第3話 変身ヒーローが異世界で一狩りする②

遭難したらまずは、飲み水と避難場所の確保。それが常識だと思っていた。

小学生の頃に参加したキャンプでも、組織のサバイバル訓練でもそう教えられた。

幸いにして、実際にその知識が役立つ機会には恵まれなかったけども。



ただ問題は、そういう知識やノウハウは、せいぜい熊くらしか居ない山とか、逆に虫すら居ない砂漠とか、そう言う常識的な遭難を前提にしている知識であると言う点だ。

常識的な遭難という言葉に疑問を抱かないでもないが、そういう遭難であれば、俺が学んできた知識で十分対処可能だったろう。

生き残る事さえ出来れば、あとは救助を待つか、人里を目指すかだ。


しかし、今俺がいるこの森は、異常に殺傷能力が高い上に群れで狩りをするような、体長二メートルもある恐竜(仮)やら、巨大な何かが空を飛び回っている様な森だった。

最終決戦で、ボロボロになっていた俺の体が回復していたのは有り難いが、メイン動力炉である月光炉が機能停止していたり、見た事もない森の中に放り込まれていたりと、予想外の事は起こったし、むしろ、予想外の事しか起こってないし、多分と言うか間違いなく、これからも予想外の事は起こっていくのだろう。


つまり何が言いたいかというと



今現在



恐らく、さっき森の上空を飛び去って行った巨大な影の正体だ。



話は一時間ほど遡る。

青い恐竜(仮)三体を、青い恐竜(仮)だった物に変換した俺は、水を求めて薄暗い獣道を歩いていた。

今、冷静になって考えてみれば、常識的な山で暮らす生き物には水が必要で、それがどんなサイズであれ、水場には獣が集まる。猿や鹿なんかは勿論、熊だって水を飲みに池や川にやって来る。

ましてや、この森だったら、当然、熊以上の何かが水を飲みに来るだろう事は、十分に考えられたはずだ。


寝起きで脳が機能していなかったか、脳制御システムが戦闘行動モードでオーバーヒートしていたかわからないが、危機管理もへったくれもないまま、俺は森を抜けて川にたどり着いた。

薄暗い森を抜けた俺の目に飛び込んできたのは、太陽の光を受けてキラキラと輝く川。

川風が、川の流れを縁取る様に生えている木々を、さわさわと撫でていく様子が、薄暗い景色に辟易しはじめていた俺にはとても美しく見えた。


そして、そんなのどかな原風景をぶち壊しながら、全速力で河原を駆けずりまわる女の子と、それを追いかけ、喰らおうと襲い掛かっているドラゴンが、俺の視線を釘付けにして放さない。



そう。だ。



確かに当初の目的通り、飲料水の確保と意思疎通が出来そうな人類に遭遇する事は出来た。神様ありがとうございます。

しかしながら、ちょっと所ではなくおまけが凶悪です。ぶちころがすぞ神様。

あまりにも現実離れした光景に、思考が泳ぎ回り最終的に凍結フリーズする。

ファンタジー世界のド定番ともいえるドラゴン。むしろ、ドラゴンが登場した時点でそれはもう、ファンタジーだ。

一軒家ほどもある巨体。前足と同化した長大な翼。太く刺々しい尾。そして全身を覆う鎧の様な甲殻。くすんだ緑色の甲殻は、先程の青い恐竜のそれとは違い、全く光沢はない。むしろ岩と言われても納得してしまいそうな質感は、その重厚さから圧倒的な頑健さを無言で示している様だ。


そんなものから追いかけられている女の子は、必死の形相で逃げ回っている。

あれが自分だとしても、あんなドラゴンから追いかけられれば、迷うことなく逃げてしまうだろう。むしろ、よく逃げていると思う。普通の人間なら、竦みあがってしまって、逃げるどころではなくなってしまうはずだ。

年の頃は十代後半くらいか、全身ボロボロになって物凄い顔になってしまっているが、それでも端正な顔立ちだとわかる程の美少女だ。

彼女は、河原に点在する様々な障害物を利用し、ドラゴンの隙をついてなんとか逃げている。全力疾走である事は疑いようもなく、あっという間に目の前の河原を駆け抜けていった。

幸いなことに、それを追うドラゴンが巨大で鈍重な分、細かい動きについていけていない。

大きな岩や倒木がゴロゴロしている河原は、身を隠す場所には事欠かないが、この場所はそれほど上流という訳でもないのか、度を越して大きな岩などは存在していない。

女の子が身を隠すものの、流木やそこそこ大きな岩程度では、ドラゴンは物ともしていない。今はまだ動けているが、下流に行けば行くほど障害物は少なくなってくるだろう。限界が近づいている事は目に見えていた。

女の子の手にはスタッフと言うのだろうか、華奢な身体には不釣り合いな金属製の杖を持っている。

何か仕掛けがあるのか、杖に埋め込まれた赤い宝石が淡い光を放ち、その度に女の子の動きが飛躍的に速くなる様に見える。その度に、後ろでまとめられた黒髪が躍り、健康的に日焼けした四肢が、身に付けた革鎧から覗いては躍動する。こんな逼迫した状況でなければ、良い目の保養になっただろう。


女の子をその牙で切り裂こうとドラゴンが頭を振り回しているが、すんでのところですばっこく逃げ回られ続けている。目の前に食べ物をぶら下げられたまま、ずっとお預けを食っている状態になっているドラゴンは、次第に苛立ち始めているようだ。

尻尾に、風圧に、牙、足の爪とドラゴンの攻撃が激しさを増しているのがわかる。

見る間に女の子が追い詰められていく。

腰の小剣を抜いて、回避と受け流しを駆使しながらなんとかしのいでいるが、その顔には絶望が浮かび始めている。

ドラゴンの大振りを誘い、空振りさせた隙をついて、一際大きい岩影に飛び込む。

地面に覆いかぶさる形の岩は、ドラゴンの牙を容易には届かせられない。

彼女が一息つこうとしたその時。

それまでガリガリと岩を削っていた牙を放し、攻勢一方だったドラゴンが、追撃の手を止めて低く唸った。

そしてゆっくりと、間合いを取るように


翼を数回空打ちすると、数秒の静寂の後に、周囲の空気の流れが一変した。

低い風鳴りのような音と共に、ドラゴンに向かって周囲の空気が流れ込みはじめる。

思い切り息を吸い込んでいるのだ。

胸をふくらまし、のけぞるように上体を起こす。

獲物を見下すように、高く持ち上げられた鎌首は邪魔な大岩に向けられ、長大な両翼を大きく開き、後ろ足で立ち上がる。

胸周辺の鱗の隙間から、チカチカと赤い炎が瞬いて見える。胸郭から漏れ出た熱が、周囲の空気を焦がし陽炎が立ち上っている。


竜の炎息ドラゴンブレス


あまりにもファンタジーで常識外れな光景を目にして、思考が停止していた俺を急激な悪寒が襲う。

いかんっ!!そう思って、森から飛び出した時には、もう遅かった。

河原の空気を吹き飛ばし、轟音と共に撃ち出された火球は、発射口である咢と大岩を結ぶ直線上にある全ての物を消し炭にしていく。


響き渡る爆音と閃光。舞い上がる砂塵と弾け飛ぶ川の流れ。


霧状になった川の水が降り注ぎ、ややもすると川風が吹き上がった粉塵を霧散させる。何かが焦げる臭いが、森の匂いに混じって鼻をつく。

その先に見えたのは、大岩が跡形もなく消え去り、ぽっかりと穴が開いて、濡れた土が露呈した地面と、爆発に巻き込まれて倒れ伏す女の子だった。

なんとか息はあるのか、時折苦痛に顔を歪ませている。意識はかろうじてあるようだが、朦朧としているのか逃げるそぶりは見せない。

ドラゴンは翼を鳴らし、熱気が残る息を満足気に吐くと、ようやく動かなくなった獲物に向かって、ゆっくりと歩き出す。


しかし、その足が、数歩進んだ所でぴたりと止まった。

グルルルル・・と喉を鳴らし、苛立ちと殺気が膨れ上がる。

鼻息が荒くなり、不快さを隠そうともしない。

獲物との間に、俺が立ちふさがったからだ。


「邪魔をして悪いが、俺はこの子に用があるんでな。飯なら他で済ませてはもらえないか。

 丁度この先に、でかいトカゲ肉が3匹分用意してある。味は保証できないが、かなりのボリュームだ。

 間違いなく栄養価・満腹度共に彼女よりも上だと思うがどうだろうか?」


わざと軽い調子で、しかし殺気を山盛りにして話しかける。

トカゲ肉はあっちの方向だと、さっき通って来た方向を指さすと、余計に苛立ったのか、ドラゴンが怒号を上げた。

小石が吹き飛び、周囲の木々や川面が波立つ。咆哮を直接向けられた俺は、音の圧力だけで空が飛べそうだ。

だが、ここで怯んだ様子は欠片も見せられない。

しっかりとドラゴンを睨みつけて足を踏ん張る。野生動物と対峙した時の鉄則は舐められない事だ。


弱者と見た俺が小動こゆるぎもしないので、ドラゴンが警戒する。こちらを観察するような目つきになり、ふんふんと鼻を鳴らす。かすかに漂う匂いから情報を集めようとしているようだ。

警戒させれば時間が稼げる。身体を管理する脳システムを、戦闘モードへ切り替える時間稼ぎだ。

目の前のドラゴンを意識下に置きながら、頭の撃鉄を起こす。

脳制御システムが戦闘行動モードで起動し、周囲に球形の情報表示が投影される。やはりドラゴンを示すアイコンには「unknown」と表示されている。


――――まあ、そうだよな。


世界的に名が通ったドラゴンと言えども、索敵データベースにファンタジー世界の生物なんか登録されている訳がない。


こちらが戦闘行動モードに移行するのとほぼ同時、俺を脅威足り得ないと判断したのか、更なる咆哮を上げるドラゴン。

威嚇するように広げていた翼をたたみ、俺と女の子を一飲みにしようと、砲弾の様に突っ込んで来た。

俺とドラゴンとの距離はせいぜい数十メートルしかない。そんな短い距離で、あの巨体をトップスピードに到達させるその後ろ脚は、恐ろしく強靭な脚力を備えていると容易に推察できる。

本来なら横にでも跳んで難なくかわすが、今は後ろに半死半生の女の子がいる。

避けるなんて選択肢は論外だ。

両足を踏ん張り、左手を前に、右手を腰だめに構える。


――――鳴け星光炉――――


本日二度目の積極稼働に右胸の星光炉が甲高い音を上る。嬌声にも似た音と共に生み出されたエネルギーが全身を駆け巡る。

エネルギーを注がれた倍力機構が瞬時に起動し、全身の筋肉がその力を示すように、ミシミシと音を立てて膨れ上がる。

恐竜(仮)の時とは比べ物にならないエネルギーが人工筋肉を発熱させ、全身から水蒸気が立ち上ると同時に、焼けるような苦痛に見廻れて歯を食いしばる。

戦闘形態に移行できていない現状、常人の筋組織に近い構造を持つ擬態筋肉にエネルギーを流し込む他ないのだが、このような運用は想定されていない。流し込まれたエネルギーを受け止め切れないのだ。

漏れ出したエネルギーが神経を焼き、擬態筋肉が過負荷に悲鳴を上げている。

しかし、その間にもドラゴンは地響きを上げて迫って来ている。

このまま何もしなければ、あとコンマ数秒ほどで、あの凶悪に開かれた上下の顎に噛み砕かれるだろう。

その未来を払拭すべく苦痛を意識の外に放り出し、両手の拳を握りしめる。

ゆっくりと右手の感触を確かめるように、軽く右手の拳を開き、再び強く握りしめ、大きく風を巻きながら振り上げる。


「どおっせいっ!!」


気合と共に巌のようなドラゴンの顔面にめがけ、フック気味に右の拳を叩きつけた。

インパクトの衝撃に大気が震える。

全身の筋肉が唸りを上げ、骨がきしみ、超重量を殴った負荷が両脚にのしかかった。

足元の石は砕け散り、踏みしめていた大地が陥没する。


弱者と侮っていた目の前の獲物から繰り出された予想外の衝撃は、ドラゴンの左頬の甲殻と牙をへし折り、ドラゴンが突進する慣性のベクトルを無理矢理に捻じ曲げた。

まるで別の生物のように吹き飛ぶ頭に体が引きずられていく。本来は地面を踏みしめるはずだった脚が空を切り、地響きを立てながら巨体が倒れる。

しかし勢いは止まらず、右の拳が新たに発生させた慣性の法則に従い、その巨体の重量が許すがままに河原の石を砕き、盛大に土煙を上げながら転がっていく。

それでもなお前に進もうとしているのか、ゼンマイ仕掛けの玩具のように脚が宙をかき続けている。


俺は急いで倒れた女の子に向き直り、視力を強化し全身をチェックする。

全身に打撲や細かな裂傷が見られる他、肋骨や腕に数か所、骨にひびが入っている所があるが、幸い致命傷に繋がる外傷や、重度の骨折、大量の出血は視られない。


――――命に別状はないみたいだな。


ほっと胸をなでおろす間もなく、彼女の頭の後ろと膝の裏に手を通し、細心の注意を以って抱き上げる。容体を悪化させない事も勿論だが、倍力機構はまだ稼働している。気を抜くと彼女が耐えられない程の速度で移動してしまいかねない。

ドラゴンが転がっていった方向とは反対の、川岸に突き出している岩と流木で出来たくぼみまで移動し、そっと彼女を横たえる。

チラリとドラゴンの方へ目をやるが、まだ土煙は晴れていない。


ドラゴンが回復するまでの時間を予想しながら手早く応急処置を施していく。

応急処置と言っても、体内で調合された鎮痛剤と医療用ナノマシンを打っておく程度だ。

手の平から注射されるナノマシンは、本来は改造体での使用を目的として調整されている。

一般人に対しては、改造体ほどの急激な治癒は見込めないが、それでも全治3ヶ月の負傷を1週間で完治させられる程度の効果はある。

苦しそうにしていた女の子の呼吸が、次第に落ち着いたリズムに変わっていく。


彼女の状態が安定した事を確認して立ち上がり、素早く周囲を見渡す。

このくぼみなら、あのドラゴンからは見えないし、森の方からも死角になるだろう。

仮に、森の方角から危険な生物が現れたしても、簡単には気付けないはずだ。

念のため、流木に引っかかっている枯草で、くぼみに目隠しを施す。


くぼみから出ると、ドラゴンが脚をバタつかせながら、やっと起き上がり始めた所だった。

どうやら先程、頭を殴られた事で、脳が揺さぶられたのか、脚に力が入っていない。

後ろ足を踏ん張り、翼を動かし何度も立ち上がろうとしするが、その度に膝から崩れてしまい、上手く立ち上がれないでいる。


ふと、このまま彼女を連れて逃げるてしまうという考えが頭をよぎったが、即座に却下する。

命に別条がないとは言え、安全な場所で安静にしていなければ、回復が長引いてしまう可能性がある。人里はどこかにあるだろうが、彼女が意識を回復していない状態では道も聞く事ができない。暗闇で探し物をするようなものだ。どこに何があるかが分からない以上、人里を見つけられない可能性を考慮する必要がある。イチかバチかの可能性にかけて、重症の人間を連れま回すなど現実的ではない。

そして、あれだけ執拗に彼女を食おうとしていたドラゴンだ。確実に追ってくるだろう。彼女を庇いながらの逃避行では、あっという間に追いつかれてしまう。

そうなれば、どの道戦わざるを得ない。


ならば、今この場で仕留めておくべきだ。


俺は、ドラゴンの間合いから更に十数メートル離れた位置まで近づき、狙いを定めるように右の手刀を正眼に構えた。


――――まったく、今日はなんて日だ。ついさっき迂闊に使えないと言った技を、舌の根も乾かない内に使う事になるなんてな・・・


倍力機構を稼働させてからずっと、時間が経過するにつれて筋肉の熱が上がって来ている。

今、全身を循環しているエネルギーの量は、恐竜(仮)を倒した時とは比べ物にならない。

いい加減、限界だと視界の端で警報が点滅している。次の一撃で決めなければ、後が無い。

倍力機構の稼働を維持しつつ、脳制御システムの情報処理能力を加速させる。

五感が拾う情報が範囲を拡大していき、その一方で意識はドラゴンに集中させる。

脳制御システムの情報処理速度が上がっていくにつれ、川風の流れが停滞し、川のせせらぎが水あめの様にゆっくりとうねりはじめる。


情報処理速度が最高潮に達すると、ゆるく動いていた空気の振動すら停止し、周囲の音は限りなく無音へと近づいてゆく。


硬直していく世界の中で、積極稼働していた星光炉を更に加速させる。

無音のとなった世界に唯一、音が残る。肉体を伝わり、星光炉の甲高い稼働音が、体内から更に力強く響き始めた。


星光炉は、倍力機構を稼働させる以上のエネルギーを生み出し始めた。溢れたエネルギーは全身を巡ろうとするが、行先は全身ではない。

行き場を無くし、暴れようとするエネルギーを構えた右手に集中させる。

過剰に流動するエネルギーに焼かれ、右胸から右腕にかけて流れる全ての回路が悲鳴を上げる。

激痛をあえて無視して、更に星光炉の出力を上げていく。

本来であれば、戦闘形態でなければ開かないエネルギー放出機構を、高密度のエネルギーの圧力を使って無理矢理にこじ開ける。

淡く緑色に輝くエネルギーが、指先からチリチリとほとばしり始め、やがて限界を迎える。


バシィッ!!


という破裂音と共に右腕の袖が弾け飛び、皮膚が裂ける。血液が噴き出すが、エネルギーに焼かれて、肌を濡らす間もなく一瞬で蒸発しているのが見えた。

体液の減少警報が頭の中で鳴り響くが、無視して工程を進めていく。

噴き出す光が右腕を覆うが、その方向に統一性は無く、まるで巨大な線香花火のように見える。

ここで、脳制御システムが新たな稼働を始める。エネルギー系の兵器を制御する火器管制システムが立ち上がる。

火器管制システムは、右腕の周辺に力場を発生させ、擬似的な圧縮チャンバーを形成する。

縦横に噴き出していた星光炉のエネルギーは強制的にまとめ上げられ、擬似チャンバー内で高密度に圧縮されていく。

やがて、右腕を蹂躙しながら収束した圧縮エネルギーは、肘から手刀の指先にかけて、深緑色の輝く刃を形成した。

エネルギーの刃に重さは無いが、それを確かめるように軽く薙ぐ。痛みを通り越し、肘から先の感覚が無くなってしまっているが、一撃を振う分には問題ない。


―――――狙うは、首。甲殻の隙間。―――――


もはやほとんど機能しなくなった右腕を左腕で支え、光の刃を振り上げる。

情報処理を加速させた脳が、身体の反射を思考に追いつかせる。冷えた水あめの様に粘つく空気を全身で押しのけ、ドラゴンに向かって大地を蹴る。

踏み切りで蹴りあげられた石や粉塵がその瞬間だけ舞い上がり、速度を落として空中に停止する。ゆらゆらと漂う様はスノーボールに降る雪の様だ。

二度三度と地面を蹴り、その度に速度を上げていく。

空気の粘度は更に硬くなり、動くたびにスーツが擦り切れていくのが見えた。


無理な負荷と稼働に、全身の骨格と人工筋肉がギシギシと悲鳴を上げる。


脳が最高に加速した状態では、周囲の風景はほぼ停止した状態に感じる。自分は倍力機構の補助もあり、通常より少々遅い程度のスピードで動いているように思えるが、はた目には巻き上がる砂煙と共に消えたように見えただろう。

ボゴン・・・ボボン・・・と地面に脚をつくたびに、鈍い音が後ろから聞こえてくる。

ねっとりと絡みつく大気をかき混ぜながら、ようやくドラゴンの傍らに近づいたところで、今度は全身の筋肉を使い制動をかける。

全力で踏ん張る脚の下では、強化してあるはずの靴が火花と煙を上げながら削れていっている。

俺が切り裂き、かき混ぜていた大気が、今度は追い抜いていく風になり、周囲で吹き荒れる。

加速した世界では、さながら海の底で逆巻く海流のように、体を包み込んでくる。

硬質な物理力となった大気が、漬物石ほどもある河原の石を緩慢に運んでいく。

盛大にえぐれた地面と引き換えに慣性を殺し切る。ちょうど、地面に擦りおろされて靴底が無くなった。


目の前には、千年杉の大木よりも太いドラゴンの首。

硬質な外殻に覆われ、常人の技では傷つける事すら難しいだろう。この森の生態系では頂点に君臨するのではなかろうか。

しかし、絶対者たるドラゴンと言えども、加速した俺には付いて来ることが出来ない。その目は未だに、先程まで俺が立っていた場所を見つめたまま動くことはない。


そしてその巨体は、今まさに起き上がろうとして、その動きを止めていた。

まるで首をねてくれと言わんばかりに、後ろ足を踏ん張り、深く首を垂れている様に見える。

俺の目には、切り込むべき位置がマークされている。


――――――北天破軍の宝刀!!アルカイド・スラッシュ――――――


音の無い世界で、右手が静かに、しかし一条の流星の様に振り降ろされ、この森に君臨する絶対的捕食者の命を奪い取った。









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