第3.5話 閑話:マリア・アイゼンファウスト
正直な話をすると、あの時、わたしは死を覚悟していました。
決意とかそういうのじゃなくて、絶対に逃げ切れない状況から来る諦めから、自分の死を受け入れるしかなかったんです。
その日は害獣駆除の依頼があって、森林の中層近くまで入り込んでいました。
森林の周辺地域に
毒餌と罠で十分対応できる事と、定期的に発生する依頼なので、対処に慣れていた事もあり、一人で森に入りました。
罠と毒餌を仕掛けた翌日、群れほとんどが毒餌を食べて動けなくなり、一部の用心深い個体も罠にかかっていました。
何匹か逃がしたようですが、群れとしては成り立たない程度の数なので、見逃しました。
朝から作業を始めて、お昼を過ぎるころには
何体か解体して、ちょっと休憩しようかと思ったその時です。
一瞬、日が陰ったかと思うと、凄い風と一緒にわたしの目の前に
本来なら、森のこんな浅い階層に現れるはずがない大型の竜種です。
現れた当初は討伐した牙猪達を食い散らかしていたんですが、なぜかどれも、一口二口かじっては放り投げ、どの肉にも満足していないようでした。
そして、不満げに唸ったグルドラは、一度は立ち去ろうとしたのですが、何かに気付いた様に鼻を鳴らし始めたんです。
しまったと思いました。実は、狩りのついでにキアラの花を摘んでいたんです。香水の原料になる花なので、ちょっとした小遣いになると思ったんです。
鼻を鳴らしながら、ゆっくりと頭を巡らせたグルドラは、木の根に隠れているわたしを見つけました。
あの異常な目は今でも忘れません。探していた嗜好品を見つけたとでもいう様な、なんとも言えない目でした。
あの場面で、咄嗟に全身強化の魔術と閃光玉を使えたのは、自分で自分を褒めてあげたいです。
その後はもう、無我夢中で逃げました。
木のうろや、倒木の陰に隠れてやり過ごしたり、残りの閃光玉も煙玉も、使えるものは全部使ってなんとかエリアを移動して来ましたけど、なぜかグルドラはどこまでも、執拗にわたしを追いかけて来たんです。
途中で何回か、他の獣にも遭遇したんですが、そちらには一切目を向けません。
とにかく、グルドラは真っ直ぐにわたしだけを目指しているようでした。
なんとか街道に近い河原まで逃げられたんですが、そこで追いつかれてしまって・・・。
そこからはもう、とにかく逃げ続けるしかありませんでした。
全身に身体強化の魔術を施して、なんとかグルドラの攻撃は躱していたんですけど、長い効果の魔術じゃありませんし、それにグラファンボアの討伐が終わった直後だったので、魔力が底をつくのは時間の問題でした。
逃げれば逃げるほどグルドラの攻撃は激しくなって、何というか、なりふり構わなくなっている様に思えました。
この時にはもう、ああ、死ぬんだなって絶望し始めてましたね。
身体は痛いし、怖いし、ああ!もういいや!って自暴自棄的な諦めに近いというか。
それでも、なんとか引き離して大きな岩の陰に飛び込んだんです。
屋根みたいにせり出していた岩だったので、グルドラの牙も爪も届かないみたいで、ちょっと安心しました。
やっと一息つけると思って、ポーションを取り出そうとしたとき、急に静かになったんです。
岩をガリガリやっていた音も、尻尾を叩きつける音もなくなって、諦めたのかとも思ったんですが、そんな甘い考えを笑うように一瞬で周囲の空気が変わりました。
何が原因かなんて考えるまでもありません。
それまでそよいでいた風が、全部グルドラに向かって流れ込んで行くのがわかりました。
目の前を、乾いた枯草と小石がコロコロと転がっていったのを今でも覚えています。
気付いて走り出そうとしたときには、もう遅かったですね。
岩の下から飛び出した瞬間、わたしの後ろで岩が爆発しました。
たまたま岩から離れようとしていたので、爆発そのものに巻き込まれなかったのは幸いです。
でも、粉々になって吹き飛んでくる岩の破片も凶器です。爆風とブレスの熱波、そして大砲の弾みたいに飛んでくる岩。
もう、痛いとかよくわからなかったです。今思い出しても、よく死ななかったもんだと、自分でも関心してしまいます。
多分、一瞬気を失っていたんでしょうね。
気が付いた時に、自分がどこにいるのか咄嗟に思い出せませんでしたから。
川の音が近くなっていたので、岩が吹き飛んだ場所からかなり離れた所に転がっているんだとわかりました。
とにかく逃げようとして、体に力を入れたとたん、身体がバラバラになるんじゃないかって思うくらいの激痛が走りました。
気ばかり焦って、動かない体はとにかく全部が痛くて、どこが痛いのかもわからなくなっていました。
何とか薄目を開けて、歩き出すグルドラが見えたとき、見るんじゃなかったって後悔しました。
ハンターだった両親に憧れて、望んでハンターになった訳なんですけど、やっぱり死ぬのは怖かったです。
空はこんなに青いのに、わたしは死ぬんだって思って・・・。
死にたくないって気持ちと、どこかどうしようもないって諦めてる気持ち。それぞれが半々で、なんだか無性に悲しくなったのを覚えています。
その時です。
わたしとグルドラの間に、立ち塞がった人が居ました。
全身黒ずくめで、ギルドの事務員が着てるみたいな服。身長はそれなりに有りましたけど、上級のハンターさん達みたいに
その人は、街中で美味しい店を教えるみたいな話ぶりで、ドラゴンに向かってこう言ったんです。
「邪魔をして悪いが、俺はこの子に用があるんでな。飯なら他で済ませてはもらえないか。
丁度この先に、でかいトカゲ肉が3匹分用意してある。味は保証できないが、かなりのボリュームだ。
間違いなく栄養価・満腹度共に彼女よりも上だと思うがどうだろうか?」
こんな状況じゃなかったら、わたしは笑ったかもしれません。
当たり前だけど、返事は嵐みたいなドラゴンの怒号で返って来ました。
そして、グルドラの巨体が突進してきました。ちょっとした家くらいある大型竜種の突進です。二人とも間違いなく死んだと思いました。
きっと、一人で死ぬには寂しいから、この人は一緒に死んでくれようとしてるんだって、バカみたいな事も考えてしまうくらいに、確実な死が目の前に口を開けて迫っていたんです。
でもその人は、逃げ出すどころか足を踏ん張って、拳を握ったんです。
普通の人間なら間違いなく頭がおかしいです。
狂人か夢想家、どちらにしてもまともじゃないです。
でも、不思議な事に、その人の背中には全く不安を感じませんでした。
そこにあるのは、圧倒的な力の顕現。
頂点に君臨する者の絶対性。
わたしが思い描き、追い求めてきた理想の力そのものでした。
その後の光景は一生かかっても、絶対に忘れられません。
それまで散歩でもするかのように立っていたのに、突然その人から暴力的な力の鼓動を感じたんです。
自分の感覚を疑いました。魔力に似ていて、でも魔力ではない力の波動。
恐ろしく破壊的な印象を受けるのに、決して荒々しい訳ではなくて、研ぎ澄まされた武器を思わせる力の脈動です。
人の身でそんな力を手に入れることが出来るなんて、にわかには信じられませんでした。
そしてもっと信じられない事に、その人はそんな力を完璧に操っていました。
さも当然といったような風に、静かに全身にみなぎっていく波動。
それに呼応するみたいに、それまで華奢にも見えていた身体が爆発的に膨れ上がりました。
それと同時にわたしを襲う熱気。
全身からゆらゆらと熱を立ち上らせ、グルドラを睨みつけるその姿は、おとぎ話に語られる闘神の様でした。
そしてその人は、あろうことか突進してくる大型の竜種を殴りつけて吹っ飛ばしたんです。
その衝撃に小さく悲鳴を上げたのを覚えています。
殴り飛ばされたグルドラは、そのまま凄い勢いで視界の外に転がっていきました。
全身が動かないのも忘れて、グルドラを追いかけて首に力をこめたんです。
背中を激痛が走りました。
痛みが過ぎ去ってくれるのを耐えていると、グルドラが転がっていった方向から、パラパラと砕けた小石が降って来ました。
あの巨体が、すごいスピードで転がっていったんです。途中にあった石や流木なんかが、粉みじんになったのが容易に想像できました。
でも、そんな事よりも、わたしの頭の中は疑問でいっぱいでした。
どれだけの力で殴ればそんな事が出来るのだろう。
この人は、どうやってその力を手に入れたんだろう。
わたしの心は、この目の前の男性に釘付になっていました。
古くから力と暴力の象徴である竜種。その中でも空を統べる王と呼ばれるグルドラを、素手で打ち据える人間。
まるで、先生が昔話してくれた闘う神ターラーンの偉業の再現です。
その強烈な印象は、その男性を絶対的な力の象徴として、わたしの魂に刻み込みました。
その男性に見惚れていたのか、それとも気を失っていたのか、気が付くとその人の顔が間近にありました。
そっと物陰に降ろされて、やっと抱きかかえられているんだってわかりました。
太陽を背にしているその人は、身体を縁取る眩しい日差しがゆらめいて、本当に闘神ターラーンの様でした。逆光で表情は見えないはずなのに、じっとわたしを見つめる目だけははっきりと見えた気がしたんです。
その目はわたしの体の奥まで見透かしている様で、でも不安と優しさが混ざったような綺麗な目でした。
おかしいですよね。あんなに怖い力を平然と操って、素手で大型竜種すら殴り飛ばせるような人なのに。
でも、この人こそわたしを導いてくださる人だ・・・直感的にそう確信してしまって、そんな自分にビックリもしましたが、どこかすんなり納得出来ている自分もいました。
その後の事は、実はよく覚えていません。その人が私の首元に優しく触れたとたん、全身の痛みが嘘のように収まっていったように思います。そんな事はさすがに無いと思うんですが、危機的状況から人の温もりを感じて安心してしまったのかもしれませんね。
そこからは記憶がとぎれとぎれで、わたしの意識が限界だったのか、気が付いたらもう夕方近い時間になっていました。
あれだけの轟音を上げていたグルドラも、わたしを助けてくれたあの男性も消えてしまったように静かでした。
鳥の声すら聞こえないのは、この辺りの動物は全てグルドラから逃げてしまったんでしょう。
身体を起こそうとして、眩暈でもう一度倒れ込みました。身体の痛みは不思議と収まっていましたが、今まで経験したことがない疲労感に見舞われて、腕を上げる事すら、全身の気力を振り絞らなくてはいけませんでした。
わたしが横たえられていたくぼみから、這いずる様にして出ると、信じられない光景を目にしました。
動きを止めたグルドラと、その傍らに立つあの男性。
どちらもピクリとも動かず、男性はまるで剣でも振り降ろしたような体制で固まっていました。
その右手は血まみれで、足元に赤黒い水たまりが出来ていて、ボロボロに千切れた服が川風になびいていました
なんとか立ち上がろうとしたんですが、足に力が入らずに崩れ落ちてしまって・・・。
杖になりそうな物も、そう都合よく落ちていません。
腰の小剣を鞘ごと杖代わりにして、ようやく立ち上がれました。
わたしが近づいていく間も、グルドラもその男性も全く動きません。まるで、石像になってしまったようです。
音を出したらグルドラが動き出しそうな気がして、声をかけるのを何度か躊躇しました。
それでも、なんとか声を絞り出しました。
「あ、あの・・・」
やっと手が届く距離まで近づいて、声をかけました。反応はありません。
その時、一際強い風が吹きました。夕方近くになってくると、山から吹き降ろしてくる冷たい風です。
くらっ・・・と、直立する彫刻がその形を保ったまま倒れるように、その男性がゆっくりと倒れていきました。
「あ・・・」
思わず手を伸ばしましたが、足が付いてこなくて、一緒に倒れてしまいました。
静寂に包まれた河原に、杖にしていた小剣が転がる乾いた音が響きます。
地面にぶつかった衝撃で、収まっていた痛みがぶり返して、全身を激痛が襲います。
痛みを噛み殺して、何とか顔を上げると、ズッと大きな肉を引きずる様な音が聞こえました。
今まで動かなかったグルドラが、その形を変えていました。
まるで丸太を輪切りにしたときの様に、垂直にグルドラの頭がずれているんです。
肉が立てる音はどんどん大きくなって、それと一緒にグルドラの頭と首のずれが大きくなって行きました。
一呼吸もしない内に、グルドラの頭はその胴体から完全に離れていました。
疲労感とは別の感情でガクガクと震える膝を抑えて、もう一度立ち上がります。
わたしの目の前には、首を落とされた大型竜種とその傍らに倒れ伏すボロボロの男性・・・。
事実としてわかっている事が一つ。
その人はどう見ても丸腰でした。刃物どころか金属片すら身に帯びていません。
仮にわたしが持ってる刃物を使ったとしても、腰の小剣か解体用のナイフしかありません。
とてもじゃないけど、グルドラの首を落とせる様な代物じゃありません。
いったいどうやって・・・・
そこまで書いて、わたしは日記のページを破り捨てた。
これは、きっと人に知られてはならない事実。記録には残してはいけない事実。
あの力が世に知られたとき、あの人は人では居られなくなるだろう。
人間の欲望の生贄にされてしまうだろう。
あの人は、見ず知らずのわたしを救ってくれた。
今度は、わたしがお守りする番だ。
わたしは、傍らで眠るこの男性をじっと見つめながら、静かに馬車に揺られている。
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