第4話 男爵の前説、銃天使の前座、ベニスの商人の屋台

「シャローム。お時間はおありですか?」


 重い木造の扉を開くと、飾りのない土壁の一室で、かすかな香の煙、粗末そまつな椅子と独り用のカウンター。


 そして、その上から先は鉄格子てつごうし鉄網てつあみで守られた向こう側。


 ご丁寧に鉄格子はシルクでおおわれて、何が置いてあるか、誰がいるのか、すら、見当がつかない。


 男爵にはお見通しだが、皆目かいもくもついている。


 典型的なベニスの商人!!


 シェイクスピアから250年近く経っても、変わっちゃいない!!


 それも予測できる。


 こほり、絹が揺らめく。


「ムッシュ。ここは貴方のような紳士が来る場所ではありません。どうぞ、お引き取りを」


 しわがれた声。ビンゴ。


「まあ、そう冷たくするなよ、だから、今でも、あんたらはシャイロックあつかい。違うかい?」


「お引き取りを」


 シルクがわずかに開く。


 ほほ。金銀財宝、宝石無類、ユダヤ独尊。


「シャイロック。わかるか? 俺はだ」


「ご貴族なら、一層のこと」


「あくまで自称サ。何、爺様がミュンヒハウゼンで商売やっててね」


「!?」


「悪いな、シャイロック。ちと、時間がねえ。駆け引きはあとだ。急いでくれ」


「……バカにしおるか、小僧こぞう。貴様ごとき若造わかぞうが、R家にとんでもない借金をしておるとは」


 真っ黒い装束と黒いキッパーに黒々とした髭。巻き上がった銀髪交じり揉み上げ。白濁はくだくした片目。


 シェイクスピアなら喜んで舞台に上げる。


 彼らだけは、万国博覧会から締め出されていたようだ。事実、締め出されている。だから、こんな街裏まちうらでひっそりひしめき合ってる。


「サインしたてで、インクの香りがうっすら、ホヤホヤの小切手が身分証ってヤツだ。これを金に替えてくれ」


「……まったく、イエス派の信者はせっかちで困る。どれ、生憎あいにく、目が悪いもんでのう。……!?」


「半分はRの旦那に返してくれ。半分は俺が使う。半分はダイヤ、半分はその他の宝石、半分はブレスレットやネックレス、半分は、そうだな、合衆国のお偉方えらがたの紙に変えてくれ」


「ふん。悪かった、小僧。貴様は本物の『男爵』じゃ。試したつもりはないが、R家が、個人で最大の借金を、っただけはあるのう。それも無利子。無期限で。……それ、エスプレッソでもれてやる」


「いけねえよ、シャイロック。小さい淑女しゅくじょを待たしてんだ。遠慮も至極しごく。それに無利子で無期限、R家は絶対、俺を逃がさねえって意思表示だ」


「せっかくの男爵の来訪らいほうに、もてなしもできず、すまんのう。待て。すぐに用意させる。R家はお前さんがパリにいることをご存知か?」


「あんたが知った。これで彼も知る。金が戻る。みんな、喜ぶ」


「確かにこれほどの金額、しかも書き手は名士ばかりじゃ。R家が手放てばなさん訳じゃのう。お前さんは未だバビロンで捕囚ほしゅうのようじゃな」


「おかげさまでな。ちょっとバビロンの巨塔で、一稼ひとかせぎをしたところさ」


「気に入ったぞ、男爵。時間をつくってくれ。今、欲しい宝石があってじゃな。それをとってきて欲しい」


「やり方は?」


「貴重なジュエリーだ。口と金じゃ動かん。R家の全財産、男爵の口でもな」


「何が言いたい?」


「タタキじゃ」


「?」


「とぼけるな。舌を使うよりも、人差し指を使う時代に変わったのじゃ、男爵。鉛玉なまりだまらつかせば金に変わることはわかっておろう」


「断る。俺は法王パーパと同じく、人を脅すなら銀製品しか使う気がねえ」


「狼男でも退治するのか?」


「よせや。銀の銃弾なんて、殊更ことさらだぜ。いいか、俺は血が嫌いなんだ。悪いが、他を当たってくれ。すまねえな、シャイロック」


「タタキには絶好の機会なのじゃがな。残念無念」


「いいから急いでくんな。俺の雇い主はド偉い短気で」


「待たせたの。まずは合衆国のドル紙幣しへいじゃが」


 カウンターに愛すべき米国の政治家が印字いんじされた紙屑かみくず分厚ぶあつたばがお目見えし、男爵がいまかいまかと手を伸ばしかけたとき。


 入り口の扉、壁面に銃弾の嵐が突き刺さる。


「「!?」」


 ベニスの商人は、政治家とともにカウンターの向こうに身をひそめる。


 男爵は急ぎ、椅子を飛び降り、床に身を伏せる。


「小僧!! 貴様、タタキをするのは、この店か!! そこまで大工の小倅こそがれに義理立てするか!!」


「馬鹿、言うな!! シャイロック!! 俺がベリアルのお友達だって知ってるだろ!! それにあんたらを敵に回すほど、命を軽く思っちゃいねえ!!」


 銃声は止まない。むしろ激しくなっている。


「ここがメキドの丘かよ!?」


 男爵のあきれ声と同じく、カウンターには人の気配が多数。冷たい金属がこすれる音が続々と響く。


「おいおい、俺は無関係だぜ!? 俺をまとにするなよ!!」


 男爵は叫ぶ。


 と、片扉が男爵の頭をかすめる。


「男爵、遅いよー」


「「!?」」


 カウンターの向こう、男たちが銃、それもとびきり物騒ぶっそう代物しろものらしきで、少女に照準しょうじゅんを合わせる予感がする。


 銃天使ガン・バレット・エルが笑う。天使のように無邪気で、残酷に。


 男たちがつばを飲み込む音がする。


「お、お嬢!!」


 男爵は慌てて立ち上がると、ヨルダン川の両岸に立つ、大天使とヘロデ王の末裔まつえいの間に割って入る。


「やめろ!! 銃を下げろ!! てめえら、死にてえのか!! 相手は銃天使ガン・バレット・エルだ!! 救世主メシアでも、大淫婦だいいんぷバビロンでもねえ!!」


「な、なな、なんと、可愛い息子たち!! すぐに銃を下げろ!! 相手はオーヴ家じゃ!! 彼女に敵意を向けるな!! 審判のラッパを父に聞かせる気か!!」


「で、男爵は用事すんだー?」


「お、お嬢、用事も何も、一体全体、何のお祭り騒ぎです?」


「だ、弾丸のメアリー様、ど、どうぞ、愚息ぐそくどものご無礼をおゆるしくだされ。このあわれな老人にあわれみを持って、どうぞ、銃をおおさめくだされ」


「ええー、終わり?」


「いやいやいや、お嬢!? 貴女あなた獅子心王しししんおうになるつもりですか!?」


「どうぞ慈悲じひを、爺に、お慈悲を」


「つまんないよー、男爵。やっと女中メイドごっこが終わったてのに」


「そうです。そうやって、銃を大人しく片づけて……。お嬢、貴女はプロイセンの皇帝と戦争をしてたのですか!?」


「あ、あ、ありがとう、ありがとうございます。貴女は呪われた十字軍の悪魔ではありません。お、お、お、そうじゃ。気が利くのう。イギリスといえば紅茶じゃ。ど、どうぞ。お口にあうかはわかりませんが、手に入るかぎりの最高の茶葉でして」


「ウィ、ムッシュ。メルシー・ボーク。……いやん、美味しーい。あ、みんなも飲んで飲んで。お茶会しましょ! まさかパリでティー・パーティができるなんて、お爺様が聞いたら、大喜びね!! それもこんな素敵なご老人とお子様、いいえ、貴方たちは私から見たら、紳士のおじさんね。黒いおし物が素敵だわ!」


「か、感謝いたします! 光栄です! す、すぐにゲットーの代表を呼びますので、しょ、少々お待ちを! こら、貴様ら、大天使のお言葉に甘えて、お茶など飲みおって! この葉一枚で、金とどれくらい交換できるか、知らんのか! お、お見苦しいところを」


「うん? いーのいーの。お茶会はみんなでお茶を飲むんだから。ご老人もおじさんたちも飲みましょ。お茶の葉は男爵がなんとかしてくれるわ」


「俺!?」


「だってさー、男爵、遅いんだもん。私はね、大人しく待ってたんだよ。言われた通りに行儀善く。でもね、男爵と、違うな。私ね。私をじっと見つめる無礼者ぶれいものがいてねー」


「無礼者? ま、まさか警察ですか? それとも解体業者の刺客しかくですか? にしても、大勢ですね」


「独りー」


「お前ら、店の被害を勘定かんじょうしておけ。ああ、天使様の慈愛じあいに甘えて、お茶を楽しみつつのう。請求は男爵にする」


「俺!?」


「この店の紳士の皆さんと違った、黒い服装でねー。黒い帽子に、黒いレンズの眼鏡をかけた無粋者ぶすいもの。背は高いけど、せてた」


「シャイロック、心当たりはねえか?」


「正直に答える。銃天使ガン・バレット・エル降臨こうりんされとるからの。知らぬ。タタキは裏稼業うらかぎょうで同業者はたくさん知っておるが、独りで、しかもこの戦場でじゃ。彼女を相手にここまで戦えるような勇敢な戦士はおらん。きっと神も喜んで彼をむかえておるはずじゃ」


「ん、死んでないよー。逃げられちゃった」


「う、嘘でしょ!? お嬢、貴女は何丁の拳銃をドレスから取り出し、何百発の弾丸を撃ったんです!? 貴女は世界一の拳銃使いです。弾丸一発で、カモの群れを全部、撃ち落としたと噂は聞いています。その貴女が、この弾数で、しかも男独り。それを逃がすとは考えられない」


「男爵と違って、私は嘘つくのキライ。みゅー、すごく動きが速くて、弾速を超えてたわ。しかも男爵と、うーん、男爵よりは無口かな。でもすごいお喋りで。冗談ばっかりうるさくて、ついつい引鉄ひきがね、ひいちゃった」


「ご苦労。かなりの金額だな。お前は、銃天使ガン・バレット・エルのおっしゃった戦士をさぐれ。だが、決して近づくな。どうやら人間ではないぞ」


「無傷で逃がしたのですか?」


「ふふ、不正解♪ 両膝りょうひざを打ち抜いたら、転んで、吹っ飛んでたわ。それから先は、って、それでも物凄いスピード! 逃げられちゃった。たぶん、生きてるわ♡」


「お嬢、俺らはどうやら悪魔に魅了されたみたいです。すぐにパリを離れましょう。ちょうど、先ほどの報酬を手に入れたところです。プロイセンはいかがでしょう? ライン川も善いものですよ」


「えー、男爵、もう少しパリにいたーい」


「あんまり派手に暴れると、お父上のご迷惑となります。お気持ちはさっしますが」


「その必要はありませんよ、大天使様。貴女はもう少しこの退廃たいはいした街を滞在たいざいできるようです」


「やったー、ご老人、大好き♪」


「どういう意味だ、シャイロック?」 


「男爵の小切手の件じゃ。お前さんの取り分は、ほとんど残っておらん。この店の改修と商品の修理代と引き換えじゃ。それでも、一週間は安宿で滞在できる金はあるぞ。飯は一日一食じゃな」


「マジかよ!? 文無しじゃねーか!!」


「男爵、どーゆー意味?」


「お、お嬢、俺らがやった先ほどの遊びが無駄になったって話です。むしろ、便箋びんせん代やホテル代があっただけ前の方がマシだ」


「うー、うそー?」


「さてと、男爵。どうやら、金にお困りのようじゃな? では、善い仕事を紹介してやろう」


「……マジかよ」


「仕事ってなーに?」


「お嬢、この老人は痴呆症ちほうしょうでして、耳をかたむけけない方がよろしいかと」


「ふふ、男爵、うそついてる」


銃天使ガン・バレット・エルの出番じゃな。盛大なタタキじゃ。場所はオペラ座、時刻は今宵こよい。男爵、誰かは知らんが、厄介やっかいな相手を敵に回したようじゃな? 武器を手にしない、その精神はめてやる。じゃが、身を守るには、武器は必要ぞ?」


「シャイロック!」


「あー、ご老人、私の遊び場所を用意してくれたのね♡」


「大天使様、きっとお楽しみいただけます」


「これだからあんたら、ユダヤ人は芝居のネタになるんだよ。……わかったよ。やるよ。やりますよ、お嬢」


「うふふ、だから、男爵は好きよ♡」


「では、早速、銃天使メアリー専用の弾丸をそろえさせよう。……おお、噂よりも、想像よりも大きな口径こうけいじゃ! 急ぎ、銃職人の店に急ぐんじゃ! パリ中を走って、き集めろ! 天使様、貴女の小さな身体でよくぞ、こんなものを自在にあつかえなさいますなあ。よろしければ、愚息どもにも、その技術をご教授きょうじゅいただければ」


「むーりーかーなー。御免ごめんあーそーばせ、ご老人。意地悪じゃないの。私もお爺様に生まれたときから教えていただいただけで」


「で、弾丸諸々もろもろ、いくらになる、シャイロック? まさかエッフェル塔を建てるような値段じゃないよな?」


「安心しろ、男爵。全部、R家が引き受けるとのこと。是非ぜひ、パリではこの店を金庫に使って欲しいのじゃが、まあ、よい。R家に貸しもできたでな。それにじゃ、このタタキを成功させれば、お前さんはR家への借金以上の金を手に入れることができる。途轍とてつもなく貴重なジュエリーでな」


「そういう話なら、いくらでも乗るぜ、シャイロック。重畳ちょうじょうで上等じゃねーか。銃天使ガン・バレット・エルのおかげで、俺の手も血で汚れない。善いことくしで、気味が悪い。ひょっとして、あれか? パリってのは地獄で、俺らはその最下層に向かってるってことはねえよな? いや、冗談だ。忘れてくれ、シャイロック」


「なに、心配するな。イエス派の信者よ。もう少し長生きすれば、審判は必ず始まる。さすれば、お前さんにも楽園の末席を用意してやる。もちろん、銃天使ガン・バレット・エルには上席でございます」


「うふ、メルシー・ボーク♪」


「いけねえ、政府のいぬがやってきた。それじゃ、頼むぜ、シャイロックとその薄汚え一族! 長生きしろよ! お嬢、参りましょう。長居は危険です」


「はーい」


「段取りは、随時ずいじ、伝える。無論、逃がし屋もじゃ。おい、馬鹿息子ども、いぬにはネルソン提督の亡霊におそわれたとでも言っておけ。それでは、大天使様、ご武運ぶうんを。男爵、レヒトラオート」

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