第89話 ラストサマー スタート

 今日の最初のお客は彼女だった。

 

 それは開店直後、私が自分のための”モーニングブレンド”を、鼻歌まじりに作っていた時だった。

 かなり大きめのバッグを下げて、目を真夏の朝日よりもキラキラと輝かせて入って来た。


 まるで”真夏のチビッ子太陽”。


 冷たい氷も彼女が握った瞬間に蒸発してしまうんじゃないかと思うくらいの熱量を感じる。

 

「随分早いねえ」

 と、声を掛けると、

「うん。でも、もう行かなきゃ」

 と、不思議な答えが返ってきた。


 これから吹奏楽部は学校に集合して、貸し切りのバスで合宿所に向かうとのこと。

 吹奏楽部の合宿は、郊外の山間にあるユースで一週間、みっちり。

 彼女の話によると、吹奏楽部の成績はまあまあで、嘗ては全国大会まで行ったこともあるらしい。

 ここ数年は低迷しているようだけど…


 私は自分のための“モーニングブレンド”を後回しにして、彼女に特製のアイスカフェオレを出してあげることにした。

 牛乳と適度の割合で生クリーム加えて…


「いいんですか?」

 と、聞く彼女に、笑顔を作って頷く私。


 彼女はひと口飲むと、濃厚なミルクの味に驚いて、

「うう~ん‼ 濃い‼ おいし~い!」

 と、キラキラの瞳で答えてくれた。


 しかしその後は、とても美味しいのか、それとも、よっぽど喉が渇いていたのか、ストローで飲むのももどかしい位の勢いで一気に飲み干している。

 なんなら、氷もストローで吸い込んで一緒に飲んでしまいそうな勢い…


 “味わってくれているんだろうか…”

 ちょぴり不安になる…


「プハぁ~。元気出たッ~‼」

 と、飲み切った後の大満足な笑顔。

「時間…大丈夫なの?」

 彼女はちらりと店の時計を見て、

「うん、でも、もう行く」

「わざわざ寄ってくれてありがとう」

「ここに来ると何だか落ち着いて、モヤモヤが消えるの」

 “ふ~ん”と、心の中で思う私に、彼女は、飲み終えたアイスカフェオレのグラスを見ながら、

「それに…マスターの作ってくれる飲み物には、不思議な魔力があるみたい」

 “まっ、魔力ですか”

「まあ、効く人と効かない人が居るだろうけどね」

 と、少しからかう様に私を見る。


 今日の彼女は慌ただしい。


 飲み干したアイスカフェオレのグラスをカウンターに置くと、直ぐに再び、重そうなバッグを抱えるとレジへ。

「今日はいいよ」

 と、私が言うと、

 彼女は大きく頭を振って、

「ダメです!」

 と、いつになく、強い口調で断った。

「いつもご馳走になっているし、今日のカフェオレ、本当にとっても美味しかったから、今日は払わせて!」

「いいよ、いいよ」

「いいえ、ダメです」

 “ああ~もう本当に、こうなると頑固なんだから”

 私は、彼女に特製カフェオレを飲んでもらって、元気に合宿に行ってもらいたいのだが、彼女の方は、キチンとお金を払って気持ち良く合宿に行きたいのだろう…


 結局、私が折れることになり、

「450円です!」

 と、私は半ばけんか腰。

「ハイ‼」

 と、彼女は笑顔でご精算。

「それじゃ、行ってきます」

「はいはい、頑張ってね」

 少し呆れ顔の私。

 すると、カウンターの奥から老犬が、

「ワン‼」

 と、一吠え。

 シッポをちぎれんばかりに左右に振りながらエールを送っている。

「ありがとう!」

 そう答えると、彼女は勇ましく店を出て行った。

 そのすぐ後に、彼女の飲み干したアイスカフェオレの氷が滑り落ちて“カラン”と鳴った。


 その音は、まるで、彼女の”中学生活最後の夏”の始まりを告げる音、そんな音のように私には聞こえた…


 私はひとつ大きく背伸びをしてみた。


 ”チビッ子太陽”が去り、いつもの朝に戻った店内…


 少し煮詰まった私のモーニングブレンド…

 これもまた、私にとっては忘れられない一杯になりそうだ…


 街路樹のセミの声が、“今日も暑くなるぞ~!”と、宣言するかの様にけたたましく鳴いている。


 窓越しに見える青い空と白い雲。


 “カランコロン”と店の扉が開き本日最初の、あっいや、本日二番目のお客様が入って来た。

「いらしゃいませ」


 さあ、忙しい夏の一日の始まりだ!

























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