第5話 声
「……こちらへ」
濁った女性の声が僕を呼ぶ。向き直る部屋は、僕が寝かされていた部屋の何倍だろうか――一般的にこういう場所は、ホールと呼ぶのだろう――その中を数歩、声の方へ進むと、弁論台のような家具が迎えた。
「そこへ……」
今度は低く、腹の底から響き、頭にとどまるタンニンの渋みを与える男性の声が促した。
「よろしい、では始めましょう」「開廷!」女性と男性は間髪を入れず見事な合唱をする。
僕には意味がわからない。言葉の意味ではない、状況だ――だが、言葉から推測するならば――開廷、裁判がはじまったのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「君の質問時間はあとだ……我らに答える義務があれば、だが」
「では告げる……」
「待ってください!」
僕は半ば必死で、合唱をとめた。
「開廷……裁判というなら、なぜ僕以外、あなたたち以外に誰もいないんですか。弁護士や検事は?」
いや――何もわからない僕には、法廷の仕組みさえ脳内にあったものしか言い出せない。
「これが法廷ですか、何にせよ、僕には述べる程度、質問する程度の平等はあるはずでしょう」
声にだけ意識を向けていた僕は、二人の顔をこの時、初めて直視した。肩だけがわずかに見える服は白く、僕から随分と高い位置から見下ろす男女の顔は、口元を布で隠し、額から口元までを覆うヘッドセットのような仮面の装置をつけている。これでは、どちらが男女なのかの判別さえつかない。コロッセウムの闘技場にいる僕に、貴賓席の来賓が誰なのかを知る必要はないのか。
「君は勘違いをしているようだ。いや……もしくはリロードされていないだけか」女の声は告げた。
「これは隔離法廷……君を裁く……いや、君が認めるためだけに存在する法廷だ」
「はは……随分と、僕は特別扱いされているんだね……僕は僕の名前さえ知らないのに」
僕は仮面の目の部分に見える細いスリットを睨みつける。あまりの事に、少し吹き出してしまいながらが、何ともしまらない。
「よろしい……知り得ぬものを少し告げましょう。ナンバーエフ、名をリ・アキラ・アズマと言います、覚えは?」
問いに僕は否定のジェスチャを返す。
「その名前からだと、僕は何人になるのかな……中国と日本のハーフ?」
「君の国籍は日本だ。だが、日本の法で裁かれるわけではない」
「そりゃ御丁寧に、どうも……」
仮面の表情は読み取れない。笑っているのかもしれないが、渋みの効いた声に、揺らぎはない。
「付け加えるなら、君の身長体重程度のデータだが、どうするか?」
「今は結構です」
「よろしい、では罪状に移ろう」
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