地平を呑む妖 スライム

”子供の時分、土を掘り返して、おかしなものに出会ったことがある。どこまでも続く鈍青色の不思議な生物に、幼い私は世紀の大発見をしたものと思い、実に胸をときめかせたものである。果たして早晩、町は天地を返したような大騒ぎとなった。後に知ったその生き物の名はスライム。この世で最も多くの人を殺した化物である“

                    ――デンバーエミル『身近な危険生物』




 スライムは地中に生息する軟体動物である。



 遭遇時の危険は極めて低く、子供であっても容易に対処できるが、このことはスライムの危険性を減じるにはまるで至らない。身近に大量に生息しながら、容易に遭遇しないことこそ、この生き物の最も恐ろしい性質であるためだ。



  形状は不定形。 半透明の粘液に包まれ、身体のほとんどが消化器を兼ねる触腕で構成されている。粘液の色は食物によって左右されるが、群青、濃緑、赤褐色等が一般的である。


 土中の有機物を食し、時速数cmほどのゆっくりとした速度で移動する。その全長は小指の先程から家よりも大きいものまで様々である。


 というのも、スライムは複数の器官を持つ独立した生物であるにもかかわらず、集合すると群体として一個の生命体としての振る舞いをとるのである。 デンバーエミルの『身近な危険生物』では、真偽の程は定かではないものの長辺400メートルにも及ぶ集合体の存在が示唆されている。


 スライムによってスポンジ状に食い潰された地下はしばしば大規模な地盤沈下を引き起こす。過去にはスライムの異常発生により都市部で200人を超す犠牲者を出す大崩落が生じた記録も残っている。



 しかしながら、この崩落はスライムの持つ危険性のほんの一部分でしかない。


 彼らは人族で喩えるならば、胃袋を裏返して手足を付けたような形態をしている。つまりスライムを包む粘液は、非常に強い酸性を示す消化液であるということだ。この消化液を薄められることを厭うために、乾燥した酸性の土壌を好み、同時に自らの好む環境へと作り変える能力を持っている。


 この土壌の酸性化が、異世界ガブリニアにおける三大穀物の一つである異界麦にとって致命的なのである。



 ―― ―― ――



  一例として、セクィーリャ王国における第三期200年から450年にかけての250年間で発生した飢饉の、実に6割超がスライムの異常発生によるものであったと当時の記録から推測されている。


 三大穀物の間でも異界麦が酸性土壌に特筆して弱いことに由来する大陸間の人口の伸び率の差が、のちの征服戦争へと繋がるのである。


 こういったスライムに起因する戦争での死傷者を除いても、 品種改良されたリトレアの花と石灰による駆除法が確立されるまで、スライムは異世界において最も多くの人命を奪ってきた生物であった。



 しかし、この特効薬をもってしてもなお、全ての問題が解決するわけではない。


 輸送力が乏しい中世期においては、産地を除けば大量の石灰が得られるのは水運を利用できる河川沿いの穀倉地帯のみに留まり、内陸部の大部分の農村は依然としてスライムの脅威に晒され続けたのである。



 石灰の利用可能な地域においても問題は残されていた。当時の駆除法は土壌の酸性度によって花弁の色彩が変化するリトレアの性質を用いて、早期にスライムの発見・発掘駆除、石灰による土壌の回復を行う手法であるが、これは土地の掘削を伴うことから、多大な土木力を必須とする作業である。収穫期間際のスライム被害はたとえ未然に防げたとしても、本来ならば農作業に充てられるはずであった労働力が失われることで、穀物の減産は避けられない。



 またこうして発見されたスライムが現住家屋の地下に達している場合も少なくなく、強靭な生命力と繁殖力を持ったスライムは、僅かな個体数からでも容易に再発生するため徹底的な撲滅が求められる。このような場合は家屋を破壊してでも駆除を優先する必要があった。


 この他、石灰の生産時に用いられる窯の燃料も問題となった。その膨大な需要量から石灰岩の産出地域周辺の森林破壊が進み、土壌流出に端を発する水質汚染や河川氾濫から下流域国家との紛争の火種となったのである。



 多くの問題の中でなにより大きいのは殺処分・死骸処理である。腐敗すると強烈な悪臭と毒素を撒き散らすスライムはその後始末もまた悩みの種であった。


 再発生の恐れの付きまとう埋却処理はもっての外、焼却の燃料の捻出はスライム被害を受けた寒村にとってあまりに大きな負担となって圧し掛かり、この問題はリトレアによる駆除法の確立からさらに300年、農薬技術の発達に伴う合剤の開発まで人々を苦しめたのであった。



 ―― ―― ――



 とはいえ最後に付け加えるならば、スライムの影響は負の側面だけではない。スライムは大陸間征服戦争の遠因だけでなく、征服戦争を乗り越えた技術ももたらしている。


 燃料の不足から化石燃料発見への原動力となり石灰の焼成に用いた竪窯技術の発展は後に製鉄高炉として開花する。スライムの発生しなかった年の石灰は各地の土壌改良に用いられ、異界麦の収量は長期的に見れば増産へと向かっていった。


 西方大陸の植民地化は元をたどればスライムによるものであり、セクィーリャを初めとした数少ない独立国の存在もまた、スライムによるものであった。



 穀倉地帯の麦畑を包み込むように広がるリトレアの花畑は、今日のセクィーリャの観光業を支えている。

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