第4話 変身ヒーローが異世界観光する①

ドラゴンの首が落ちた事を視界に収めた瞬間、全ての明かりが消えるように目の前が真っ暗になった。

戦闘形態を取らずに星光炉のエネルギーを盛大に使ったためだろう。

エネルギーの過負荷と体の損傷に耐えられなくなった身体が、戦闘終了と判断したタイミングで強制的に意識を切り離して全力で回復を図ったのだ。


それからどれほどの時間が経っただろう。


『SYSTEM RECOVERED』


それまで真っ暗だった視界に緑色の文字が浮かび上がる。

それと同時に睡眠状態から浮上していく意識。

完全に覚醒しているが、まだ目は開けない。


システムはリカバードと言っているので、間違いなく回復しているのだろうが、一応セルフチェックをしていく。


腕、足、腹部、頭部・・・感覚はあるし痛みも感じられない。問題は無い様だ。


そして、ゆっくりと目を開ける。


そこには白い天井があった。白いと言っても、モルタルなどの建築材ではなく、木製の骨組みに白い布を張った天井だ。

まだ日中なのだろう、布を通して日の光が入ってきている。

ガタゴトと不規則に揺れる合間に、軽快な蹄の音も聞こえてくる。ここは馬車かなにかの荷台のようだ。

板張りの床に申し訳程度の敷布が敷いてあり、俺はそこに仰向けで寝かされている。

誰かが手当てをしてくれたのか、右手には真新しい包帯が巻かれていた。


「あ・・・気が付かれましたか?」


不意に頭上から声が降って来た。快活そうな若い女性の声だ。

恐らく声の主だろう、ギシギシと床板を鳴らして、人の気配が右手の側に移動する。

声のから受ける印象とは真逆に、ひどく緩慢な動きだ。


顔を向けると、一番最初に目に入ったのは一房の艶やかな黒髪だった。

美しい黒髪の持ち主は、気の強そうな目を不安げに揺らした女の子で、俺を覗き込むようにして座っていた。


「君は・・・」

「はい。あの時、助けていただいた魔術師です。

 マリア=アイゼンファウストと言います。」


そう言って、じっとオレを見る彼女。マリア=アイゼンファウスト。琥珀色の瞳が印象的に輝いている。

彼女が名乗った後に、やや間の抜けた沈黙が訪れ、俺が名乗るのを待っているのだと気が付いた。


「――――鬼崎ケンスケです。」


「キザキ、ケンスケ様・・・」


なぜか彼女は俺の名を聞くと、胸に何かをしまい込む様なしぐさで、俺の名前を繰り返した。


「あー・・・その、無事とは言えないようですが、命があって何よりです。」


そう。彼女は全く無事とは言えない状態だった。

サイドテールにまとめられ胸元まで艶やかに流れる黒髪は、本来であればその全てが絹糸の様に滑らかであっただろうに、今はドラゴンのブレスに焼かれ所々が無残に焦げている。

きめ細かく健康的に色づいている肌は、紫色に腫れ上がっているのが、びっしりと貼ってある膏薬の隙間から見て取れた。

裂傷の出血はある程度止まっていたはずだが、無理に動いて傷口が開いたのか、巻かれた包帯に血が滲んでいる。

医療用ナノマシンは働いているようだが、おそらく骨や内臓等に受けたダメージを優先しているのか、表層組織の修復は思ったほど進んでいないようだ。

だからなのか、彼女は包帯と膏薬の塊といった有様で、まともに露出している肌は顔面のみで、近くにいるとツンとした薬と薬草の匂いが漂ってくる。

それでも彼女を痛々しくも可憐だと思えるのは、そもそもこのマリア・アイゼンファウストという少女が掛け値なしの美少女だからだろう。

見た所、負傷した当初よりかなり回復している様だが、あと1~2日程は、歩くだけでも一苦労だろう。

医療用ナノマシンは魔法の治療薬ではない。

元々は改造体用の調整されたもので、生身の人間には効果が薄い。

俺がナノマシンに適応した身体だからこそ、肘から先が吹っ飛んだ腕が、数時間でにょきにょきと生えてくるといった劇的な回復が可能になるのだ。

そして、俺は自分の置かれた状況を改めて把握した。

俺はあのドラゴンの首を落とし、そのまま強制的に待機状態に移行した。待機状態は機能の回復を最優先にされるため、一切の自律行動は行われない。

言ってしまえば、ただの昏睡状態の成人男性だ。

この少女が重症とも言える状態で俺をこの馬車まで運んだとするなら、苦労という言葉では言い表せない程の迷惑をかけた事になる。


「その怪我で、貴女がここまで運んでくれたんですか。

 助けたつもりが、逆に迷惑をかけてしまったようです。申し訳ありません。」


俺から発せられた謝罪の言葉に、それまで噛み締めるように何度も俺の名前を繰り返していた彼女がハッっとして顔を上げた。


「いえ!とんでもありません!!

 命を救っていただいたのに、そんな事をおっしゃられては、わたしの立つ瀬がありません!

 それに、わたしに出来たのは、残った魔力で救難の狼煙を上げる事だけでした。」


彼女はそう言って、傍らに立てかけてある杖を見つめた。


「運良く、近くを通りかかったハンターのパーティーが、狼煙を見つけて助けてくれたんです。今は、そのパーティーとは別れて、駅馬車で近くの町に向かっています。

 皆さん驚いていましたよ。たった二人で王翠翼竜グルドラの討伐なんかできるわけがない!って。実際、上級のハンターですら、10人以上のパーティーを組んでやっと相手になるかどうかの竜種ですからね。

 首が落ちたグルドラを見ていなかったら、信じてもらえなかったでしょう。」


下位ハンターなので仕方がないんですけどねと、マリアは困ったようなおどけた様に小さく笑う。

そこまで話して、彼女はスッと居住まいを正し、深々と頭を下げた。


「鬼崎ケンスケ様、この度は危うい所を助けていただき、ありがとうございました。

 この御恩は一生をかけてでもお返しいたします。」


突然、土下座をされるような恰好になってしまった俺は、慌てて起き上がる。

頭を上げてくれ。俺がそう言おうとするのと、彼女が決意に満ちた目で更に言葉をつづけたのは同時だった。


「鬼崎ケンスケ様!

 大恩を受けたこの上に無礼を承知でお願い致します!!

 わたしとパーティーを組んでいただけませんでしょうか!!」


彼女が言い切るのと、俺が息を呑むのもまた、同時だった。


じっと俺の目を見つめるマリア。


場に訪れる息苦しい沈黙。


ガラガラと車輪の音が一際大きく響いている。


「・・・・・マリアさん」


「はい!!」


「一つ聞きたいんですが。」


「はい!!事前打ち合わせは重要です!!何なりとお尋ねください!!」


そこで俺は、こほんと咳払いをした。


「・・・・・パーティーとはなんでしょうか。」


更に重苦しい沈黙がその場に訪れた。




――――――しばらく後


俺は武闘家で、長年山奥で修業をしていたせいで世情に疎いという、我ながら苦しい言い訳で彼女から様々な情報を聞き出すことに成功した。

なぜか彼女の目が「え、わたしちょっと早まった?」と言っていた気がするが気のせいだ。きっと。


要約すると


当たり前に「魔術」という物があり、世界には魔素と呼ばれる魔力の素が満ちている。

生物は魔素を呼吸や食事などから取り込み、身体の中で魔力へと変換している。

この世界で魔術師と呼ばれる人種は、その魔力を消費する事により様々な現象を起こすことが出来る。

長い間、魔術は魔術師の専売特許であったが、技術の発達と魔術の研究が進み、やがて人は、魔術師ではなくとも魔力を行使する技術を開発した。

魔素をそのまま、もしくは魔力へと変換して使用するその技術は魔導技術と呼ばれ、身近な物では照明から、大がかりな物では上下水道の循環や浄化等のインフラまで、俺がいた世界の電気やガスと同じように人々の生活には必要不可欠な物になっている。

そして、これもまた元の世界と同じように、便利な技術という物は戦うための技術にも活用されている。

それは人間同士の戦争は勿論の事、あのでかいトカゲやドラゴン達と戦う事にも活用されている。

この世界には、竜種と呼ばれる大小様々な生物や、それらと生存競争を繰り広げている獣種と分類される強力な生物たちが当たり前に生息しており、生活圏を異にしながらも人類と共存している。


そして、その調和を保つために存在する、この世界特有の職業がある。

それが彼女の職業でもある「ハンター」と呼ばれる職業だ。


魔素が溢れるこの世界には、地球では考えられない様々な動植物や鉱物が存在する。

爆発する植物や、レアメタルの鱗を持つ魚、魔力を帯びた鉱石等その種類は数えきれない。

ハンターはそれらを採集し、時には文字通り狩猟する。そして、そうやって集められた材料を基に様々な加工品や日常品、武器や防具が作られこの世界の経済は回っている。


そしてもう一つ、ハンターには重要な役割がある。

「獣害」や「竜害」を引き起こし、人間に害を成す生物の撃退・討伐や定期的な間引きだ。

俺が倒した刃爪小竜ブラヘスやマリアが討伐していたという牙猪ファンボアを始め、グルドラの様な大型の竜種など、常にどこかで獣害や竜害は発生している。

もちろん国家の軍は存在しているが、近隣諸国への影響も考え、自然災害と言えてしまう被害に対し、積極的に正規軍を導入する事には腰が重かった。結局、どの国にもそれらの撃退や討伐等の対応は、国家的なしがらみが無いハンターが行うという不文律が存在している。

そして、そのハンターが所属するハンターギルドは、ギルドという互助組織でありながら、その役割から国家という枠組みの中でも中半なかば独自勢力としてその地位を確立している。

そしてハンターはハンターギルドに所属し、ギルドの庇護のもとギルドから斡旋される依頼を受注することにより日々の糧を得ている。


危険な仕事をこなすハンターには、もちろんそれに見合った恩恵が受けられる。

ハンターはギルドに所属することにより、例えどこの国に行ったとしても、ハンターギルドの支部がある国であれば仕事の斡旋を受けられる他、物品を換金する際の優遇や身分の保証、ギルドが運営する宿泊施設の利用、必用であればギルドからの融資も受けられる。

またギルドとしても、依頼料や店舗からの紹介料の他、副次的な成果物を転売することによる利益、各都市のギルド間での市場傾向を把握する事による資産運用の利益など、ハンターを確保する事による利益も大きい。

ただし、ハンターも無制限にギルドの恩恵を受けられるわけではなく、ギルドに加入するには技術の他に人間性まで審査される場合があるし、ギルドに加入出来たとしても七段階にランク分けされ、ランクによって制限を受ける。


そしてこれだけの恩恵を受けられる以上、当然ながら義務も生じる。

つまり「戦う義務」だ。

ハンターギルドが国家間の紛争へ介入する場合は、強制的に徴兵さるれる他、国家及びハンターギルドの総力を挙げて対応する必要がある大規模災害とも言える獣害や竜害への対応義務が発生する。


そして、彼女は俺に、このハンターになり自分とパーティーを組んでくれと言っている。

俺の戦い方を――――力の使い方を学びたいと、彼女は言った。自分はもっと強くなりたいのだと。


結論から言うと、俺はこの申し出を受けた。


その理由はいくつかある。

現状、とにかく情報が足りない。通貨や情勢、文化、知らない事が多過ぎる。この世界の常識や人々の考え方など、色々と教えてくれる人物が必要である事が一つ。

そして、全く勝手がわからない世界では、日々の生活すらままならない。

いい年こいたオッサンが、無一文で今日の宿の見当もつかないとか、マジで詰んだ状況だ。

当面の拠点―――要は彼女の住居に間借りする。―――の確保が必要な状況で、彼女の申し出は大変有り難かった。

もちろん欲得ずくの理由だけではない。


最後に、これが最大の理由になるんだが、心の底から彼女が強さを求めていた点だ。


彼女が言うには、この世界の人間は生まれながらに、大なり小なり魔力を持ち、必ずいずれかの属性もしくは複数の属性を保有する。

属性には、雷・火・土・風・水の5つの基本属性があり、魔術もそれぞれの属性に対応する系統が存在し、それぞれ相関関係になっている。一般的に魔術師と呼ばれる職業が使用するのはこの5属性のいずれかだ。

そしてこの他に基本属性には対応しない双極の属性である光属性と闇属性があり、主に太陽神ルーグを祀る神官が光属性を、冥界神ファテルを祀る司祭が闇属性を好んでこの系統の魔術を使用する。

要は神官が使う「法術」に区分されるものなのだそうだ。


しかし、極めて稀にこの7種類の属性のいずれにも当てはまらない、無色の魔力と呼ばれる魔力を持つ人間が生まれてくる事がある。

 通常、魔術を行使する人間は、体内に蓄積された魔力を喚起させ、自身が保有する属性に沿った現象を発現させる。よっていかに優秀な魔術師であろうとも、保有する属性系統以外の魔術は使用する事が出来ない。

5つの基本属性を全て兼ね備えたエレメントマスターと呼ばれる奇跡の存在であったとしても、保有していない光属性や闇属性の魔術は行使する事が出来ない。

そして無色の魔力を持つ人間はの放出は出来るが、炎や水といった現象に変換することが出来ない。

漠然と魔力を放出するだけの現象は、いわば蛇口からそのまま水を垂れ流しているだけの状態であり、エネルギーの変換効率としてはすこぶる効率が悪い。


本来、無色の魔力とは鉱石に含まれるもので、それらを加工したアクセサリーやアイテムを自身の魔術の媒体として使用する事により、無色の魔力の恩恵を受けることが出来る。

無色の魔力の特性はどの属性とも親和性が高く、主となる属性と併用する事により、その属性を強化することが出来る。補助として非常に有効な性質であるため、魔術を使用する職業では、無色の魔力を封じたアクセサリーやアイテムを持つことが当たり前になっている。

しかしながら、無色の魔力が単体で効果を発揮する魔術体系は存在しない。なぜならば、無色の魔力を保有する人間は、その絶対数が少ないというか、そもそも存在する事すら稀であり、魔術理論を完成させたとしても、使用する人的資源が極端に乏しい。

そしてなにより、仮に長い時間をかけ無色の魔術体系を完成させたとしても、その効果は安価で量産がきく補助アイテムと同等なのだ。研究を行うメリットがあまりにも薄い。

莫大な費用と時間を費やしたとしても、完成するのは量産アイテムの代用魔術。しかも、扱える人間など数万人に1人いるかどうか。

この世界での一般的な無色の魔力への認識はその程度のものだった。

 

そして、マリア=アイゼンファウストという人間がなぜ強さを求めるのか。

彼女が保有する属性が、基本属性の5属性でも双極属性の2属性でもなく、その非常に希少とも言える無色の魔力を持つ魔術師だったからだ。


世間の目は、この特殊な魔術師に冷たかった。


しかし彼女は、魔術師であるために努力した。

彼女の両親が元冒険者であったことも幸いしたのだろう。魔術を学ぶ環境は整っていた。

元々、アイテムが効果を発揮する理論は解明されていたため、その理論を基に、未完成ながら無色の魔術理論体系とも言える魔術体系の骨子を確立するのにさほど時間はかからなかった。

実験と検証を積み重ね、なんとか実戦にも使用できる魔術が完成した。

しかしそれは、基になった増幅アイテムの効果とそれほど変わるものではなかった。

結果、どのパーティーに所属しても、強化アイテム扱い。そのくせ報酬の分け前は、人ひとり分かかる。

彼女と組もうというハンターは、目に見えて減っていった。


魔術の研鑽は欠かさない彼女だったが、現在の理論そのものに行き詰まりを感じ、同時にハンターとしても成長できず、ハンターそのものを辞めようか悩んでいたある日、彼女は一冊の本を見つける。


その日、彼女は採取依頼を手早く済ませ、街をぶらついていた。

いつも通っている本屋に新しい魔術の資料でもないかと立ち寄ると、店の奥にあるカウンターに顔なじみの店主が腰かけていた。年の頃は50歳前後。白髪が混じった頭髪は綺麗に整えてあり、眼鏡の奥の目は、常に笑うように細められている。

手には何やら難し気な歴史書が開かれており、濃緑色の背表紙がえんじ色のカーディガンを一際明るく見せている。

この店主とは、いつも何か役に立つ魔術の本が無いかと店に通う内に親しくなり、元は学術研究員であったという経験から、今では魔術研究の内容まで相談に乗ってもらっている。この町でマリアの魔術研究を知り理解を示してくれている数少ない人物の一人だ。

その店主が変わった本が手に入ったと、店の奥から長細い木箱を取り出して来た。

どうだと言わんばかりに胸を張る店主。

箱にはかすれた文字で「創世十一神」と書いてあった。内容はよくある、神々による創世の神話を中心にした叙事詩のようだった。

この世界は十一人の神々が無垢なる巨人を打倒し創造されたとされている。

主神である太陽神ルーグを始め、様々な逸話を持つ神々の物語は、娯楽が少ないこの世界では一つのエンターテイメントになっている。

中でも闘神ターラーンの悪竜退治や農耕神カルティと鍛造神ゴーヴァンの酒勝負、智神エッススの恋歌、戦神ネムハンと海洋神リユルの冒険譚など、物語性の高い物は人気が高く、酒場で歌う吟遊詩人は必ずと言って良い程、神々の物語を歌い上げ、子供達が寝物語に求めるのも胸が躍る冒険譚だ。

厳かな手つきの店主が、そっと箱の蓋をあけると、ふわりとかび臭いような古びた羊皮紙独特の匂いが漂う。

叙事詩は巻物形式で、冊子形式の製本が主流のになっている現在では確かに珍しい。

とは言え、魔術に関係の無い物にはさほどそそられず、体よく話を切り上げようとすると


「たぶん、マリアちゃんにも関係があるよ。」


と言う。どういう事かとたずねると、なんでも現在語られている英雄譚が成立する前の巻物だというのだ。しかし、どうもピンと来ない。古い昔話がわたしに何の関係があるのだろう。


「物語という物は、時代によって形を変えるんだよマリアちゃん。

 人々がもっと楽しめるように。世情にふさわしいように。時には為政者の都合がいい様に。

 だから、古い物語には意図的に隠されてしまった部分が残っているんだよ。」


そう言って、店主は広いテーブルの上を片付けて、ゆっくりと巻物を広げて行く。

現れたのは、年代物とは思えない程美しい絵物語だ。


「これは絵具が今の様に普及する前に使われていた、顔料と言われる画材で書かれているね。様々な石を砕いて作られる顔料は、石がそうであるように長い年月をかけても色あせる事がない。

古代の息吹を感じるね。」


楽しくて仕方ないといった様子で話しながら、店主は巻物を左手で巻き取り、その一方で新しい部分を広げて行く。

しばらく進むと、絵が途切れ文字が現れた。

そこには創世の詩が書いてあった。

そこからしばらくは文字と絵が交互に繰り返されるようになっていく。

物語が進んである場面に来たとき、店主がここを読んでと指をさした。


『赫怒たる英雄の神 無垢なる力を呼び起こしたり


 その胸 鉄の如く その腕 怒鎚が如く変じ


 唸れば天 幽暗とし


 踏み鳴らす事 地 震顫とする


 悪竜 おののきたり


 もって悪竜を滅ぼし


 此れ 無色の力と呼ばう』


その詩から目を離すことが出来なくなった。何度も何度も読み返すマリアに店主が語る。


「これ、似てないかい。

 僕は魔術の事は詳しくないけど、直感的にこれはマリアちゃんが作ろうとしている魔術に近いと思ったんだ。」


ばっと音がしそうな速さで、マリアが店主の顔を見つめる。

その顔からは、普段のひょうひょうとした雰囲気が消え失せ、物事を探求する人間特有の空気を纏っていた。


「魔術を人に伝えたのは神々とされている。しかし、智神エッススがもたらしたとされる魔術は五つの基本属性と二つの双極属性のみ。

 では、無色の魔力を使う術は誰がもたらしたのか。

実は無色の魔力という力は魔術ではなく、他の使い方があったのではないのか。

この叙事詩には英雄の神―――ターラーンが無垢なる力を呼び起こすと、胸は鉄になり、腕は雷になったとあるね。

 そして、ターラーンを変身させ悪竜を退治させたこの力をと呼ぶとある。」


僕の言いたい事がわかるかい。と店主がマリアを見つめる。


「胸は鉄になる、鉄は硬く強く侵されざる物の象徴。そして、雷は人ならざる力の象徴だ。

 叙事詩に謳われる無色の力を無色の魔力と読み替えた場合、こう考えられないかな。

無色の魔力は本来は、身体強化のための力なのではないか・・・と。」



それから彼女は、砂漠から針を拾い集めるように様々な文献を調べ手がかりを探した。

無色の魔力であっても、新しい魔術系統が確立できると思い込みたかったのかもしれない。

自分の理論を補強し、修正し、裏付ける証拠をがむしゃらに集め続けた。

そして3年という月日を費やし、彼女は無色の魔力が持つ「増幅・強化」という特性の対象を、魔術への効果だけではなく、魔術によって喚起される「現象」から「自身」の体へと変更。

対象となった者の能力を強化する魔術。いわば無色の魔術理論体系を完成させるに至った。


身体強化に特化した魔術という特性上、前衛として戦う能力の取得が急務と彼女は考えた。

他の魔術師がほとんど行わない身体の鍛錬。接近戦による戦闘技術の習得。

そして、戦闘技術と強化魔術が混合した、高速戦闘で対象を圧倒する戦闘スタイルこそが自分の理想であると結論付けた。


理論上は可能であるはずだった。

実際に強化された彼女の戦闘能力は、以前の様にパーティーを組むことなく下位の討伐依頼を一人でこなせる程に向上した。

ランクも一等級上がり、赤色等級から橙色等級へ。

ゆっくりとだが、着実に実績を積んでいる。それまで彼女をポンコツと嘲笑ったハンター達も、その声をひそめるようになった。


しかし、理論を知っている事と実践出来る事は全く違う。


圧倒的な魔力量の不足に継戦時間を削られ、魔術行使のフィードバックに耐えられない身体は毎晩彼女の体を苛み、実戦経験の不足から思わぬ窮地に陥ることも有った。

彼女は自分の未熟さを痛感する日々を送ることになった。


もう一度パーティを組むという選択肢もあった。経験値や戦闘技術の不足は、誰かと補い合えばいい。効率を考えるのであれば、最も現実的な案だ。

戦闘要員としてではなくとも、攻勢補助魔術バフ要因としてどこかのパーティーに所属しても良かった。

実際に、実績を上げ始めた彼女を誘うパーティーもいくつかあった。


しかし彼女は、その度にただのアイテムとして扱われ、疎まれたあの時の事を思い出してしまう。

彼女を蔑み、見下した連中の顔がこびりついて離れない。


どうしても、誰かと組むという気持ちにはなれなかった。


そして何より、未成熟な魔術を人前で行使する事は躊躇われた。

実績を積んだとしても、欠点を見つけた人間という物は、そこをあげつらい嘲笑の的にする。

その実績が、特異な能力に根差した物であればある程、そら見た事かと、あれは間違った方法だと完膚なきまでに叩きのめされるのだ。

強きを妬み、弱気を笑う。人間社会とはそういうものだと、マリアは身を以って学んでいたのだ。

故に彼女は、自分の能力を疑われるのではなく、心血を注いだ魔術を蔑まれるのだけは何としても避けたかった。


結果的に、彼女は欝々としながらも、たった一人で燻り続ける日々を送ることになる。


そして、いつものように依頼をこなしていたある日、彼女は出会うはずのないドラゴンと出会い、そしてこの世界にいるはずのない俺に出会った。


彼女はそこで、星光炉で生み出されたエネルギーの波動を感じ、それが俺の体を人外の域にまで押し上げていく様、そしてその戦闘能力を目にすることになる。

悶々と悩む彼女にはこの突拍子もない出来事が、雨雲を切り払う烈風とでも感じられたのだろう。

俺の戦い方をその記憶に刻み付けた彼女は、この出会いを神の導きだと言った。


体内の星光炉で生成されたエネルギーを身体能力の強化に変換する俺の戦闘スタイルは、彼女の無色の魔術理論体系に合致する。


彼女に是非を問う暇などなかった「どうか、わたしを導いてください!」そう言う彼女の瞳はこう言っていた


―――――わたしを見下した奴らに、わたしの力を嗤った奴らに、復讐するために―――――


俺には魔術がどんなものかわからない。しかし、人外が蠢く組織と長年戦い続けて来た経験を持ってはいる。

この経験のいくらかでも彼女に伝えることが出来たのなら、彼女がより成長していくためのヒントを渡すくらい出来るかもしれない。


まさしく、復讐は成し遂げられなくてはならない。


かつて復讐の鬼となった俺が出来る事は、たったそれだけなのだ。


それがマリア=アイゼンファウストと言う少女の手を取る事にした、最大の理由だった。

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