五年前トオキョオが姿を現した時、私はおじいちゃんの仕事の関係で二番区に住んでいた。

 当時、二番区の海に近い地域はまだ送風管が行き届いていなく、送風管技師であるおじいちゃんは朝から晩まで休みなく働いていた。そんなおじいちゃんに私をトオキョオ観測に連れて行く余裕なんてどこにもなく、私は私でその頃流行っていた立体影絵帳に夢中だったからトオキョオに対して特別思うこともなかった。


 だから、あの夏に見たトオキョオが私にとって初めてのトオキョオだった。



    *  *  *



 今でもあの日のことはよく覚えている。七月二十七日。夏休みが始まって二日後の午後のことだった。

 朝から降り始めた雨は、連日の暑さで火照った地面を冷やすように静かに地に降り注いでいた。私は夏空を買いに東屋の隣の夢殿ゆめどのを目指していた。夏空は発売前から話題となっていたこの夏一推しの夢香で、学生ならば誰もが嬉々とする朝倉系だった。私は夏空の香りとまだ見ぬ景色を想像し、浮かれた足取りで水溜まりを飛び越えていた。

 竹ノ坂通りが終わり、壁のように並んでいた竹林が姿を消すと、そこに見えたのはいつもの東屋ではなかった。

 私は自分の目を疑い、二度三度と着物の袖で目を擦った。目の前の景色に目を凝らせば凝らすほど私の頭の中は忙しくなっていった。なぜなら、牧野帳公園まきのとばりこうえんに立つように見知らぬ町が広がっていたからだ。

 夢というには鮮明すぎて、現実というには信じがたいその景色を私はただただ眺めていた。

 気がつけば髪の毛もお気に入りの紫陽花柄の着物もびしょ濡れになっていた。唐傘は水溜まりと水溜まりの間を上手に避け地に転がっていた。


 トオキョオ病にかかった人の八割が初めて目にした時にかかったとの統計があるそうだ。私もその例外の二割に含まれることはなかった。初めてトオキョオを目にしたその日から、私は雨を願い、雨を喜び、雨に癒やされるようになった。

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