第91話 彼女の夏空

 まだまだ暑い日が続く中、店内では、彼女とその友達たちが奥のテーブルで喋り合っている。

 一応、教科書やノートを広げてはいるのだが…

 恋の話でもしているのか、キャッキャ喋りまくっている。

 これも夏の定番になりつつある。

 部活に勉強、最後の中学生生活を大満喫と言ったところである。


 よくまあ、あれだけ話が尽きないものだと感心する。


 彼女が来たので散歩かなと期待していた老犬もあきらめ顔。


 夏真っ盛りの外は、でっかい入道雲にクッキリと青い夏空が広がっている。


 店の扉が開く度にどこかの店でかけている高校野球の実況中継の音が微かに入って来る。


 暫くすると彼女達も帰って行き、店の中は静まり返る。

 本当にこれがさっきと同じ店? と、言いたくなる位静かになる。


 夕方になり、暑かった夏の陽がようやく西の山の向こうに沈む頃、彼女が一人、店に戻って来る。

 カウンターに座り、何と無く私を見ている様な…そんな気配を感じる…

 顔を上げると、やはり。

「どうかしたの?」

 と、問いかけてみる。

「ううん」

「そう」

 私は、クラッシュアイスをグラスに入れ、アイスコーヒーを注ぐと彼女の前に。


 それをきっかけに、彼女は、

「ねえ、音楽で食べてくのって難しいの?」

「エッ?」

 と、私は思わず彼女の方を見る。


 昼間の、はしゃぎ回っていた彼女とはまるで別人の様に真剣に私の方を見ている。


 ”いけない…ここでふざけた冗談なんか言ったりしたら、きっと、愛想をつかされて信用を失ってしまう…”

 と、思った私は、

「そうだなあ…決して楽じゃないよ」

「ふ~ん」

 と、彼女はアイスコーヒーをかき混ぜながら、

「そうか…」

 と、ストローでかき回される氷を目で追っている。

 

 私は、もっと質問攻めに合うのかなと思っていたが、彼女はそれ以上話を進めることもせず、黙ってグラスの中で揺れている氷を見ている… 

 そして、サッと私の方を見て、

「だからって、何も、無理やり諦めることは無いよね!」

 と、これまた真剣な眼差しで私を見る。

 私は、

「う、うん、そうだよ」

 と、頷くしかなかった。

 彼女の勢いに押された感じで、私は、ただ頷くしかなかった。


 彼女は何か吹っ切った様に顔を上げると、

「ヨシッ‼」

 と、ひと声発すると、コーヒーを飲み干し、店の奥の老犬に、

「散歩行こうか」

 と、声を掛ける。

 老犬はちぎれんばかりにシッポを振り、彼女と外へ。


 まだ暑い夏の外気が入れ替わって入って来る。


 私は少し自己嫌悪…


 こういう場合、もう少し大人として何か気の利いた答えとかアドバイスとかをしてやるべきではなかったのか…


 もう一人いた客も帰り、店の中には私一人になる。

 私はテーブルを片付けながら…

 

 “ヨシッ、散歩から帰って来たらもう少しマシな答えを用意しておこう”と思った。


 さっきは余りにも彼女の質問が突然過ぎたのだ。


 彼女もこれからの進路については、彼女なりに悩んでいるのだろう…

 もし私の一言で、彼女の将来を左右するなんてことになったら…

 なんて考えると、気軽に調子のいいアドバイスは出来ない。


 私は、彼女が問いかけて来るであろう幾つかの質問に対する答えなどをあれこれ想定しながら彼女の帰りを待った。


 しかし…

 散歩から帰って来た彼女は、なにも悩みなんか無かったかの様に、明るくサッサと帰って行ってしまった。


 私は結局何も言い出せず、再び、少し自己嫌悪…


 そんな私を見ながら、老犬はスッキリした表情で機嫌良さそうにシッポを振っていた。


 私は表に出て夕暮れ時の夏の空を見上げる。


 彼女の中の夏空は、雲ひとつ無い青い空とはいかない様だ。

 けれど、深刻な曇り空でもなさそうで…


 ”不安がってないで、そんな弱気な雲、吹き飛ばしてやんなきゃ…”


 本当はそんな風なことを言って上げたかったんだけど…


 夏の夕暮れの風に誘われ、どこかの店に飾ってある風鈴が心地よさげにチリリンと鳴っていた…

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る