十六
霞朝広場は大変なことになっていた。
誰も彼もが大声であいざしの楽団員の名を叫びながら硝子皿の下に駆け込み、少しでも舞台に近づこうと押し合いへし合いしていた。
後ろから背中を押す人たちの力に手助けされ、気づけば私たちも硝子皿の下に入り込んでいた。
舞台の上には楽器がすでに用意され、舞台の後ろには相都翳楽団と記された大きな横断幕が下がっていた。
喧噪が嬌声に変わり、嬌声が悲鳴に変わった。
続いて六弦琴の太隙と篠笛の貴晴、複合打楽器の
相都翳楽団紫窓公演。今日ここで会えた巡り合わせに感謝の気持ちを込めて――――
道哉の言葉は千幻の世界へ誘う妖力の文句のように響いた。
――――叢雨
哀愁的な六弦琴の旋律が響くと、天に向けた無数の掌で舞台は見えなくなった。大きな紙袋と唐傘が邪魔をしなければ、私も天に向けて掌を翳し、叢雨を受け止めたかった。
道哉の透き通るような声は音盤で聴くより何倍も素敵で、胸を赤い印に変えられたように体の全てが蕩けそうだった。演奏だってもちろん素敵で、音盤では感じられない迫力に押し倒されてしまいそうだった。
私は音と胸に震える体を懸命に揺らし一緒に歌った。
叢雨に続いて、
――――もう七年前になるのか。トオキョオ観測にここ三番区に足を運んだのは。あのときの感動は今でもよく覚えてる。トオキョオは本当に創造力を刺激してくれる。眺めているだけで、こう閃くんだ。実を言うと、この夏もうすでに三回トオキョオ観測に来てるんだ。だから今日がこの夏四回目の三番区だ。太隙君と貴晴君にはトオキョオ病っていつもからかわれてるんだけど、みっちゃんは笑いもしねえで俺のことドグ乃って呼ぶんだよ。ドグ乃はねえよな。ドグにも俺にも失礼ってもんだ。
柚乃がこの夏四回もトオキョオ観測に来てただなんて。もしかしたらあの東屋の人山の中に柚乃がいたのかもしれない。私は柚乃と同じ湿り気のある空気を吸いながら、同じ景色を眺めていたのかもしれない。これまでのトオキョオ観測を思い出すだけで胸がきゅっと締めつけられてちくりと痛んだ。
――――そんなここ三番区が見せてくれるトオキョオを想って一曲作ったんだ。しかも今日はこの曲を演奏するのにぴったりの雨だ。じゃ、俺たちの生まれたばかりの新曲を聞いてくれ。
雫――――
雫は哀愁感のあるゆったりとした律動の曲で、言葉少ない歌詞と繰り返される歌の旋律は水が紙に染みいるようにすっと胸に染みた。あまりの感動に胸が空っぽになって自分自身が遠く感じられた。それはまるで夢香の世界にいるかのような感覚だった。
それから確か……、想い、記憶、
舞台からあいざしが去っても楽団員を呼ぶ声があちらこちらから聞こえた。
あいざしが見せた一時の幻想から抜け出すにはしばらく時間を要した。ようやく我に返った私がまず初めに感じたのは恥ずかしさだった。
「ごめん、ね」
気づけば陽都を手繰り寄せるように強く袖を引いていた。私はゆっくりと手を離し、人の波に揉まれ乱れた羽織の袂を直した。
「本当にすごかった。感動したよ」
陽都は誰もいない舞台に向かってそう言った。
「うん。すごかったね」
私は陽都の言葉をなぞり、遅れてやって来た胸の焦りを誤魔化した。
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