第3話 どこへ
「ご自分で起き上がれるならば、歩くことも可能でしょう、私のあとに続いてください――先導を開始します」
告げるだけ告げて、彼女は僕を視界から消して、またどこかへ告げた。耳にイヤフォンマイクでも仕込んでいるのだろうか。
無駄な思考をしている間に、彼女は背をドアまで運んでいた。
僕は慌てて立ち上がる。そして、軽く意識が揺らぐのを感じた。そして思う――歩くとは、どうすればよかったんだ――そう思い浮かべた瞬間に、足が一歩前へ出て、歩くことを思い出した。
いや……思い出したのではない。
それでも躊躇わず歩く事が出来たこれを、僕は脳に格納されている基礎的、基本的な動作や資料を、取り出した、そう解釈することにした。コンピュータでいえば、チップに焼かれたコードである。そう、この思考さえも、今、僕は脳から取り出したのだ。何もわからない今の僕は、最も基本的なオペレーションシステム――呼吸や反射の次の階層くらいの――で運用されているんだ。
「どうしました……まだついて歩くには体力が伴いませんか?」
「そんな事はないよ……あの、僕は……」
口を割ろうとした質問を、一端飲み込む。そして、怪訝な彼女を置いて刹那の思考をする。何を問えばいい。
「僕は……どのくらい眠っていたの?」
「二四時間になります。ですので、多少は負荷がかかると思いますが、歩くのが困難とまではいかないと推測しますが」
「そうだね……うん、じゃあ行こうか」
彼女はドアへと向き直り、手をかざした。そうすることで、ドアはかすかなアクチェータの動作音をたてて、スライドした。動力源が何かを判断する道具は、僕の格納庫には在庫がないらしい。
彼女に続いて廊下に出た。そこはただただまっすぐに先へとのびている空間。
背を追う鼻の傍に、彼女の髪がなびいているはずなのに、不思議と芳香はない。灰に近いグレィの髪はアクリル繊維のように規則正しかった。
廊下には継ぎ目が見あたらない。わずかに押し返すクッションのある廊下材は足音もすべて吸収するのか、彼女のものも自分のものも、何も聞こえなかった。耳を澄ませば、かすかにどこかで換気のファンが作動しているような音を感じる。だが、それも、そう思っているだけかもしれない。何しろ、脳の中から取り出せる情報に参照できない動作音を立てるモータかサーボが存在しているのだから。
しかし、僕はいつ履き物を履いたのだろう……足下には白い布地の紐なし靴を履いていた。気がつかなかったけど、僕はベッドで横になっていた時から、ずっと履いていたのか。それでは服はどうなのだろう――そうして、いつ、どうして、なぜと思うと、途端に視界が歪む。それをとめるために僕は、脳の格納庫から知らず取り出した情報と同じく、履き物を履くなんて、自動的にスリップしてしまうほどになれた行動、ありふれたものだったのだと思うことにする。
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