏庭だった。
念じればその願いが叶うと言われている、おおきな木の下。
普通の女の子とは付き合わないと心に決めていた晃でも、こういうのはやはり嬉しかった。
……そう。つい最近までは。
ここまで毎日のように続かれると、すでにときめきとか気恥ずかしさとか、そんなものは感じなくなりつつあったのだ。
単純な慣れというのもあったけれど……。なによりも決定的だったのは、この告白の結末が予測できたから。
きっとこの子は、最後まで告白させてもらえない――と。
「あ、あの……?」
なんの言葉も返ってこないのが不安になったのか、女子生徒が顔を上げた。
するとその前髪を、なにかが風のようにかすめた。
「え……い、今の……。ひっ!?」
地面に突き刺さった一本の矢と、それに打ち抜かれた手紙を見て、女子生徒が短い悲鳴をあげた。
みるみる顔面蒼白になっていく女の子を哀れに思いながら、晃はちいさくため息をつく。
「あぁ……やっぱりな。またこうなるのか……」
すると、はるか頭上。木の梢から聞こえてくる「おーほっほっほ」の高笑い。
見上げると、競技用のいかつい
「白桜学園、三年! 『あたくしたちの・晃さま・愛してます』の会、会長であるこのあたくし……
あきらかにまちがった敬語を使う、縦ロールの髪の少女――明乃は、そのお嬢様然とした風貌からは想像できない身軽さで、華麗に枝から飛び降りた。
そして木の脇の茂みに向かい、ちょいちょいと手招きすると、がさがさっともう一人の少女が。
「明乃ちゃん、さすがに死はまずいよ、死は。もう少し穏便に……ね?」
「ちょっとクランさん。なにをそんな、なまっちょろいことを言ってますの? あなたは
「で、でも……」
白桜学園三年生、クラン・L・フォーテル。
欧州貴族の末裔らしいが、幼い頃から日本で暮らしていて、流暢な日本語を話している。
サラサラの金髪に端正な顔立ちは美少女と言ってよかったが、惜しいことに、気の弱そうな瞳とメガネの印象があまりに強すぎた。
現に今も、明乃のむちゃくちゃな理屈に押される一方だ。
「いいですこと? あたくしたちの使命は、晃さまのあふれる才能と美貌を守り、慈しみ、育むことですのよ。それを邪魔するようなおバカな子は、晃さまに近づく資格ありませんわ!」
「だったらまず、あんたらがいなくなってくれ……」
祈るような晃のつぶやき。
けれど、なおも熱のこもった演説を続ける明乃の耳には、届くはずもなかった。
「ちょっとあなた! あなたみたいなお子様、いくら願いの木に頼んだところで、ムダムダのムダですわよ! 晃さまとあなたじゃ、まるで釣り合いませんもの! なんでも願いを叶える木にも無理なことはございましてよ!」
それまで困ったように明乃の暴論を聞くだけだったクランが、はっと視線を上げた。
真剣な眼差しで、おおきな木を見上げている。
「願いの、木……」
「さぁ、お掃除の時間ですわ!! このあたくしの
ずっと硬直しっぱなしだった女子生徒だったが、明乃に弓を向けられ、矢を引きしぼるキリキリという音を聞くにいたり、ようやくそれも解けた。
威嚇にしたってやりすぎだと思うけれど、明乃からは本気で撃ちかねない気迫というか、狂気が感じられた。
女子生徒が「ご、ごめんなさーい!」と言って逃げ出すのが、あとほんの一秒でも遅れていたら……。
そう考えると、晃はとたんに背筋が寒くなった。
無事でよかった――でも、そんなものが告白の末の感想というのは、いくらなんでもどうかしている。
こうまでなにもかもぶち壊されるのが、二度三度――どころか毎日のように続けば、それもしかたがないというものだろう。
そんな晃の苦悩など露知らず、明乃は「やりましたわ!」と言って、ガッツポーズをとりながら笑いかけてきた。
くねくねと恥じらいながらも晃に近よると、ちゃっかりと犬や猫のようにすりよってくる。
……いや、犬や猫でも、もう少し遠慮というものがあるかもしれない。
「晃さま、安心してくださいませね。これからも晃さまは、あたくしたちが守ってさしあげますですわ」
「いや、俺はそんなこと望んでないですし。はっきり言って迷惑――」
「あぁそんな! 晃さまから感謝の言葉をいただけるなんて、恐れ多いですわ! 晃さまはさも当然のように、どーんと構えていればよろしいのでございましてよ!」
「……これだけ密着しておいて、恐れ多いもなにもないでしょうに」
この距離で晃の言葉が耳に入らないわけはないのだけれど、明乃は興奮のあまり別の世界に旅立ってしまっている。
耳に入っていても、それを脳が理解しなければ結果は同じだった。
「えぇ、もう。わかっておりますわ。これからもあたくしたちに、すべてお任せくださいましね」
やっぱりなにひとつ伝わっていない。
晃は「やれやれ……」とため息をつくと、助けを求めるようにクランへ視線を送った。
すると、ぼっと火がついたようにクランの顔が赤く染まる。
これでも彼女は親衛隊、
晃に好意を抱いていることに関しては、明乃と同じなのだった。それも、明乃よりもかなり素直な形で。
「クランさん。また、鳥居さんを頼めますか……?」
「は、はいっ。もちろん!」
クランはこくこくと何度もうなずくと、明乃を力任せにひっぺがしてずるずる引きずるように連れていく。
普段は引っ込み思案でも、好きな人の頼みとあれば大胆な行動に出てしまうのも、いかにも恋する乙女だった。
「ほら、明乃ちゃん。用事は済んだんだし、もういくよ」
「あぁ……晃さまぁ。またお会いしましょうですわぁ……」
首ねっこをつかまれて名残惜しそうに去っていく明乃に、晃は心の中で「俺はできれば会いたくない……」と返した。
途中、クランがちらとこちらを振り返ったので、晃はにこやかに笑って手を振った。
すると再びクランの顔が沸騰。
すぐに前を向くと、すごい速さで明乃を引きずって消えていった。
「は、はは……」
あまりにわかりやすい反応に、晃は苦笑するしかなかった。
けれど明乃と比べるまでもなく、彼女に悪い印象を抱いてはいない。
なにを隠そう、クランこそ晃の理想にもっとも近い女性だったのだから。
外見はあのとおりの美少女だし、なにより成績は学年でもトップクラスらしい。
なかでも数学と物理の試験はほぼ満点という秀才ぶりだ。
まぁ、どう見ても外国人なのに英語がちょっと苦手なのも、愛嬌のうち。
優しい性格も気弱と表裏一体だったけれど、明乃みたく傍若無人に振舞うよりはよっぽどマシに思えた。
それだけに彼女の今の立場は、晃にとっても残念だった。
仮にこっちから告白したとしても、相手を困らせるだけになりかねない。
(やっぱり、最初に目立ちすぎたのが良くなかったのかも……)
この学園の生徒たちは入学式の前、四月一日から寮に入って生活をしている。
授業が本格的に始まる前に、せめて寮生活だけでも慣れてもらおうという、学園側の配慮らしい。
四月七日の入学式まではガイダンス期間となり、身体測定や健康診断の延長線上として、学園独自の適性検査というものが行われる。
知力、体力、芸術――生徒それぞれの個性、適性を把握し、長所を伸ばす教育をしていこうという学園の方針を、端的に表しているものだった。
これは『スイッチ』に目覚めたばかりの晃にとって、格好の舞台となった。
自分の力がどこまでのものか、それを確かめるための試金石としたのだ。
晃はすべての分野で全力を尽くし……そして、今に至るというわけだ。
まさか、ここまで完璧な人間を演じることができるとは、晃自身まったく思っていなかったのだけども。
この力は、晃が想像していた以上のものだった。
白桜学園の生きる伝説として祭り上げられている、この状況。
それはたしかに嬉しく、けっしていやなわけじゃないのだけど、少しの寂しさを感じているのもまた事実。
男女や生徒、教師を問わず、みな一様に晃を特別視している。
クラスメイトや寮の仲間ですら、あからさまに見えない壁を作って接しているのがわかった。
なにしろこの学園に入学してから、他愛のない日常会話をした記憶が、晃にはなかった。
(でも、贅沢な悩み……なのかもな)
晃は生まれ変わった。
それはまちがいなく晃が望んだことで、その願いは叶ったのだ。
自分自身ではどうにもならなかったこと――コンプレックスだった身長のことは、解決されているのだから。
それに比べれば、みんなとの距離なんか、あとからどうにでもなる。
理想の恋人だって、それがクランかどうかはわからないけど……きっとできるはずだ。
「……うん。そうだ、『僕』は、『俺』になったんだ。それがなにより重要じゃないか」
願いを叶えてくれるという大木を見上げ、晃はそう結論づけた。
むしろ危惧すべきなのは、この力がなくなってしまうこと。
なぜ晃にこんな力が備わったのか……?
それは、依然としてわからない。ある日突然になくなってしまう可能性だって、けっしてゼロじゃない。
正体不明の力を使っていることに、若干の気持ち悪さはあった。
けれど、もう後戻りはできない。『僕』だったころの自分に戻るのなんて、死んでもいやだった。
そう。また、あんな思いをするのだけは……。
願いの木から、ひらりと一枚の葉が晃の肩に落ちる。
晃はそれをつかみ、くしゃっと握りつぶすと、木に背を向けて歩き出した。
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