第2話 薔薇十字団の創立者 クリスティーヌ・ローゼンクロワ

 クリスティーヌはすべての新聞に目を通す。


 ル・タン紙のような高級紙だけでなく、イギリスのタブロイド紙デイリー・メールまで、くまなく情報を集める。とくに注目するのは広告。真理は常に物事の裏に隠れている。


 その赤い瞳で、世界を観察するように。


 お供は、エスプレッソとチョコレート一切れ。


 小振りな書斎机に向かって。


「まったく凡愚ぼんぐどもめ。天才という言葉はさげすみということに気付かぬから、凡愚どまりなのだ。あの塔が地球を破壊する現代のオベリスクと気付かぬとはな。ニコラ・テスラなら泣いて喜ぶと言うのに。まったく。所詮しょせんは作家、真理への追求は小説に限るか。建築家もオペラ座を造っただけでも充分だ。作曲家はジャンヌ・ダルクをたたえた。上出来だ。黙って自分の作品世界に耽溺たんできしてればいいものを余計なことに時間を費やすな。寿。ふん。まあ、当のエッフェル本人ですら理解はしてまい。だから凡愚と呼ばれるのだ」


「マーマン、情報っすけど、いっすか? いいっすよね? エッフェル塔を解体するって話、知ってるっすか? ノーベル解体商会のパリ支局長『リュック=エスプリ』が、うちの団員の会計士に賄賂わいろの相場を訊きに来たっす。あれ、どーも、ペテン師に集められた解体屋が、詐欺られたみたいっすわ。狂ったペテン師らしくて、男爵なんてホザいてるヤツっす。興味、あるっすか、マーマン?」


 いつの間にか、クリスティーヌの書斎に出現した黒眼鏡くろめがねで黒いソフト帽、黒いスーツを身にまとった、痩身そうしん優男やさおとこが彼女に話しかける。


「エルボイス、お前の軽口は冗長じょうちょう過ぎる。お前の額にきざまれた『אמת』の文字をから『א』を削り取って、土塊つちくれかえしてやろうか?」


「マーマン、それだけは勘弁っすわ。俺、あんたのゴーレムだけど、もうちょっとだけ、この世で遊んでいたいっつーか、頼むっす」


「冗談だ、エルボイス。お前ら兄弟は、私の最高傑作だ。そう易々やすやす手放てばなす気はない。それで、解体屋をからかったペテン師について説明を」


「もちろんっすよ。男爵って野郎はまったくの風来坊ふうらいぼうっす。何者か何人かっすらわからんす。むしろ、マーマンが興味を持ちそうなんすは、その片割かたわれの娘っす。どうやらオーヴ家の次期当主っす」


「ほう、メアリー・L・オーヴがパリにいるというのか。彼女の祖父には借りがある。では、挨拶に出向くとするか。オーヴ家の現当主じゃ話にならんでな。権力欲と金の亡者だ。先代が泣いている」


「それがっすね。行方がわからんすわ。いやいや、俺も探したっすよ。でも、どうやら貧民窟ひんみんくつに隠れたらしいっす。オーヴ家のご令嬢れいじょうを汚え安宿に閉じ込めるっちゃ、どえらい男みたいっすね」


「そうか。ならばユダヤの連中のゲットーに顔を出すに違いない。金を換金かんきんする必要があるからな。エルボイスよ、パリ中のゲットーをその俊足しゅんそくで調べろ。とくに金融屋だ。頼んだぞ。生憎あいにく、私はエルキュール・ポアロになる気は毛頭もうとうない」


「うっす」


 と言った途端とたんに、クリスティーヌの信頼するゴーレムは姿を消した。


 再び、彼女はエスプレッソに口を付ける。


「で、ジュリエット。お前は弟とは逆に無口過ぎる。同じ土から造ったというのにおかしなもんだな」


「……」


 エルボイスと全く同じ出立いでだち、違いは小太りで短躯たんくであるくらい。


 ジュリエットとエルボイスは、彼女が造った自慢のゴーレムで、フェア・デ・ブルーズと呼ぶ、彼女の腹心ふくしんだ。


「……ドクテル。マーマンに会いに来ている」


「くだらない。どうせ、私の『賢者の石』が目的だ。そんなものはパラケルススの杖にかざってあったろうに、知らんのか。凡骨が。それでよく欧州大学術士連合の理事になれたもんだな」


「……シェリーが暴れていた」


「車イスに乗るのはいいが、人造人間の娘に押させるとは小心者め。そんな矮小わいしょうな老人をねらう物盗りなどいるはずもなし。それでジュリエット、お前が叩き出したのか。シェリーは13人の人間から造られた人間で、13人の力を持つと聞いている」


「……」


成程なるほど。よくやった。そうだな。凡骨にはジョン・ドルトンが発見した負の遺産がお似合いだ。『愚者の石』でもくれてやる。これでドクトルも原子の呪いで身体をむしばむ。実に好都合だ」


「……最高大総監そうかんがマーマンに手紙」


「どれ、見せろ。くだらん。こいつは『愚者の石』を寄越よこせとの強請ゆすりだ。石屋風情ふぜいが身の程をわきまえろ。オペラ座で会いたいだと。ふん。ガニエの傑作を破壊するつもりらしい。ジュリエット、『冷酷な聖母』を呼べ。ちょうど彼女お手製のジャンボン・フロマージュが食べたくなったところだ。マリアなら私の舌を満足させてくれる。わかったか」


「……」


 沈黙を残し、二人目のゴーレムがゆっくりとクリスティーヌの書斎をあとにする。


「エッフェル塔の解体詐欺に、ドクテルと最高大総監そうかんか。こいつはちょっとしたフェスティバルになるな。退屈していたところだ。ちょうどいい」


 クリスティーヌは軍服から暗緑色あんりょくしょくの狩猟服に着替える。


 そして、腰に短剣と東洋の刀を腰に下げる。彼女の必要最小限で、十分最大限の装備だ。


 待ち構える戦闘に備えて。

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