第8話 変身ヒーローが異世界でハンターになる①

あれから一週間。マリアは無色の魔力の研究に明け暮れている。

その初日にマリアが言った一言


「あ、これベーシックな部分は術式とかじゃないですね」


彼女は刃を構成するだけなら、特に問題もなくすんなりと出来てしまった。

元々、独学で無色の魔術理論の基礎を構築してしまえるだけの、知識と技術は持っていたのだ。

指先に小さな刃を作り出す程度、ちょっとコツを掴めばあっという間に成功してしまった。

マリアが言うには、術式による魔術構成ではなく、イメージによる魔力制御に近いという事らしい。


「魔力放出と思っていましたが、むしろ放出した魔力を保持しつつ一定の形で循環させる感じに近いみたいですね。それを高速化したり高密度化すると威力が上がるっぽいです。

もう少し自由に使えるようになったら、術式を組み込んで行ってもいいかもしれません。」


そう言いう彼女の指先には、白く輝く小さなプロペラが、魔力を操作して作った風でくるくる回っている。


上達早すぎませんか?


しばらくイメージのコツや流れの制御など話していたが、後は今まで構築してきた理論とすり合わせや、新しい理論を構築しながら、制御の精度を上げていきたいという事だったので、魔術の事は全く分からない俺はマリアに任せることにした。


その日から、互いの役割分担が決定した。

俺の仕事はもっぱら、組み手の相手役だ。組み手と言っても、その内容は実戦に近い。マリアが立てた仮説を、実戦で検証し、その結果を理論に反映していく。この繰り返しだ。

先日、戦い方を教えてくれと言うマリアだが、あえて俺の戦闘技術を教えることはしなかった。

マリアが身に着けている戦闘技術は、しっかりと系統立ったものだったし、その基礎も理にかなったものだった。そして、それはマリアが無色の魔術を行使するにあたり、馴染み深いものになっている。そこに新たに俺の型を上書きする事は、せっかくの土台を台無しにする恐れがあったからだ。仮に俺の戦い方を習得するのであれば、これまでマリアが習得した技術の全てを完全に忘れる必要すらあっただろう。

だから俺に出来ることは、実戦に近い形式で魔術の実験に付き合って、戦い方のアドバイスをする事くらいだった。


俺のやる事はこの2つだけとは言え、この一週間はあっという間に過ぎ去った。

マリアは乾いたスポンジが水を吸うどころではなく、砂漠に水を撒くかのような勢いで経験を吸収していった。彼女が成長していくのを目の当たりにすると、どうしても楽しさと興味があふれ出してくる。

更に上を、更に強さを。この娘はどこまでいけるのだろうかと、自然と熱が入ってしまう。



マリアにとっても、この一週間は短く感じられた。鍛錬の質が恐ろしく濃密である上に、日に日に新たな一面をのぞかせていく無色の魔術の魅力を発見し、以前にも増して研究に没頭できたためだ。

午前中から魔術の研究を行い、太陽が中天から少し傾き日差しが落ち着いた頃から郊外に出てケンスケと組み手を行う。

それも魔術を使用した全力の組み手を、魔力が底をつき、魔力が流れる魔力経絡の限界まで行うのだ

終わる頃には、魔力経絡は焼き付き自力では立てない程疲労しているが、不思議と翌朝には前日以上に回復している。

これもケンスケさんの指導が適格だからだ!とマリアは喜んでいるが、実際は以前ケンスケから打ち込まれた医療用ナノマシンが、通常では考えられない速さで限界を超えた体を修復し、鍛錬によって受けたダメージを、次回から受け止められるだけの強度に超回復させているからに他ならない。

よって、マリアは無自覚なまま目覚める度に自身の限界を更新し続けている。

日々、体はしなやかにより強く、保有する魔力量は以前よりも遙かに増加し、それが流れる魔力経絡はより強靭さを増していった。

つまりこの一週間で技術面はさておき、マリア=アイゼンファウストと言う人間の基本ポテンシャルが以前とは比べ物にならない程向上したのだ。


そしてマリアにとっては瞬きをするほどの間に、ケンスケにとってはトレーニングコーチを引き受けた傍ら、ヒモ生活脱却を夢見た果てにようやく。

遂にやって来たケンスケのハンターギルド加入試験当日。


その日、マリアに見送られたケンスケは、ギルドの窓口で受付を済ませると、試験の係員に案内され修練場の待合室に通された。

他にも数人の受験者が、備え付けの長椅子に腰かけている。


「順にお呼びしますので、受験番号を呼ばれたら奥の扉からご入場ください。

 入場されましたら、すぐに実技試験となります。

 引き返すことは出来ませんので、持参された装備などお忘れ物が無いようにお願いします。

 また試験が開始されてからの物品の持ち込みも禁止ですのでご注意ください。

 それから、受験票は胸や腕など、見えるところに着けてください。

 試験前に紛失した場合は、今回の試験は失格となりますので、後日改めてお申し込みください。」


係員はひとしきり説明を終えると、そそくさと部屋から出て行った。

待合室を見渡し、手近な空いている長椅子に腰を下ろす。

何とは無しに他の受験者を見渡す。ある者は腕を組んで壁に背中を預けているが、膝が落ち着かなさげに上下している。またある者は、真剣に自身の装備を点検している。

ケンスケは、自分の服装を見下ろした。


―――装備と言ってもな・・・大したものは持っていないんだが・・・


ケンスケの装備は、いつもの上下に、ナイフを一本腰に差している。

ケンスケとしては、別に素手でも問題なかったのだが、当たり前の話として、ハンターを目指す人間が素手で戦うという事はあり得ず、素手での試験参加はさすがに目立つとマリアに指摘され、当日に大慌てでギルドの武具販売コーナーで購入したものだ。

とは言え、ギルドの公認製品だけあって、大量生産品ではあるが作りはしっかりしている。

このナイフと共に陳列棚に並ぶ、いわゆる「通常のナイフ」は、柄と刃が別になっているため力が強い人間が扱うには多少の不安が残る。しかしながら、ケンスケが選んだ物は柄と刃が一体になっており、全体の強度を確保している。柄には丈夫なザイルが巻かれている他、人差し指の位置の束には指を通す穴が開いており、しっかりと保持出来るようになっている。その代わりに鍔やナックルガードは無い。

スキナー型の刃で、切れ味は他のナイフよりも劣るが、頑丈さは保証すると販売員に言われた。

ケンスケは何度か握ったり素振りしてみたが、確かに自身の膂力で扱ったとしても、それなりに耐えうる代物だと思えた。

そのナイフを、なんとなく手に取ってみる。特殊な合金で作られたという刀身は黒く、部屋の明かりを鈍く反射している。


――――そう言えば、武器らしい武器なんか持った事なかったな・・・


徒手空拳による近接戦闘に特化した改造体ブラックオーガことブレイドには武器と呼べる装備はほとんど無い。

いわば、その肉体が最強の剣であるべく作られたのだ。

戦闘形態へのフォームチェンジが不可能となった今、手の中にある武骨なナイフが不思議と頼もしく思えた。


『受験番号0243番の方、受験番号0243番の方、修練場へご入場ください。』


ナイフを眺め、その握り心地を確かめていると、ケンスケの受験番号が呼ばれた。

ナイフを腰の鞘に納めたケンスケは、修練場へとつながる奥の扉に進んで行った。



修練場と聞けば、大抵の日本人は板張りの道場の様な物を想像するだろう。しかし、ギルドが保有している場合、修練場と呼ばれる施設はその認識から大きくかけ離れる事になる。

三階建てほどもあろうかという天井、校庭がそのまま入りそうな広い床、それらを繋ぎ取り囲む壁、全てが魔術的な特殊素材で構成されている。そのくすんだグレーの素材に特定の術式に魔力を通す事により、ありとあらゆるフィールドがその場に再現可能だ。

戦闘を前提にしているため強度は高く、上級魔術の直撃にすら耐えうる構造はゼードラの城壁にも採用されている。

また、修復機能もあり、魔力の供給さえ十分に行われれば例え戦闘により破損したとしても、短時間での復旧を可能としている。

修練場と言うよりも、むしろ戦闘シミュレーション設備と呼ぶべき施設だ。


建設当初は、上位のハンターのみにトレーニング施設として、有料で且つ限定的に開放された施設であったが、ハンターにとっては、訓練するのであれば依頼のついでにフィールドに出てしまった方が早い上に効率も良いため、よほど特別な事情でもない限りめったに使用される事は無かった。

典型的な余剰設備となってしまい、ほぼ未使用のまま閉鎖されていたが、ゼードラ行政による区画整理の折、それまで試験会場として使用していた旧修練場が取り壊される事となった。新たな試験会場を建設する案もあったのだが、受験希望者は日々増加し、用地の選定から設計建設のコンペティションを経てなどと悠長に事を運ぶ事は、全く現実的ではなかった。

そこで閉鎖されていた修練場を利用してはどうかという案が通り、ハンターギルド加入試験会場として再度開放される事になった。


そして今、その修練場のほぼ中央にケンスケは立っている。

しゃがみこんで、足元の素材に触れてみると、コンクリートのようにも見えるが、石と粘度の中間のような感触で、魔力が通るための幾何学模様がうっすらと見て取れる。


――――――組織の戦闘プログラムを思い出すな・・・


ブレイドとなる以前、ケンスケは悪の組織ダークマクロにおいて、次期幹部となるべく厳しい戦闘訓練を受けていた。

あの時の技術が組織を壊滅させ、今もまたこうして自分を助けている事に、上手く言い表せない感情が胸をよぎる。


『受験番号0243番 ケンスケ=キザキさんですね。準備はいいですか?』


何処にスピーカーがあるのか、突然、場内に声が響き渡った。

後ろを振り返ると、天井近くに突出した窓があり、魔術技術官の制服を着たギルド職員が見える。

この修練場の制御室であり、通称「金魚鉢」と呼ばれている部屋だ。


ケンスケは、軽く右手を上げて準備が整った事を伝える。


『それでは、只今より試験を開始致します。

 内容はハンターランクでも最下級である、赤色等級ハンター相当の実力があるかどうかの判定です。

 試験方法は、牙猪ファンボア3頭の狩猟です。武器やその他道具の使用は自由。

 通常はフィールドで探索から行い数日かける内容ですが、10頭のファンボアを目の前に出現させますので、制限時間は30分とします。』


ギルド職員の説明が終了すると、ケンスケの周囲がグネグネと波打ち変化し始めた。

所々、ブロック状に分かれた床や壁の奥で、幾何学的な模様が輝き、何らかの魔術が稼働していることが分かる。

そうして、瞬きをする間に、無機質であった空間は緑に染まり、修練場は開けた森林の一区画へと変化した。

フィールドの再現のみならず、生物の擬似的な再現も可能なのか、ケンスケの目の前では10頭ほどの猪の群れがフゴフゴと地面を嗅ぎまわっている。


「これは・・・凄いな・・・匂いまであるのか。」


ケンスケは、鼻孔をくすぐる森の匂いに驚いていた。

脚を踏み鳴らしてみても、腐葉土を踏みしめたような、特有の土の感触が返ってくる。

手近な木を撫でると、見た目通りザラザラとした木の肌だ。

通常の森と異なる点と言えば、上に在るのは青い空ではなく、修練場の天井である点と、戦闘による破損防止のために、障壁を展開した修練場の壁が、木々の隙間から見え隠れする程度だろう。


―――――【アナライズ・アイ】―――――


視覚センサーを限定起動して周囲の分析を試みると、ほぼ完璧に自然を再現している事がわかった。

植物の植生から、虫、匂いや木々の内部循環まで行われている。

事前に魔力をエネルギーの一種としてデータベースに登録しておかなければ、エネルギー探知を使用しても魔力の流れを読む事は非常に困難で、本物との判別は難しいだろう。

虫よりも複雑な生物の再現はどうだろうかと、ターゲットのファンボアに目を向ける。

目の前に映し出されたのは、内臓や血液循環など内部まで忠実に再現された10頭の猪だった。


――――つまり、漠然とダメージを与えるだけでは、何頭か取り逃がす恐れがあるか。下手をすれば、制限時間いっぱい鬼ごっこをする羽目になる。

そこまで頭を働かせない人間や、それをカバーする能力を持たない人間を振いにかける試験か。

意外に優しいじゃないか。――――――――


ギルドとしたらとにかく人手は欲しいだろうが、実力が伴わない人材を入れた所で、無駄に死ぬだけだろう。

ここで不合格になった方が幸せな事だってあるだろう。


「さて・・・」


思考を元に戻して、改めてファンボア達に目を向ける。

何度見ても本物にしか見えない。ここまで細部にわたって再現されているとすると、恐らく仕留め方も審査の対象になるのだろうな。だとしたら、殴るよりもナイフで仕留めた方が無難か。

急所は延髄、心臓、眉間の3か所。10頭全て一撃で仕留めてしまおう。―――――


方針を固めると同時に、戦闘モードへと意識を切り替える。既に右手は腰のナイフにかかっている。

瞬時に加速される体内の時間、そして同時に停滞する周囲の空間。せわしなく地面をまさぐっていたファンボアの動きが停止する。

ケンスケは粘りつく空気を引き裂くように腰のナイフを逆手に抜くと、獲物に向かって一歩を静かに踏み出した。



【side:修練場制御室(通称 金魚鉢)】

ハンターギルド魔術技術員ガデル=デミルは堅実な男だった。

彼は、生まれながらに一般人よりも高い魔術適正があったにも関わらず、トップハンターを目指し一攫千金を夢見るでもなく、宮廷魔術師を目指し魔術の訓練にあけくれるでもなく、物心がついたころには、将来はギルドの技能職に就き、平穏な生活を手に入れようと夢見ていた程に堅実な男だった。

そして彼は、魔術学校を平均よりも少し上の成績で卒業し、迷うことなくギルドの門を叩き、希望通り魔術技術者になった。

彼の人生設計は計画通りに進み、まさに順風満帆に望み通りの平穏な日常を手に入れた。

そして彼は、ストレスに身を削るわけでもなく、かといって楽しむわけでもなく、今日も普段通り淡々と業務をこなしていた。


彼の業務。すなわち、常に受験者が途絶えないハンターギルド加入試験の担当技術官である。

彼はいつもの手順通り、手元の書類に記載された受験者の名前を読み上げた。


「受験番号0243番 ケンスケ=キザキさんですね。準備はいいですか?」


彼が座する金魚鉢と呼ばれる制御室からは、試験会場である修練場を一望することが出来る。

その修練場の中央で、こちらに背中を向けて立つ男が、ちらりとこちらを向いて右手を挙げた。準備良しの合図だろう。


資料によると、大型竜種討伐の際に起こった事故を原因として記憶喪失。氏名以外の情報は思い出せず、出身地、職業、年齢、犯罪歴を含む来歴は全て不明。

ほぼ白紙の資料を見て、ガデルは眉を寄せた。犯罪者や流れ者が自身の経歴を作り直す際に良く使う手だからだ。

ギルドから身元保証を受けるという事は、公的機関での身分保障を受ける事とほぼ同義である。

故に脛に疵のある人間はギルドの庇護下に入りたがり、犯罪者ではなく全く別の人間としての身分を手に入れようとする。

ギルドの加入試験には、そういった人間が紛れ込む事例が割と頻繁に発生していた。

しかし、ギルドとしてもそう言った人間を加入させる事は避けたい。

なぜなら、世間という物は、ある団体に所属する内のたった1人が犯罪者だとしても、その団体全てが犯罪者の集団だと認識してしまう。そういった人間を抱え入れるという事は、ギルドそのものの信頼性に影響してしまうからだ。

よってギルドは、身分が不明確な受験者に対しては、身元引受人の設定を求めたり、場合によっては調査機関による身辺調査を行う事もある。

試験の申し込みから、実際の試験までにこのような審査が行われ、問題ないと判断された者とそうでない者の資料には、それぞれ印が記載される事になっている。

ガデルは書類の下の方に目を移した。そこには身元引受人の名前と共に緑色の刻印が押されている。緑色の刻印。つまり問題なしの印だ。

そして、身元引受人は、橙色等級ハンターのマリア=アイゼンファウスト。

確か最近になって、討伐系の依頼で実績を伸ばし始めたハンターだったと記憶している。

一般人に毛が生えた程度の赤色等級新米ハンターならともかく、それなりの実力が備わってきている橙色等級のハンターオレンジ、それも戦闘技術が必要になってくる害獣の討伐実績が評価されているハンターが、犯罪者風情に脅されて身元引受人になっている事も考えにくい。

そもそも、そんなことはこの場で自分が判断する事ではない。そう思いなおり、余分な事は考えずに、いつもの通り試験を進めていく事にした。


「それでは、只今より試験を開始致します。

 内容はハンターランクでも最下級である、赤色等級ハンター相当の実力があるかどうかの判定です。

 試験方法は、牙猪ファンボア3頭の狩猟です。武器やその他道具の使用は自由。

 通常はフィールドで探索から行い数日かける内容ですが、10頭のファンボアを目の前に出現させますので制限時間30分とします。」


何百、何千と繰り返して来た説明を終えると、ガデルは文字通り慣れた手つきで、手元の操作盤に術式の軌道キーになる魔力を流した。

修練場は魔力で制御されているが、操作する人間がその大量に消費される魔力を供給する必要は無い。

この世界の大気中には魔素と呼ばれる魔力の素が含まれている。

生物はこの魔素を呼吸し体内に取り入れて、自身の魔力としている。また、鉱物においてもその生成過程で魔素を取り込み、取り込まれた魔素は長い年月をかけて徐々に魔力へと変化していく。

この修練場の地下には、人為的に魔素を収集し、魔力に変換する魔導炉が設置してある。

魔導炉から生み出される魔力は、常に修練場内を一定量循環しており、修練場の使用者は制御盤に設定された術式を起動させるだけの魔力を流すだけで、全ての設備の制御と稼働が可能になっている。


今回、ガデルが制御盤に流した魔力は、森林のフィールド生成とファンボアを擬似召喚するための物だった。

鍵となる魔力が注がれ、術式が起動した制御盤には赤や緑に輝く文字が浮かび上がり、組み込まれたいくつもの魔法陣が幾何学的な模様を作り出す。

歯車のように噛み合い絡み合う魔法陣は、次第に回転を始め、ふわふわと明滅する。

修練場に方向性を持った魔力が流れ込み、あらかじめ術式に設定された形に組み上がっていく。

うねうねと床が波打っていたのはほんの一瞬で、魔術の森が修練場を満たすのにさして時間はかからなかった。


金魚鉢のガデルからは、驚いたように周囲を見渡し、地面を踏み鳴らしたり、木を触るケンスケの姿が見えた。

心の平穏を望む彼だが、この時ばかりは密かな優越感を感じていた。

ギルドが持つ技術の結晶。本来であれば一般人はその存在に触れる事すらできず、上位ハンターになってやっと使用出来る設備だ。それを自分は意のままに操っている。

この設備を目の当たりにして驚かない人間は、未だかつて存在しない。


さあ、この男はどう立ち回るのだろうか。

ガデルは、優越感を隠そうともせずに、被験者を見下ろした。


眼下の男は、しばらく周囲の様子を物珍し気に見ていたが、やがてゆっくりと腰のナイフに手をかけ、ファンボアの群れを見据えると、走り出すようにそのを一歩踏み出したかと思うと



一呼吸もしない一瞬の後、その男はファンボアの群れのど真ん中に現れた。

それと同時に、10頭いたファンボアが全て生命活動を停止し、制御室の中に討伐が完了した事を知らせるアラームが鳴り響く。


ガデルには何が起きたのかわからなかった。


急いでアラームを止め、ファンボアの状況を映し出す魔法陣を立ち上げる。

その全てが、見事に急所を一撃で破壊され即死している事を告げていた。


「なんだこれは・・・なんなんだこれは・・・」


あまりの事に、先程まで感じていた優越感などかき消されていた。

受験者が消え、その一瞬の間に討伐対象が全て瞬殺されるなどという事態は前例がない。


ガデルは手元の制御盤を操作し、とある魔法陣に魔力を走らせた。


トレーニング施設である修練場は、修練場内の事象を全て映像として記録する機能がある。

トレーニングに使用する際は、特に申し出が無い限り使用されることのない機能であり、本来は対象者の動きを記録し、客観的に分析するための機能であるが、試験においては不正を防止する目的で試験中の記録は常に自動で行われている。

その再生は専用の魔法陣からホログラムの様に立体的に映し出され、特定した部分の拡大縮小の他、スロー再生等機能は多彩だ。


そしてガデルが操作した魔法陣により、ほんの十数秒前に起こった事象が呼び出された。


ガデルは制御盤を操作し、映し出されている被験者ケンスケ=キザキを拡大する。

まだ、目の前から消える前の状態だ。

映像の中のケンスケがナイフに手をかけた所から、映像をスローにする。

じれったい程にゆっくりとナイフを握りしめて、ようやくケンスケが一歩踏み込んだ。

そこからは、スロー再生であることを疑うどころか、高速再生かと勘違いしてしまう程に、あっという間の出来事だった。


強力な踏み込みが地面をえぐったかと思うと、一瞬で最高速に達し、加速の勢いを利用し最初の1頭の延髄を真一文字に切り裂いた。

そこからは動かない獲物達を、ただただ効率的に且つ作業的に屠るケンスケが、映像を映し出している魔法陣の上で踊っていた。

ファンボア達は最後の1頭がその擬似的な生命を停止するまで、まともに反応すら出来ていない。

そして映像の中のケンスケは、擬似生命を停止した10頭のファンボアの中心に立つと、急激に緩慢になった動きでナイフを納めた。


先程ガデルがケンスケを目視で来たのはその瞬間からだったのだ。


リアルタイムに追いついた映像は、不意に混ざってくる細かな映像の乱れと共にその動きを新たな記録に更新している。


震える手で映像を停止した時、ガデルの顔は真っ青になっていた。


―――――こんなのは、人間が出来る動きじゃない―――――


過去様々なハンター候補たちをその目で見て来たガデルだが、こんな化け物じみた動きをした者は一人としていなかった。

今や国中に名を馳せる事になった超一級のハンターですら、試験当時は目を見張るものこそあれ、当然の如く人間の域に収まるものだった。


―――――このまま通過させてしまって良いものか―――――


これまで平穏に日々の業務を行って来たガデルに、初めて煩悶とした苦悩が生まれた。

しかし、人間離れした動きであるからと言って、それは罪に問われるようなものではない。したがってその一事を以って不合格にする事は、当然出来ない。

そもそも、そのような規定は存在しないからだ。

自分の一存で目の前の被験者を不合理に不合格とする。果たしてそこまでの責任を負う必要が、自分にはあるのだろうか。

強い粘度の汗が全身をなでていく。


『試験はこれで終わりなのか?次はどうしたらいい?』


突然、室内のスピーカーに響いた声に、ガデルの喉は上ずった息とも悲鳴とも取れない、かすれた音を出した。

様々な考えが頭をよぎること数瞬。


「し・・・・・試験は、以上となります。

 結果は明後日に発表となりますので、再度窓口へお問い合わせください。

 お疲れ様でした。」


そう言って、制御盤の稼働を停止させる。目の前では元の平坦な床に戻っていく修練場と、奥の出口から出ていく被験者の男。

男の姿が消えてから、彼がくぐっていった扉をまんじりともせずに見つめる事数秒。

ガデルはペンを手に取ると、制御盤に表示されている試験の分析結果を、手元の評価表に淡々と転記していく。

最後に自身のサインを書き添えると、そそくさと申し送りの書類箱へ納めた。


――――――私は、私の仕事をするだけだ――――――


つまりそういう事だった。人生で初めて直面した厄介事に対して、心の平穏を望む堅実な男がとった行動は、フタをかぶせて忘れてしまう事だった。


ガデルは修練場を一瞥すると、事務机の上のポットからお茶を注ぎ、その湯気を上げる液体を、ろくに冷ましもせずに一口ぐっと飲み込んだ。

熱い塊が胃に落ちていき、っはあ!と余計な物を全て吐き出すように腹の底からため息をついた。


制御室に一脚だけ置いてある椅子に腰をかけると、次の受験者のファイルに手をかける。

パラパラと資料をめくり、待合室に繋がる拡声機のボタンを押す。


「次の受験者をお呼びします。受験番号0244番の方、受験番号0244番の方、試験会場へ入場してください・・・・・」



こうして鬼崎ケンスケは表向きにはつつがなく、その実は波乱に富んで、ハンターとしての身分を手に入れる事となった。


ただし後日、ケンスケから試験の話を聞いたマリアが人前で全力の戦闘を行ったと知り、あまりのうかつさをにこっぴどく叱られる羽目になり、その後三日間の食事は全て水と砂糖、そして少量の塩のみに変更された。

後にケンスケはこう語る。


「俺は二度と軽率に力を使う事はしないだろう・・・」


と。


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