第9話 変身ヒーローが異世界でハンターになる②

「行ったぞ!」


鬱蒼とした森に切迫した声と、巨大な獣の咆哮が重なる。

岩に囲まれた細い獣道を3メートルを超える巨体が走りぬけ、道に横たわる倒木を弾き飛ばしながら、荒々しい唸り声とともにその姿を現した。

鎧大熊カバルクトスと呼ばれる巨熊きょゆうだ。

全身黒い体毛に覆われ、前足や後ろ足、背面のほとんどを硬質化した皮膚が覆っている。

飢えた個体は、竜種にすら襲い掛かり捕食する事がある。本来であれば、こんな森の浅い層に生息するはずがない大型の獣種。

倒木すら吹き飛ばす程の力、刃物など物ともしない皮膚とぶ厚い脂肪。

そして、その圧倒的な力で振るわれる小刀ほどもある爪の一撃は、人間の肉など一瞬でひき肉に変えてしまう。極めて危険度が高い獣種の一つだ。

また獲物に対する執着性が高く、運悪く遭遇してしまい、仮に逃走に成功したとしても執拗な追跡にあうため、最終的な生存率は絶望的と言われている。


そのカバルクトスがマリアの目の前に現れ、獰猛にその牙をのぞかせている。



~遡る事数時間前~



ケンスケがハンター試験に合格して、約3か月が経過したある日のこと。

ケンスケとマリアは、採取依頼のついでに研究に必要な素材を調達し、害獣の駆除依頼を受ければ戦闘技術の試験を行い、実利を確保しつつ非常に濃密な鍛錬に励む日々を過ごしていた。

そして遂に、無色の魔術理論とその戦闘活用法をひとまず完成と呼べる段階へと到達させる事に成功した。


そしてその日もケンスケとマリアは、手ごろな討伐依頼はないかとギルドの掲示板を物色しに来ていた。

その日は珍しく討伐系の依頼が全く出ておらず、マリアの無色の魔術の試験運用を行いたかった二人には出鼻をくじかれた形になった。

とは言え、依頼がないものは仕方がないので、森林を対象とした採集依頼を受けることにした。

ギルドから出された依頼だった。

数日前に森林の中域よりも少々手前の地域で土砂崩れが発生したため、本来、鉱石が採取できる地域ではないのだが、崩れた岩肌から鉱脈とみられるものが露出したと調査員から報告があった。

依頼はその鉱脈らしき場所から鉱石のサンプル5個を採取し納品すること。期限は2日。簡単な調査依頼であるが、報酬は小銀貨3枚と割のいい依頼と言えた。

更に、この地域には小型の獣種や竜種が複数生息しており、定期的に間引きの討伐依頼が出されるため、依頼のついでに無色の魔術を使用した狩猟も採取と並行して行える目論見もあった。


依頼を受注した二人は、さっそく装備をととのえて森林に向かった。

ケンスケはいつもの上下の他に、腰にはギルド加入試験の時に購入したナイフ。手の甲に金属を縫い付けてある厚手の皮手袋をベルトで締め、足元は頑丈なブーツの他に円筒型のザックを背負っている。

食糧などの消耗品類はマリアのマジックポーチに収まるが、万が一はぐれた場合に、全く何も持っていない状態では心もとないため、最低限の荷物は自分で持つことにした。

それに対して、マリアは非常に身軽だ。

いつもの革鎧の上にフード付きのジャケットを羽織り、下半身はタイトなレザーパンツと細い体には不釣り合いな武骨なレンジャーブーツ。

二人とも皮手袋の裾を絞り襟元もきつく閉じ、更にスカーフをきつめに巻いて、露出は極限まで抑えている。森林では枝や鋭利な刃を持つ植物も少なくない上、蛭等の生物が装備の隙間から入って来る事もあるからだ。

最後に、マリアがロッドの確認を終え、女将のソフィアに2~3日留守にすると伝えると、二人は歌う白蛇亭を後にした。


ギルド前の馬車発着場では、一般の駅馬車以外にもハンター専用の馬車をチャーター出来る。自前の移動手段がない二人にとっては、非常に有り難いシステムだった。

一般の馬車よりも小振りな馬車に乗り、街道を進む事小一時間。

大きく山側へ湾曲するカーブの中半に差し掛かった時、つんざくような悲鳴が聞こえた。

逡巡する時間すらなく、すわと馬車から跳び出すケンスケ。それを追って走り出すマリア。

悲鳴は馬車の進行方向。微妙にカーブして、見通しが悪くなっている街道の先から聞こえる。

カーブを曲がり切ったその先に有ったものは、横倒しになり積み荷が散乱した行商の馬車と、もぞもぞとそれに頭を突っ込み、時折何かを破壊する音を立てる黒い獣だった。

後ろ足だけで馬ほどもあるその獣が破壊音を上げる度に、馬車の中から断続的に悲鳴が聞こえてくる。


考える間もなく、走りながらケンスケは星光炉を起動させた。四肢に漲る超エネルギーは人工筋肉に行き渡り、ミシミシと力が膨張する声を上げる。


再び、馬車の中から上がる悲痛な叫び声があがった。


時間は寸毫もなかった。ケンスケは目の前で地面をかく獣の足を両腕でがっちりとホールドし


「どおおおおおおりゃああああああっ!!」


怒声も猛々しく、一気に後ろに走り下がった。

大根を抜くように引きずり出される黒い巨体。


「っぜええええいっ!!」


後ろに下がりながら加速をつけ、そのまま速度を振り回すように遠心力に変えると、馬車とは反対側に獣を投げ飛ばした。


べしゃっと音をたてて、街道脇の林に落下する獣。

それなりの速度と高さから落下したように見えたが、大したダメージでもなかったのか、のっそりと起き上がり、ぶるぶると頸を振っている。

は林から這い出てきて再び街道に進み出ると、ギロリとケンスケを睨みつけた。


それは、熊に似た獣だった。

全身を覆う黒い毛、ギラギラと光る目、時折、鼻先を舐める舌やコフコフと音を立てる息は、地球上で知られた熊その物だった。

一般的な熊との違いは、前足後ろ足に限らず、背面の全てが硬い皮膚に覆われ、まるで熊が鎧をまとったように見える点と、その体長が3メートルほどもある巨体である点だ。


鎧大熊カバルクトス・・・」


追いついたマリアが息をの飲む。


「そんな・・・こんな浅い層にいるはずないのに・・・」


「マリア?」


「鎧大熊カバルクトス。

 本来は、森林の中域からもっと深い地域に生息している肉食獣です。

 肉食獣と言っても、食性は雑食に近く、普段は木の実やキノコなどを主食としています。

 ただ、飢えた個体は、小型の竜種を狩猟し捕食するという報告も上がっています。」


「そんな奴がなんでこんなところに・・・」


この場所は、森林の浅い層にも届かない林に囲まれた街道筋だ。野生動物の生存圏には程遠く、むしろ人間の生活圏に位置する。

馬車や旅人など、頻繁に人通りもあり、小動物や小鳥、せいぜい猿程度の無害な生物しか生息していないはずの場所だ。


「わかりません。しかし、今言えることは・・・」


「そうだな。このままこいつを放置していたら大変なことになる。

 なにより、馬車の中人たちが心配だ。

 怪我をしていたとしても、こいつが居たんじゃ落ち着いて手当もできない。」


そう言ってケンスケは腰のナイフを抜き、一歩前に進むとカバルクトスと正対した。


「ケンスケさん。カバルクトスの気を逸らしてください。

 万が一逃げられた場合に備えてマーカー刻印玉を打ち込みます。」


マリアがマジックポーチから、ビー玉ほどの黒い球を取り出した。


刻印玉マーカー

内部は任意の魔力を保持する特性を持つ、粘着性の液体が満たされているガラス玉。

術者の魔力を注ぐことにより、術者が認識できる特定の波動を発生させる。

これを目標に投げつけるなどして中の液体を付着させ、その波動を追跡する。

ハンターの必須アイテムである。


マリアは左手に持った刻印玉に素早く魔力を注いだ。すると、真っ黒な球体の奥に白い光が灯った。

彼女の魔力を記憶した刻印玉に、今度は魔力の風を纏わせる。

薄く光を放つ風にあおられ、ブルブルと震えていた刻印玉が次第に落ち着き、ふわっと浮き上がる。


マリアが右手のロッドの石突をカバルクトスに向け、さながらライフルの様に構えると、その先端に刻印玉が飛来し、ぴたりと停止した。

シュルシュルと無属性の魔力の風が、弾丸となった刻印玉を包み込み、撃ち出されるその時を静かに待っている。


「・・・・いつでもどうぞ。」


照星を据えるように、カバルクトスから目を離さない。


「初めに右に振り、次に左から仕掛ける。あいつが俺を追って振り向いた時に、首の付け根を狙ってくれ。

 マーキングと同時に仕留めにかかる。」


ケンスケは短く告げると、一気に走り出した。

脳制御システムは既に戦闘モードに切り替えてある。ただし、高速戦闘は行わない。視覚と聴覚の強化と、若干の筋力強化のみにとどめてある。

これから本命の依頼が残っているので、行動不能になるような負荷はかけられない。なにより悲鳴の主がまだ馬車の中にいる。

無傷なのか、それとも致命傷で動けないのか。中の状態を確認できていない。つまり人目を完全に排除出来ていない可能性がある状況で、人外ですと宣伝するようなエネルギー放出を伴う戦闘や、人では到達しえない速度での全力戦闘を行うわけにはいかなかった。


それでも、強化された視覚はカバルクトスの筋肉の動き、呼吸のリズム、目線、生命活動の全てを読み取り、その挙動の予測を容易にした。

そして若干の強化とは言え、それでも人間が至れるトップレベルに強化された筋肉は、その予測に充分応えてくれる。


――――まず、左に注意を逸らす――――


大きく左から駆け寄ると、カバルクトスは後ろ足で立ち上がり、前足を大きく掲げ戦闘態勢を取った。

骨格が似ている分、この辺りの習性は普通の熊に近いようだ。

ケンスケがカバルクトスの間合いに入った瞬間、頭上から鋭い左右の爪が襲い掛かった。

それを一瞬だけ速度を上げ、前のめりに屈みこんで躱す。ナイフの様な爪が、後ろ髪を数本斬り飛ばしていった。

そのままカバルクトスの右脇を抜け、わざと大きく間合いを取る。それを追う様に、カバルクトスはその頭をぐるりと巡らせた。

杖を構えたマリアの眼前に、カバルクトスの広い延髄が晒される。

細められる眼。

糸のように吐かれる息。

マリアの意識の中に、命中する刻印玉のイメージが浮かぶ。


――――シュルッ


と風が薙いだ。

同時にカバルクトスの延髄で弾けるガラス玉。

延髄の甲殻でキラキラと光るのは、ガラスの破片だけではなくマリアの魔力を記憶した粘液だ。


「ケンスケさん!!」


「確認した!」


マーキングを確認するや否や、一瞬にしてケンスケがカバルクトスの懐に入る。

行動力を奪うべく、瞬時に両足へと切り付けるが


「・・・硬いっ!」


ナイフの刃は金属にぶつかった様な甲高い音をたてる。斬撃を受けたはずの甲殻は、表面をうっすらと削られている程度の傷しか負っていない。


――――ナイフ程度では駄目だ―――


効果が無いと判断しカバルクトスの懐から抜け出すのと、ケンスケの首があった場所をカバルクトスの爪が通り過ぎるのはほぼ同時だった。


「なら、これでどうだ。」


カバルクトスの右脇に抜けたケンスケは、ナイフを握り込んだまま右後ろ足の付け根を殴りつけた。

レンガの壁程度なら粉々になる威力だが


「通らないか・・・」


巨体が動くほどの衝撃だが、さしてダメージを受けたようには見えない。

硬い被殻がプロテクターの役割をし、その下の厚い脂肪層と筋肉が緩衝材の役割を果たしている。拳の衝撃が分散されてしまっているのが手応えでわかった。

刃物は被殻が弾き、打撃は脂肪に吸収されてしまう。


「こりゃあ、なかなかに厄介だ。」


破軍の宝刀アルカイドスラッシュなど、エネルギーの刃であれば、竜種のそれに劣る被殻など問題にすらならずに切り裂く事が可能であろうが・・・


チラリとケンスケは馬車に目をやる。

鋭敏になった感覚は複数の呼吸音を捉えている。今の感覚で分かるのは「呼吸をしている」という事実だけで、その人数は判然とせず、ましてやリズムなど識別できていない。

気絶しているのか、突然の恐怖に硬直しているのかは判断できないのだ。

もしかすると今にも誰かが顔をのぞかせるかもしれない。

状況に不確定要素が多過ぎて、判断するに中途半端過ぎるのだ。

そんな状態でエネルギー刃を形成するなど、リスクが高いと言えた。


――――さて、どうしたものか――――




【side:マリア=アイゼンファウスト】


ケンスケさんが攻めあぐねている。

衝撃だった。このカバルクトスはそんなにも強いのかと、一瞬そう思ってしまった。


そうじゃない。

この状況がケンスケさんの全力を許していないだけ。


問題は・・・不特定の人間。


「ケンスケさん!!」


効果は薄いと知りつつ、それでも隙をついてカバルクトスを殴っているケンスケさんが、こっちを見た。

それを確認すると同時に、即座に魔力を練り上げる。

ケンスケさんの表情が変わった。



練り上げた魔力をカバルクトスの足元に投げつける。

太めの針ほどに細長く形成された白金の魔力は、カバルクトスの足元に突き刺さると、膨大な量の光と爆音を周囲にまき散らした。


無色の魔力の研究をしていて分かったことがある。

属性を持たない魔力は、その特性故に他の魔力との親和性が非常に高い。

しかしそれは「増幅」や「強化」といった方向性を持った場合に限り制御されるようだ。

無色の魔力そのものは安定して自然界に存在しているが、魔力を活性化して他の魔力属性と親和性を持たせつつ「方向付けをしない場合」、混ざり合った無色の魔力はその触媒となった魔力を取り込んで

その異常な膨張率は破裂や爆発と呼んでも差し支えない程だ。


わたしは、街道の石に微量に内在する魔力に対して、親和性だけを持たせた無色の魔力を打ち込んだ。

結果、魔導反応を起こして膨れるだけ膨れた魔力は、行き場を無くして閃光と爆音と共に破裂した。


本当は、音と光でカバルクトスをびっくりさせて仕切り直しするだけのつもりだったんですけど、戦意をなくしてしまったみたい。

一目散に森に逃げていきますね。


「ケンスケさん!!追って・・・・」


カバルクトスより遠かったとはいえかなりの至近距離で・・・・いえ、むしろカバルクトスから離れて、その場所に正対する形になってしまったが故に、炸裂するあの光と音を訳ですから


「目がぁ!目がぁああああ!!!」


ケンスケさんは、両眼を押さえてのたうっていました。




【side:鬼崎ケンスケ】


スタングレネードとは、フラッシュバンや閃光発音筒とも呼ばれる。

起爆と同時に約170~180デシベルの爆発音と100万カンデラ以上の閃光を放ち、対象に突発的な目の眩み・難聴・耳鳴りを発生させる。調

非致死性の兵器として分類され、主にテロリストを始めとする犯罪者の制圧に使用される。


まさか剣と魔術の異世界に来てまで、自身でその威力を証明する羽目になろうとは思わなんだ。

感覚を強化していた事がモロに裏目に出てしまった。触覚と嗅覚以外の感覚を潰され、何もできない俺はその場にうずくまるしかない。

唯一出来る事は、マリアに馬車の中にいる人を守れと伝える事だけだ。


焼き切れる寸前まで負荷がかかった視神経はズキズキと痛み、しっかりと限界突破した鼓膜は、三半規管をかき回しながらキーンという耳鳴り以外の音を伝えてくることはなかった。


負荷がかかった視神経が回復するのに数分を要し、ガッツリ損傷した鼓膜が再生するのに更に十数分の時間が必要だった。


そして十数分後『SYSTEM RECOVERED』と瞼の裏に表示されるメッセージ。


目を開ければ、そこにカバルクトスは居らず、その代わりに見知らぬ男性と女の子が不安そうにこちらを見ており、その二人の向こうに森の方を向き、油断なくロッドを構えるマリアが見えた。

その顔は緊張で蒼白になり、じっとりとした脂汗が浮いている。


「おぉ、ご無事ですか・・・」


最初に声をかけて来たのは、見知らぬ男性だった。


「はい。視覚、聴覚共に回復しましオグォッ!!」


そう口にした途端、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたマリアが飛びついてきた


「ケンスケさああああああん!!!ごめんなさいぃい!ごべんばざびぃいいいいい!!!」


うずくまっていた所に突進されたので、尻もちをつく形になった。

マリアは俺の腹に顔を埋めて泣きじゃくっている。


「あー・・・ははは・・・」


ポンポンとマリアの頭をなでる。そして、自分の失敗を悟った。

マリアには馬車の人を「連れて逃げろ」と伝えるべきだった。幸い、カバルクトスは立ち去っていたが、仮に戦闘になった場合、マリアは馬車の人物と俺を守りながら闘っただろう。

彼女一人だけなら何とかなった他だろうが、非戦闘員を守りながらでは分が悪い。

いつ目覚めるとも知れない俺、そしていつ戻って来るかも知れないカバルクトス。かなり精神をすり減らしたに違いない。


「泣くな泣くな。俺が動けない間心細かったろうに、よく頑張ったな。」


てっきり失敗を怒られると思っていたのだろう、一瞬驚いた顔になるとマリアは輪をかけて泣きじゃくり始めた。


「お見受けしたところ、あなた方があの馬車の持ち主ですね。

 怪我はありませんでしたか?」


とりあえす泣きじゃくるマリアはこのままにして、呆気に取られている二人に声をかけた。

二人はハッとして居住まいを正した。


「は、はい。荷物はほとんど残っておりませんが、おかげ様で二人とも無事でございます。

 手前は、デニス=ガンドルフィーニと申します。

 ご賢察の通り、あの馬車の持ち主です。

 こちらは、娘のレイチェル。」


ガンドルフィーニと名乗った男性は、見た所40歳前後か。旅装だがそれなりに身綺麗な服を着ている。がっちりと言うよりふくよかな体形に、口ひげを生やしており、実直そうな人柄が見て取れる。

ガンドルフィーニさんは隣にいた女の子にちらりと目をやった


「レイチェル=ガンドルフィーニです。」


年の頃は8歳程度だろうか、クリッとしたこげ茶色の目と同じ色の髪が印象的だ。レイチェルは三つ編みが揺れる頭をペコリと下げ、にっこりと人懐っこい笑顔で笑った。

紹介が終わると、再びガンドルフィーニさんが言葉をつづける。


「危ない所を助けていただきまして、誠にありがとうございます。

 行商の帰りだったのですが、まさかこんな目に合うとは思いもよりませんでした。

 よろしければ、お名前をお聞かせ願えますか。」


赤等級レッドハンターのケンスケ=キザキです。

 ご無事で何よりです。」


そして彼女が・・・と未だに俺に組み付いているマリアを指さすと、彼女の代わりに名乗る。

マリアの泣き声は落ち着いて、いまはグスグスとしゃくりあげる声が聞こえている。


橙色等級オレンジハンターのマリア=アイゼンファウストです。」


赤色等級レッド橙色等級オレンジであれだけのことを・・・・」


ガンドルフィーニさんは何やら感心した様子で俺とマリアを見て、ふーむと唸ったきり思考に没頭してしまった。

どうかしたのか尋ねようとすると、レイチェルが話しかけてきた。


「お姉ちゃんどうしたの?お腹痛いの?」


これには苦笑するしかない。

ぐずっているマリアの背中をポンポンと叩き、起き上がるように促す。


「ほらマリア、いつまでも泣いてるとレイチェルに笑われてしまうぞ?」


「うぅ~でもでもぉ~・・・」


どうも甘えん坊モードといじけモードを併発しているようだ。

これが宿屋の部屋であれば、そのまま立ち直るまで置いておいても良い所だが、現状はそうも言ってられない。


「マーカーは打ってある。まだ追いつけるさ。

 挽回できるミスは、ミスの内に入らない。今は、どうやってカバルクトスに追いつくか考えよう。」


「うー・・・3分ください・・・」


そう言うと、ぐずっていたマリアが、無言のまま俺の腕の中でス~ハ~ス~ハ~とやたら深く深呼吸をし始めた。

腰・・というか、下腹部に顔を埋められている状態では、マリアの息が服越しに侵入してきてもやっとした温かさを感じる。

そして、繰り返さ重れていた深呼吸が段々と荒くなり、やがてんふっと息を吐いたかと思うと、なにやらマリアの腰のあたりがビクビクと震えている。


「お、おい・・・」


いぶかしんで声をかけようとすると、俺の腰にしがみついていたマリアがガバッ!と立ち上がった。

彼女の息が当たっていた部分が外気に晒されて、急激に冷えていく。そして、密着して呼吸していたせいかマリアの顔は真っ赤になっている。


「充電完了しました!!マリア!いつでもイけます!!」


なぜか口元を拭いながら、マリアがやる気に満ちた声を上げる。


「充電?」


不可解な言葉にいぶかしみながら、自由になった俺も立ち上がる。


「レイチェルちゃんごめんね!!もう大丈夫だから!!今なら竜種ですらぶん殴れる気がするわ!!怖い熊なんか、チョチョチョーイよ!!」


そう言って、ロッドをぐっと構えて見せる。

偉い変わりようだが、なんにしろ元気になったのならそれでいいか。


「君のおかげで、お姉ちゃんが復活できた。ありがとう。」


しゃがみこんで、レイチェルの頭をなでる。

えへへ~と照れくさそうに笑うと、何か思い出したように父親の元へ行き、裾をくいくいと引っ張った。


「パパ・・・お姉ちゃんたちにお守りあげて。」


「ん?・・・お守り・・・おお!アレか。そうだな。」


思考の海から出て来たガンドルフィーニさんは、袖を引いているレイチェルにうなずくと、歩き出そうとする俺たちに声をかけて来た。


「お二方、少々お待ちください。お渡ししたいものがございます。」


そう言って、半壊した馬車に戻っていくガンドルフィーニさん。

しばらくごそごそしていたが、やがて手のひらほどの小箱を持って戻って来た。


「これをお持ちください。」


蓋を開けると、中には同じ形のアクセサリーが二つ入っていた。

小指の爪程の青い宝石が、鳥の羽根の形を模した金の台座にはめ込まれている。裏には細い留め金がつけてあるところを見ると、ブローチのようだ。

シンプルな作りだが、それがかえって空を写し込んだような宝石の輝きを際立たせている。


「これは不死鳥の涙と呼ばれるお守りです。

 伝説によれば万病を癒し、死者すらよみがえらせると言われています。

 どうか、お役立ていただけませんか?」


俺とマリアは顔を見合わせた。


「そんな高価なものを受け取るわけにはいきません。

 お気持ちだけいただいておきます。」


命を助けたとはいえ、見ず知らずの低級ハンターに渡す品としては破格に過ぎる。

さすがにはいそうですか受け取れるものではない。


ガンドルフィーニさんはハッハッハと笑うと、こう続けた


「いや、実は不死鳥の涙という触れ込みですが、その真贋は分かりかねる代物なのですよ。

 買い付けに行った先で、おまけに付けてもらった程度の物ですから、十中八九偽物でしょうね。

 ただあいにく今回の買い付けは食糧がほとんどで、その荷物もご覧の有様ですから、お役に立ちそうなものはこれくらいしかございません。

 気休め程度ですが、どうかお持ちください。」


そういう事であればと、俺は襟飾りとして、マリアは左胸にブローチとして受け取る事にした。


***********************************************************************************


幸いな事に馬車を引いていた馬は無事だったので、俺たちが乗って来た馬車と一緒に、ガンドルフィーニさんはレイチェルを連れてゼードラへ戻る事になった。


「手前はゼードラの西区に店を構えております。お戻りの際には必ずお立ち寄りください。」


「お兄ちゃん、お姉ちゃん、またね!!」


ガンドルフィーニ親子はそう言い残してゼードラへと向かっていった。

これで、ひとまずあの二人は安全に町まで戻れるだろう。


ただ俺は、カバルクトスが本来口にする機会がない、人間の食べ物を食べてしまった事に不安を覚えた。


「人間の食べ物は、野生のそれよりも遙かに栄養価が高く美味だ。

 あのカバルクトスは以前からそれを知っていた可能性が高い。

 見慣れた獲物である馬には目もくれず、荷台の食材を優先していた事からもそう判断できる。

 仮に、そうでなかったとしても、今回の襲撃で確実に人間の食べ物の味を覚えてしまっただろう。」


「じゃあ・・・」


「このまま放っておけば、また誰かが襲われる。それも確実に。そしてその時、その場にいた人間が無事な保障はない。」


「ケンスケさん、急ぎましょう。」


マリアが刻印玉の波動を追って駆け出す。俺もその後を追って森林へと入っていく。

鬱蒼とした木々は太陽の光を次第に遮り始め、薄暗い空気をゆっくりと吐き出し始めた。

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