おじいちゃんと一緒に朝ご飯を食べたのはずいぶん久しぶりだった。

 おじいちゃんはいつも私の蛙時計が鳴る前に家を出る。本当なら私もおじいちゃんと一緒に朝ご飯を食べられたらとは思うけれど、早起きは算出学と同じくらい苦手だ。それにこの夏はトオキョオに夢中になりすぎて夢香を焚くのはいつも日付が回ってからだった。特に昨日は陽都のことで頭がいっぱいで夏空の匂いに包まれたのは午前二時を過ぎていた。


「今日はこんなに早くから一体なにがあるんだ?」


 眉をひそめるおじいちゃんに私はアメコルを振って見せた。

 おじいちゃんは暦に目をやり、「トオキョオ病もあと一週間か」と独り言ちた。


 電映機の画面にはまたカガナミの文字が浮かんでいた。どうやら昨夜二番区立美術館の美術品窃盗事件に関わったと思われるカガナミの一人を錠護守と薫が就縛寸前のところまで追い詰めたようだった。結局は逃げられてしまったものの、錠護守は容姿を覚え、一緒に同行していた薫は間近で匂いを記憶した。薫によると、その匂いから逃亡したカガナミは一番区の地下市場を目指しているとのことだった。


『これまで多くの犯罪を行いながらも正体不明だったカガナミの素性が明らかにされようとしています。カガナミと接触した錠護守、薫からの情報を元に錠護会は今日の午後――――』


 それからも私が知りたい今日の午後についてはなにも語られなかった。

 おじいちゃんは今日も帰りが遅くなると言った。昨夜も帰ってきたのは九時を過ぎていた。それでもおじいちゃんの表情は明るく、声も大きかった。私はおじいちゃんのそういうところを尊敬している。仕事に対して愛情を持ち、誇りを持って従事する。それは大人のあるべき姿で、私もいつかそういう大人になりたいと思っている。


 おじいちゃんに養力水を入れた水筒を渡し玄関先で見送ると、私は押し入れに隠していた陽都の肌着と履き物を鞄に詰め夢殿へと急いだ。  

 雲は薄く、隙間から陽の光が零れていた。吹き抜ける風も軽く、雨の匂いは薄かった。これから現れるトオキョオにはあまり期待できなさそうだった。


 東屋に到着すると、夢殿の裏手に周り、窓帷の下りた格子窓を二度、そして一つ間を置き三度叩いた。昨日陽都と決めた合図だった。しばらく待っても返しの合図が聞こえてこなかったので、私はもう一度、今度はさっきよりも強めに繰り返した。窓帷がもぞもぞと揺れ、小さく開いた隙間から陽都が顔を覗かせた。顔はむくみ、瞼は半分落ちていた。

 昨夜はあまり眠れなかったのかと訊ねると、「眠れたには眠れたんだけど」となにか言いたげな返答が返ってきた。もちろん、私はその言葉の含みに対して訊ねた。


「朝の三時に人の声で目が覚めたんだ。東屋に誰か来てたみたいで。男の人なのか女の人なのかわからないんだけど、ずっと一人で喋ってて。じょうやこうって知ってる?」


「ジョウヤコウ?」


「その人が言ってたんだ。じょうやこうじょうやこうって」


「ん? あれ?」


 まさかとは思うけれど。期待で胸が一杯になった。


「それって、もっと早口な感じじゃない? ジョヤコウジョヤコウって」


「そうそう。そんな感じ」


 ここにいただなんて。


「それ、人じゃなくて鳥だよ。最流奴もるどっていう体の大きさの割に羽がすごく大きな鳥。ジョヤコウジョヤコウって人が話してるみたいな鳴き声なの」


「人の声にしか聞こえなかったな。外も暗かったからなんか気持ち悪くて」


 すごく新鮮な反応だった。最流奴の鳴き声を気持ち悪いだなんて。最流奴の鳴き声を聞いたら小さな子供たちは我先にと家を飛び出すだろう。私だってそう。最流奴の鳴き声が聞こえたら、夢の中からだって探しに行く。

 最流奴は相原では人気の鳥で、特に子供たちからの人気が高い。私は最流奴が嫌いだという子供に会ったことがない。と、私はそう陽都に伝えた。


「それじゃ見た目はすごく綺麗なんだろうね」


「ん? そんなに見た目は良くないけどね」


 陽都が首を傾げたから、私も倣ってそうした。最流奴が皆に好かれている理由はたった一つ。


「みんなあの声が好きなんだよ」

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