第93話 スーパーサプライズ?
彼女のコンクールの日―
チケットを貰ったので、彼女達の演奏が行われる午前の部だけ見に行くことにした。
上手な学校、そうでもない学校。
それぞれの学校が、それなりのレベルで頑張っていた。
中学生に高いレベルの演奏は期待してないが、そんな中でも、群を抜いて上手な学校も何校かあった。
彼女達の演奏は、午前の部終わりから二番目。
彼女達の演奏が近づいて来る度に、私の緊張感も高まって来る。
いよいよ彼女達の演奏。
楽器のセッティングやチューニングをしている彼女達。
さあいよいよ。
この夏に賭けた彼女達の集大成が始まる。
たぶん、私の方が演奏する彼女達より数百倍緊張していたと思う。
指揮者がタクトをスーッと上げる。
静寂―
そして、指揮者のタクトが振り下ろされる。
私は、今までの人生の中でこんなに感情的に音楽を聴いた事は無いと思う。
楽しむどころか…
”頼むからミスしないで”
なんかもう、スポーツ観戦でもしているかのようで…
全然冷静ではいられなかった。
その理由の一つには、彼女達の演奏がそれなりのレベルであったからであり、そのため、なお一層、聴いている私は力が入った。
演奏が終わった頃には、私はもう…
鼻息荒く、肩で息をしていた。
前のめりになっている自分の体勢をシートにゆっくりと倒し、それでもまだ呼吸は荒く、天井を見上げて深呼吸をし、息を整えていった。
演奏はそつ無く終わった。
と、言うのが、率直な感想で、演奏自体は大変良かったと思う。
でも、まあ、無事にやり終えた事に、“本当に良かった良かった”である。
彼女達の演奏を見届けて私は会場を後にした。
店に戻ると、老犬が上機嫌で迎えてくれた。
シッポを振り振り、
“ねえ、彼女、上手くやれた? ねえ、結果は? 結果はどうだったの?”
と、聞いている様だった。
私はそんな老犬の頭を撫でてやりながら、
「結果は私も知らないんだ。ゴメンね」
老犬はひとつ、”ク~ン”と切なげに鳴いた。
今日は日曜日なんだから、二階でゆっくりしても良いのだが、やはり、店の方が落ち着く。
それに…
サイホンのフラスコに水を注ぎ、火を点ける。
一人分のコーヒーを入れると、久しぶりにカウンターの方へ回り、静かにコーヒーを味わう。
果たして結果はどうなったのか?
結果発表を待たずに店に戻ってきた私は、コーヒーを飲みながら、必ず来るであろう彼女を待つことにした。
良い結果であれ、悪い結果であれ、彼女は結果を知らせに必ずこの店に来てくれるはずだ。
そして、彼女はやって来た。
それは夏の夕暮れ時、陽は傾いているがまだ暑さは充分に残っている夕暮れ時であった。
店には“closed”の札を掛けてはいたが、彼女はそっと扉を引いて、少し悪戯っぽい顔をして、こっちを覗き込みながら、
「やっぱり居た」
と、かくれんぼの鬼が“子”を見つけたかの様に…
私は、何杯目かのコーヒーを飲み干すと、カウンターの中へ。
そして、彼女はカウンターに座る。
彼女の、
「最後までいた?」
と言う問いに、私は首を横に振り答えた。
「やっぱりねえ」
本当は今すぐにでも、コンクールの結果を知りたいのだが…
やっぱり、彼女が切り出すまで待ってあげようと思い、
「何にする?」
すると彼女は、
「う~~んとね。なんか、想い出になる様なのがいい」
私はキョトンとなった。
「なんか~。そう言えばあの時これを飲んだんだよねって、いつまでも忘れないでいられる…なんか、そんな想い出になるのが飲みたいです」
“だから、それは何?”
と、聞きたいのだが、彼女は、全幅の信頼を寄せた瞳で私を見つめている。
そして、にっこり笑った。
さあ大変だ。
何だろう?
彼女が今一番飲みたくて、更に、一生の想い出にしようとしている飲み物とは?
私は暫く焦ったが、そんなに特別な物が、一介の喫茶店のマスターに作れるもんじゃない。
そして、彼女も、本心ではそんなスーパーサプライズは期待してはいないだろう…きっと…
私は、コーヒーの豆の量を増やし、少し苦めのアイスコーヒーをドリップし、冷やすために氷水の入った器に入れ、コーヒーが冷めるのを待つ。
その間に、生クリームをボウルに入れ、ハンドミキサーで素早く七分立てのホイップクリームを作る。
真ん中が膨らんだダルマ型のグラスを用意する。
氷を入れたダルマ型グラスの中にミルクを入れ、冷やしたアイスコーヒーをゆっくり注ぎ二層のアイス・オレを作る…
その上にディッシャーでひと掬いしたバニラアイスを乗せて、先程作っておいたホイップクリームでグラスを縁どる…
仕上げに、サクランボをバニラアイスの上にちょこんと乗せて。
「ワァッ~、すごい!」
彼女は眼を輝かせてくれた。
彼女はしげしげと眺め、
「おしゃれパンダみたい」
なるほど、言われてみれば…
でも、それだと黒と白が逆の様な…
そんなこだわりは、一切気にしてない様子の彼女。
さっそく、トッピングのサクランボをパクリ。
続けて、生クリームをスプーンで掬ってペロリ。
次に、彼女はグラスを持ってグラスの底を覗き込むように見上げて、
「ねえ、これって、下のミルクだけって飲めます? 飲めるよね」
と、そっとストローをグラスの底まで沈ませて飲んでみる。
ミルクは、牛乳に生クリームを適量加えた特製ミルク。
「フフフ…」
と、幸せそうな顔になる。
その後、ストローを少し引き上げてコーヒーを飲もうとしているので、
「コーヒーは少し苦いから」
と、ガムシロップの入ったピッチャーを出す。
「平気です」
「苦いよ」
「大丈夫」
「イヤイヤ、苦いってば」
「大丈夫です」
と、ひと口飲むが、すぐに苦い顔つきになる。
それを見て、私はつい笑ってしまった。
そして、彼女も笑った。
二人で笑った。
やがて、彼女はアイス・オレを見つめて、
「今日の結果は、このコーヒーの方…でも、もう終わったから、今の気持ちはこのミルクの方かなあ」
「…そう」
「で、このトッピングは、今日まで頑張ってきたご褒美ッ」
と、言ってから、ご褒美部分を幸せそうにゆっくりと完食。
幸せそうな笑顔の彼女だが…
なぜか私には、その笑顔にぎこちなさというか、違和感を感じていた。
彼女は、まだ二層のまま残っているアイス・オレ見ながら、
「ねえ、これ、混ぜちゃっていい?」
私は静かに頷く。
彼女は勿体無さそうに、アイス・オレをゆっくりと混ぜ始める。
黒と白、苦みと甘みが、グラスの中で静かにゆっくり混ざり合ってゆく…
完全に混ざり合った後、ひと口飲む彼女。
「うん。やっぱり、これが今の私かな」
と、言った瞬間、笑った彼女の目から涙がポロリ…
張り詰めたモノがプツンと切れた様に、涙が…
「…今日、みんなよく頑張ったんだよ」
「…」
「みんな、頑張ったんだ…」
「うん…そうだったね…」
コンクールの結果は―
金賞だったが、上の大会に進むことは出来なかったらしい…
私は掛けて上げる言葉も見つけられずにいた…
だが、彼女の涙は、確かに悔しいという感情もあったのだろうが、私には何か全てやり切った、全てを出し尽くした、そんな涙の様にも感じた。
店の中には静かにBGMの有線が流れていた…
彼女がひとしきり泣いた頃、老犬が入って来た。
もう会いたくて会いたくてしょうがなかった様に、彼女に纏わり付いて離れない。
こんな老犬の姿を今まで私は見たことが無い…
老犬なりに彼女を思いっきり慰めているのだろう…
するとなぜか、私は眼がウルウルとして来た…
老犬の健気さに。
私は、青春の持てる力を出し尽くした彼女より、それを慰めようとする老犬の方に感情移入してしまっていた。
“おまえって、本当にいい奴だなあ…”
店の外では、行く夏を惜しむかの様にツクツクボウシが鳴いている…
彼女はアイス・オレを飲み、少し落ち着くと、
「マスター、ありがとう。この素敵なアイス・オレ、一生忘れません」
と、微笑んだ彼女。
その笑顔は…
何かを吹っ切った様な…清々しくて、少し大人びた…
そんな笑顔だった。
私はきっと、今の彼女の笑顔をいつまでも大切に覚えているだろう。
彼女は老犬に、
「お散歩行こうか。ねえ、マスターいいでしょう?」
断る理由は何もない。
元気に飛び出して行った彼女と老犬を見送った後、店に戻ると、カウンターには、すっかり飲み干してくれたアイス・オレのグラスと、ガムシロップがたっぷりと入ったままのピッチャーが残っていた。
”もうこれは、彼女には必要ないかもな”
私は、ガムシロップのピッチャーを棚にしまった。
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