四
夏休みが終わりに近づくにつれて、私の胸は穴の空いた小舟のように沈んでいった。
それは長い休みが終わってしまうことに対する悲しみからではなく、トオキョオの消失が発表されたからだった。
『今回のトオキョオは西の海上で発生した大規模な雨雲により、すでに二週間もの間その姿をありありと雨に浮かべています。ですが、西から綿々と流れ込んでいた雨雲もそろそろ終わりを見せようとしています。気象会の予報によると最後の雨雲が東へと去るのは八月三十日になるとのことです。トオキョオ観測を行えるのも残り十日を切っています。まだトオキョオを目にしていない方は、是非一度三番区牧野帳公園周辺に足を運んでみてはいかがでしょうか』
トオキョオは私の全てだった。
トオキョオのことを考えるだけでその日一日を倖せに過ごすことができた。
いつかは消失してしまう。
それは初めからわかっていた。けれど、その突然の悲報をすんなりと受け入れることができなくて、私は
荒木県武則さんが刷る
空には雲一つなく、陽の光はじりじりと地を焦がそうとしていた。私はそんな空神様の気紛れ的な嫌がらせに負けじと全力で駆けた。雨の滴とは違って、少ししょっぱくてさらりとした汗が額から頬を伝って唇で弾けた。
* * *
「よお。心咲ちゃん」
店の前に着くと荒木県武則さんが声をかけてきた。
大きな体に顔の半分を覆う硬そうな髭。思いきり指で摘まんだような眉間の皺に細められた鋭い目。見た目はとても恐そうだけれど、荒木県武則さんは優しくて、面白くて、面倒見の良いおじさんだ。
おじいちゃんとはずいぶんと昔からの知り合いのようで、三番区に来て一番初めに会ったのも荒木県武則さんだった。
荒木県武則さんは三番区の全てを知っている。
そのとき私はおじいちゃんからそう教わった。おじいちゃんの教えどおり、荒木県武則さんは三番区についてなんでも知っていた。三番区立図書館にある本の数。三番区と他区の
「あれ? 今日って雨降るんだっけか?」
私は自分の右手を見て驚いた。
「心咲ちゃん。あんまりトオキョオに熱を入れ過ぎると攫いに遭うぞ」
本当に、どうにかしてる。
私はわざとらしく大きな溜息を吐いてから、「トオキョオ病なの」と微笑んで見せた。
* * *
「気象会の予報はちょいとずれることはあっても外れることはない。なぜならだ。ここ二十年間気象会の予報に間違いと呼べるものはなかったからだ。大きくずれても三日ってとこだ。だから、まず間違いなく八月いっぱいでトオキョオは消失する。って、俺はついさっきそんな内容の報せを刷ったところだ」
なぜならだ。――――だからだ。だから、――――だ。
荒木県武則さんがそう話す時、その話はいつだって間違いなく正しい。
「そんな悲しそうな顔すんなよ。次がいつになるかってのはわからねえけど、またトオキョオは現れるんだからよ。次を待てばいいさ」
もう一つ訊ねたかったことは荒木県武則さんにもわからないようだった。
今回と前回の間は五年。その前は七年。そのもう一つ前は三年。さらにもう一つ前は二年。トオキョオの出現に規則性はないということは私も自分で調べて知っていた。
「残念」
私は尖らせた唇の隙間からそう呟いた。
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