三十二
ジョヤコウジョヤ。
コウジョヤコウジョヤコウ。
ジョヤ。ジョヤコウジョヤコ。
目を覚まして驚いたのは、最流奴がいなくて茜色の空がなかったことだった。
ヤコウジョヤ。
ジョヤコ、ジョヤコウ。
最流奴の夢を最流奴に終わらせられるなんて。
倖せの鳥を恨んでしまうほど胸が落ち着く夢だったのに。
布団から出ようか迷っていると亜紀さんが目を覚ました。
「んん。最流奴、ね。すぐ側にいるみたい」
亜紀さんは布団の中で体を伸ばすと、「行ってみようか」と起き上がった。
蛙時計を叩くと、しゃがれた声で「ゴゼンヨジハップン」と面倒くさそうに言った。
戸を開けると、最流奴の鳴き声が本当にすぐ側で聞こえた。高く煌びやかな女の人のような声だった。亜紀さんに続いてそっと外に出ると、声の主は簡単に見つかった。
ジョヤコウジョヤコウ、ジョヤジョヤ。
本当によく似ている。年末になると電映機に登場する最流奴の鳴き真似名人よりも上手だった。
私は竹林を覗き込む声の主の背中にそろりと近づいた。
「沙織」
「きゃああぁっ!」
悲鳴の大きさに声を掛けた私が驚いてしまった。
沙織は頭を抱えて屈み込み、もう一度大きな悲鳴を上げた。私は耳を塞ぎ沙織が振り向いてくれるのを待った。
雨は降り疲れたようにゆっくりとした間隔で地を濡らしていた。遠くから本物の最流奴の鳴き声が聞こえ、笹の葉が応えるようにさざめいた。
沙織は見えない逆風に邪魔されているかのようにゆっくりと振り返り私を見た。
「心咲ちゃん?」
長い睫毛の瞬きはぱたぱたと音が聞こえてきそうだった。
「心咲ちゃん、だよね? どうしたの? こんな時間に」
私はそのまま言葉を返した。一体どうしてこんな時間に、そして、一人でなにをしているか、と。
「最流奴の鳴き声が聞こえたから探していたのよ。倖せになりたいと思うのは、誰だって同じでしょ?」
沙織はまた最流奴の鳴き声を真似た。
「沙織、訊きたいことがあるの」
「朝の四時に?」
私は問いに答えず、訊いた。
「陽都は?」
「はるくん? はるくんがどうかしたの?」
かくりと首を傾げる仕草があまりにもわざとらしすぎて、私は声を大きくした。
「沙織、知ってるでしょ? 陽都、どこにいるの?」
「ちょっと、心咲ちゃん。落ち着いて、落ち着いて」
沙織は暴れ牛でも制するように私に両の掌を向けた。着物の袖から運ばれてきた香りは今日も素敵で、それがまた私を苛々させた。
「私は落ち着いてるよ!」
「ふうふう。はい、ふうふう」
私は深く息を吸い一度胸を空にしてから、思いきり目に力を込めた。じっと睨めつけていると沙織は両肩を抱き顔を背けた。
「そんなに怒んなくてもいいじゃない」
沙織は子供のように唇をぷくりと膨らませた。
「ねえ、沙織ちゃん。私からもお願い。陽都くんのこと、教えて」
亜紀さんは沙織に頭を下げた。亜紀さんにそんなことをさせるだなんて。私はまた沙織をきつく睨めつけた。沙織は私の目を躱し、亜紀さんの顔を覗くように屈み込んだ。
「お姉さん。あたしからもお願いしていいかな?」
「お願い? わたしに?」
「はるくんのこと、教えて欲しいんだけど」
「陽都くんのこと?」
「そう。はるくんのことで知っていること全部」
沙織はちらりと私を見た。やっぱり、そう。沙織は陽都のことを知っている。陽都がどこから来たのか、そして、今どこにいるのかも。
「別に
私と同じことを思ったのだろう。亜紀さんは肩をすくめて首を傾げた。
「いいよ、それじゃ。心咲ちゃんに訊くから。ねっ? 心咲ちゃん」
怪しさで出来たようなにんまりとした笑顔に、私は亜紀さんがした仕草で返した。
「本当に二人ともなんでそんな意地悪するのかな。それとも、私の言い方が悪かったのかな」
沙織はかたりとこっぽり下駄を打ち鳴らした。
「一つだけ訊ねるね。答えてもらえないなら、私も二人の訊きたいことには答えられないから。いい?」
私はなにも言わなかったし、頷きもしなかった。それは亜紀さんも同じだった。
沙織はそんな私たちの無言の意思を無視し、了解、了解と一人勝手に頷いた。
「それじゃ、訊ねさせてもらうね」
沙織は鼻の前に立てた人差し指を亜紀さんに、そして私に寄せて言った。
はるくん、ドグでしょ?
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