頼れる大人はいても秘密を話せる大人はそうはいないもの。だから、私は倖運だったのだと思う。周りに頼れて秘密を話せる大人がいたのだから。


 亜紀さんはどんな疑いの言葉も口にすることなく陽都の話を信じてくれた。そして、陽都がトオキョオに戻れるまで夢殿で寝泊まりすればいいと宿まで提供してくれた。


「さすがにね、無理でしょう? どんな事情があるにしても、ほとんどの時間を女の子一人で過ごしてる家に男の子を寝泊まりさせるだなんて」


 亜紀さんの悪戯っぽい表情と言い方に頬が熱くなるのを感じた。そんな私の変化を楽しむように亜紀さんは私の頬を両手で包み、「可愛い。ね? 陽都くんもそう思うでしょ? この子可愛いところだらけなの」と、私の顔を爆発させてしまうようなことを言った。


 陽都は私と目がぶつかると、さっと長い前髪の中に目を隠した。



 東屋に出ると陽都は目の前の景色に驚嘆の声を上げた。そんな陽都を見て、私はなんだかちょっと誇らしげな気分になった。トオキョオが見えなくても東屋から見える景色はそれなりに絶景だ。濃淡の違う連なる山々の山色は最下位ながらも相原絶景五十五撰に入っている。

 私たちは丸椅子に腰掛け蝉の声と竹の葉のざわめきを背景音楽に遅すぎる昼食を取った。三角とも丸ともいえない不格好なおにぎりを出すのは恥ずかしかったけれど、陽都はそんなことを意にも介さず、あっという間に三つ全て食べてくれた。しかも、「美味しい」と賛辞の言葉まで添えてくれた。

 訊ねたいことは山ほどあった。その山の中からまず始めに私が取り出したのはチュウガクのことだった。陽都はチュウガク三年だと言った。チュウガクとはどんな意味なのか。トオキョオでは十三歳から学校に通うのか。私はずっと気になっていた。


「ううん。学校に通い始めるのは六歳から。まずは小学校に通うんだ」


「ん? ショウガッコウ? って?」


 陽都はトオキョオの学校教育の過程を説明してくれた。小学校、中学校、高校、大学。小学校には六年間、一年生から六年生まで通う。中学校、高校は三年間。大学は四年間。小中高大と通う学校が変わる度にまた一年生から始める。そして、高校の次に大学ではなく短期大学、専門学校という学校に進むこともできるし、大学の次に大学院というところに進むこともできる。また、中学校卒業後以降は自身の判断で学校教育を終え仕事に就くこともできる。

 トオキョオの学校教育はとても複雑だった。小学校と中学校を区別している意味がわかならなかったし、高校、大学に入学するには試験が必要だというのも不思議だった。私は鞄から筆記帳と鉛筆を取り出し、陽都にもう一度教えてもらいながらトオキョオの教育制度を記した。

 学校の始めに大中小を付けて分けているのが面白かった。一二三では駄目だったのかと訊ねると、陽都は「一二三じゃ、ちょっと適当すぎるよ」と笑った。どうして笑うのかさっぱりわからなかったけれど、あまりにも楽しそうに笑うのでつられて私も笑ってしまった。


「そういえば、相原は? さっき、今九年生だって言ったよね? どういうことなの? 九年生って」


 そう。私は九年生。これまで落第することなく、無事に進級することができている。六年生から七年生になるときは少し危なかったけれど。

 私は相原の教育制度について話した。トオキョオと同じで七歳から学校で教育を受け始める。教育が終了するのは十八歳。十二年生で学校を卒業する。その後は、学校での成績と生まれ持った才能から職業が決まる。


「生まれ持った才能って、どういうこと?」


「三歳になると潜在能力検査を受けるの。どんな能力を持っているのか遺伝子から調べるのよ。トオキョオではしないの?」


「そういう検査もあるにはあると思うけど僕は受けてないよ。受けたことがあるって人に会ったこともないし」


「受けてないの!? じゃあ、自分にどんな才能があるかわからないじゃない」


「ううん。まあ。そうだね。わからないね」


 潜在能力検査を受けていないだなんて。

 もしも、自分の才能と反する道に進んでしまったらどうするのだろう。ずっと自分に不向きな仕事を続けていくのだろうか。それじゃ、人生が不毛なものになってしまう。


「今からでも受けた方がいいよ。いいよっていうか、絶対受けて。君の人生に関わる大事なことだよ」


「受けてって言われても……」


「駄目。絶対!」


 私はぴしゃりと言った。

 私の言葉に陽都は、「じゃあ。まあ、なんとか、してみるよ」と、とりあえず的ながらも約束してくれた。



 なにか一つ問いかける度、別の問いが頭に浮かんだ。今学校で学習している内容について問いかけ、食べ物について訊ね、トオキョオでの遊び場について訊いた。インスウブンカイ、ヘイホウコン、ハンバアガアにディズニイランド。返ってきた答えはどれもこれも私の頭を困らせた。そして私の問いかけは私自身へと返ってきた。私は今学習している算出学や歴史・伝統学、生物学について説明し、遙米餅がどれほど美味しいか伝え、夏の浅見丁海水浴場のうんざりするほどの混み具合について話した。私の答えに陽都は、さっきの私の仕草を繰り返すように首を傾げ続けた。そうした私たちの会話の中でも、必ず私を困らせ、その後に陽都を悩ませることになったのがエイゴだった。エイゴというのはトオキョオとはまた別のアメリカというアメコルを連想させるような名の地域で使われている言語なのだそう。トオキョオではエイゴは身近な言語で、エイゴだと知らずに利用している言葉も多く、陽都の肌着に記されている古代文字のような模様もそのエイゴなのだそうだ。私はいくつか簡単なエイゴを教えてもらい、それを筆記帳に記した。


 こんにちは Hello ハロウ

 ありがとう Thank you サンキュウ

 雨 Rain レイン

 空 Sky スカイ


 やっぱりどう見ても古代文字にしか見えなくて、発音も古代民族語のように難しかった。


 いつの間にか陽の光は橙色に変わり、蝉の声に混じって鴉たちの声が聞こえ始めた。

 真っ白だった筆記帳は文字で埋まり、そこには陽都が記した文字もあった。陽都の字は個性的だった。全体的に丸みがあり、一文字一文字の大きさにばらつきがあった。もしかしてトオキョオでは均整法を学ばないのだろうか。それとも陽都の字がトオキョオの均整法による字体なのか。訊いてみたくても、失礼にあたりそうで訊くことができなかった。


 六時になり店を閉めると亜紀さんは奥の間で夕飯をご馳走してくれた。


「これが私の大好物の座市丼。見た目は男飯みたいだけど、味はとっても品があって美味しいの」


 座市丼とは鶏肉に胡桃粉をまぶし揚げたものに蜜柑や檸檬などの柑橘系の餡がかかった丼飯だった。亜紀さんは私たちが東屋で過ごしている間に竹ノ坂通りとは反対の笹乃坂通りにある天道座市てんとうざいちという食品市場まで足を運んでくれていたようだった。


「天道座市は品数は少ないけどどれも新鮮で美味しいの。お店の人たちもいい人ばかりでついいつも寄っちゃうのよ」


 亜紀さんがおすすめするものに間違いはない。もちろん座市丼も例外ではなかった。豪快な見た目に反して味は優しく繊細で何杯でも食べられそうだった。

 亜紀さんは陽都にここに来た経緯を訊ねた。ニッポリ。コウキョマエヒロバ。陽都は朝私にした話を繰り返した。


「トオキョオからこっちに来られたってことは逆も同じよね。相原からトオキョオにも行けるってことよね? 会ったことある? トオキョオで相原の人間に」


 陽都は唐揚げを摘まんだ箸を引っ込め首を振った。


「相原のことは今日初めて知りました」


「それじゃ、ドグは相原についてなにも知らないんだ」


「ドグ?」


「ああ。そうね。私たちはトオキョオで暮らす人たちのことをドグって呼ぶの。どうしてそう呼ぶのかは

トオキョオ研究家の心咲さんが教えてくれるわ」


 陽都は答えを待つように皿に箸を置いた。  


「『トオキョオ研究史』っていう本に記してあったんだけど」


 私はドグの名の由来について説明した。ドグというのは、童禹どううという言葉から生まれたもので、童禹というのは空神様の遣いのこと。ちなみに空神様というのは雲の上にいる天候を操る神様のこと。ドグの名付け親は八十二年前の気象会の第三区室長涌井遑銀司わくいいとまぎんし。涌井遑銀司の目には、トオキョオは空神様の住む世界で、そこで暮らす人々は空神様の遣いのように見えたようだ。


 陽都は頷き、亜紀さんは手を鳴らした。


「トウキョウは雨が降らないと見えないんだよね?」


 そうだと答えると、陽都は次の雨について訊ねた。


「明日は朝から雨だったと思うけど。ちょっと待ってね」


 亜紀さんは携帯電映機の電源を入れた。


『雨は時間と共に強さを増し、正午前が頂点となるでしょう。雨量的にもトオキョオ観測にぴったりの雨ですので、是非牧野帳公園付近の高台に足を運んでみてはいかがでしょうか』


「やっぱりね。まずは明日ね。なにかを始めるのも、なにかが始まるのも――――」



 トオキョオを目にしてからね。

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