十二
武清さんが夢殿に現れたのは四時を少し過ぎた頃だった。その時私は陽都と東屋の丸椅子に座って、薄い雨の映写幕に浮かぶトオキョオを眺めていた。
笹乃坂通りの方からやってきた武清さんは、私たちに気づかず夢殿へと入っていった。
同級生の二人がどんな会話をするのだろう。私は亜紀さんと武清さんの再会の様子を覗かせてもらおうと夢殿の壁に沿って忍び足で二人のところへと近づいた。
久しぶり! びっくりした! あれ? 武清くん、だよね? 覚えてる? そんな感じの会話が交わされていることを想像していたのだけれど、二人はもっとなんというか大人な感じの会話を交わしていた。
そうですね。はい。心咲ですか?
ええ。五番区にいらっしゃったんですね。
まさか経営者になっているとは。
経営者だなんて大袈裟です。
大好きな二人の他人行儀な姿に私はがっかりしてしまった。けれど、そろりと顔を出し二人の姿を覗いてみると私の顔は自然と綻んだ。
亜紀さんは頬を薄らと赤く染めているし、武清さんは身振りが多く落ち着かない様子だし。これじゃ、まさに恋標の二人だ。
これまでのお返しに、恋標の二人みたいだと言ってみようと考えたけれど、たぶん、二人からだいぶ鋭い目で見られそうな気がしたので止めておいた。
同級生。ただの同級生。同じ学級で過ごした関係。
扉一枚挟んで仕事をする亜紀さんを気にするように武清さんは声を潜めて言葉を並べた。
私の誘導作戦が粗末すぎたのか、それとも武清さんの口が硬すぎたのか、亜紀さんについて当たり障りのない言葉以外引き出せなかった。もう少し頑張ってみたかったけれど、「日が暮れてしまう前に本題に入ろう」との武清さんの言葉に、私は渋々ながらもうるさく騒ぐ興味に蓋をした。
「僕が『トオキョオ見聞録』を信じる理由は」
四年前に起きた一番区地下市場火災にある、と武清さんはそう切り出した。
一番区地下市場火災は相原史上最も大きな被害を出した火災として知られている。迷路のように複雑に入り組んだ通りに店や住居が密集していたため二百人を超える死者が出た。この火災は、カガナミが起こした犯行であると囁かれてもいるけれど、証拠となる物は一切なく、真相は今も闇の中だ。
その一番区地下市場火災後、歴史研究第六班に火災現場から持ち込まれた物があった。それは取っ手のついた四角い鞄のような物だった。あれだけの火災の中朽ちることなく原型を留めていたことにも驚きだったけれど、その中にはさらに驚くべきものが収められていた。
「驚くべきもの?」
つい口を挟んでしまった。
「そう。中に収められていたのは電車と思われる印画だった。四角く細長い造りで、色は朱色だった。窓硝子越しに乗客の姿も見えた。その電車の名称なのかイケフクロと記された看板が正面上部に埋め込まれていた。印画の裏には『チカテツ』『デンシャ』『マルノウチセン』と文字が記されていた。トオキョオ研究家の二人なら知っているとは思うけれど、『トオキョオ見聞録』によれば、ドグは地下を走る電車を地下テツと呼んでいる。マルノウチセンという言葉がなにを指すのかはわからないけれど、おそらく、電車の種類の一つなのではないかと、僕は考えている」
「電車の種類?」
「うん。僕の推測だけどね」
陽都は回すようにゆっくりと大きく首を左右に二度振った。マルノウチセンは電車の種類ではない。とすると、それは製造者の名なのだろうか。
「僕はこの印画はトオキョオから持ち込まれた物だと思っている。実際に印画も目にしたけれど、誰かの手によって作られたようには見えなかった。それに、その印画が入っていた鞄。火災の中でも朽ちることのなかった優れた耐火性。調べにあたった研究家の話によれば、そうした耐火性を備えた鞄が作られたという記録は残っていないとのことだった。印画だけではなく、鞄もトオキョオから持ち込まれたものだと僕は思っている」
「『トオキョオ見聞録』に載ってる言葉が記してある見たこともない乗り物の印画が出てきたんでしょ? 作られた記録のない鞄の中から」
武清さんはゆっくりと瞬きした。
「それなのに、どうして? 研究家の人たちはそれでもまだ『トオキョオ見聞録』を認めようとしないの?」
「吉野狭美南が歴史研究家から嫌われすぎていたというのが第一の理由。そして、一番区の地下市場は記録外の事や物で溢れているというのが二つ目の理由。外に出回らない用途のわからない物もたくさんある。その中には優れた技術によって作られた物も少なくはない。印画も鞄もそうした技術によって作られた記録外の物だった。と、当時の研究家や錠護守はそう考え、決定付けた。この印画と鞄はトオキョオと関係のある物ではなく、その他多くの一番区地下市場火災の残留品と同じ保管庫に入れられた。そして、保管期間である三年が過ぎた去年処分された」
「処分? トオキョオの秘密を解けたかもしれないのに」
「そうだね。もしかしたら、心咲の言うとおりになったかもしれないね」
「嫌いだな。そういう決めつけみたいなの。どうして、可能性を簡単に捨てられるのかな」
「どうしてだろうね」
武清さんはさっぱりだという風に肩を持ち上げ掌を天井に向けた。
「きっと、想像するよりも決めつける方が楽だからじゃないかな。大人はいつでも忙しいから」
「そういうのが大人なら私は大人になんてなりたくない」
私は思いきり顔をしかめて見せた。
私の真似をするように、武清さんも顔をくしゃくしゃにした。
「僕だってそうさ。大人になんてなりたくなかった」
私はしかめ顔のまま、短くちらりと舌を出した。
* * *
武清さんに送られ家に戻ると、おじいちゃんが慌ただしくしていた。
「ずいぶんと歴史研究家らしい顔になったじゃないか」
おじいちゃんは手も足も休めることなく障子越しに手を振った。
「ありがとうございます」
「どうしたの、おじいちゃん。まだ七時にもなってないよ。こんなに早く帰って来られたのって、すごく久しぶりじゃない?」
「これからまた出るんだけどな」
座卓の前には
「こんな時間からどこに行くの?」
おじいちゃんはなにを馬鹿な質問をとでも言わんばかりに「仕事に決まってるだろう」と言い放った。
話を聞くと、二番区との区境にある送風管の風量を制御する機械に不具合が生じ、それを直すために今から行かなければならないようだった。
「明日中に直さなきゃならないんだ。相原の人間は風がなきゃ生きてけないからな。だろ?」
おじいちゃんは障子から顔を出して言った。
「ええ。そうですね。風のない生活なんて考えられませんね」
武清さんの言葉におじいちゃんの影が頷いた。
「何時に戻れるかわからんけど、明日中には帰ってこられるだろう。さっき、武則には連絡しておいたから、なにかあったら、武則のところに連絡を入れるようにな」
鞄を重たそうに背負うと、おじいちゃんは私の頭に手を乗せ、「早く寝るんだぞ」と髪の毛をくしゃくしゃにした。
武清さんは途中まで自分が鞄を背負うとおじいちゃんの鞄に手を伸ばした。けれど、おじいちゃんはそんなことをされたら瞬きした間に百歳になってしまうと笑って断った。
私は、おじいちゃんの鞄に下がる携帯電灯の灯りが宵闇に混じって見えなくなるまで、玄関先に立ち二人を見送った。
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