第88話 梅雨明け宣言
昨日の激しい雨が朝にはすっかり止んでいて、暑い陽射しが店の扉を開けた途端に飛び込んで来た。
梅雨明けを待ちきれないせっかちなセミたちが、夏を催促するかの様にけたたましく鳴いている。
ここ2・3日はずっと曇りか雨だったので本当に久しぶりの太陽の光。
確かに暑いが私はしばらくその陽を浴びた。
何か内なる力が体の奥底から湧き上がってくるような気がした時、鼻の奥が急にムズムズして来て“ペクション”と、何とも言えない”くしゃみ”をしてしまった。
通りの向こうを歩く女子学生がそんな私に気づき、クスクス笑いながら駅の方へ歩いて行った。
午前中―
店内は、この暑さにまだ慣れていない人々の待避所と化して、久しぶりの大盛況となってしまっていた。
この暑さに慣れてないお客と、このお客のラッシュに慣れていない私で、店の中は”てんやわんや”。
11時過ぎ、“カランコロン”と店の扉が開く。
“きゃぁ~。またお客か~”と、思ったら、彼女が入って来た。
「あらあら、大変!」
と、すっかり日焼けして少し髪を短く切ったであろう(たぶん)彼女は、カバンをカウンターの裏に置き、奥の老犬に軽く挨拶をすると、トレーを持ち、私が片付けきれていないテーブルの片付けに。
手際よくササッと片付けると、そこへ新たな客が入って来る。
「こちらへどうぞ」
お客を案内すると、氷のたっぷり入ったグラスを持って注文を取って来てくれる。
あっという間に時は過ぎ、ひと段落着いた時にはもう2時を回っていた。
「やっと落ち着いたねえ」
と、言う私に、
それを実感するかの様に、大きく頷く彼女。
すると、その時、彼女のお腹が凄く大きな音でグ~と鳴った。
真っ赤になる彼女。
「ハイハイ、かしこまりました」
と、彼女のために何か料理を作ろうと思った途端、私のお腹もグ~と鳴った。
2人、顔を見合わせて笑い出す。
私は特製のオムライスをふたつ作って、ようやくランチブレイク。
彼女はそれをすぐに平らげた。
よっぽど、お腹が空いていたんだろう…こんな時間まで…
私はふと気づいて、
「今日、学校は?」
「やだ、今日は終業式」
なるほど、それであの時間の登場でしたか。
私はもう一つ、勇気を出して聞いてみた。
「髪、切った?」
彼女は、にゃッと笑って、
「うん」
と、大きく頷いた。
私はやっと、ホッと出来た。
「コンクール?」
と、聞き返す私に、彼女は、食後のアイスティーを飲みながら、
「そう。今度、全国大会の予選 があるの」
「いつ?」
「8月の末にね」
「吹奏楽部って、成績良いの?」
「う~ん、正直言ってあんまり良くない。でも、今年は違って、今までの中で一番一生懸命やってる感じ」
「へえ~」
「で、今年は先生も張り切っちゃって、合宿する事になったの」
「合宿?」
「そう。来週から1週間みっちり」
「そりゃ、凄いね」
「ねえ、凄いでしょう。なんか、それ考えてたら、落ち着かなくて」
「…そんなんで、勉強の方は大丈夫なの?」
「私、これでも少しはいい方なんだから」
「でも、来年はじゅ(受験)」
「それはストップ‼」
と、手を伸ばして、私の言葉を遮る。
「この夏が終わるまで、せめて、このコンクールが終わるまでは、その言葉を発してはいけない」
と、少し芝居じみた口調で彼女は言った。
「このコンクールが終わったら3年生は泣いても笑っても引退。それまでは禁句。考えるのもダメ!」
「…そうですか」
彼女の迫力に押される私。
「後悔だけはしたくない」
遥か彼方を見据えている彼女の目は、夏空の中、坂の上に見える真っ白な雲をめがけて駆け上っていく様な…
がむしゃらで、迷いの無い…そんな目をしていた。
”いい目をしているな”
正直、羨ましい。
中二病と言ってしまえばそれまでだが、彼女の中では、全国大会の大ホールで自分達が演奏している映像が出来上がっているのだろう…
それと…
彼女はひとつ目標を定めると、迷いなんか吹っ飛ばす性格なのであろう。
その目標めがけて一直線に駆け出して行くタイプなのだろう。
“夏より熱い”
どうやら、彼女の中の”ただ、なんとなく…”漂っていた梅雨空は、もうすっかり消え去って、キラキラ輝く夏空へ突入していったようだ。
一足早い“梅雨明け宣言”。
奥から老犬が出てきて彼女にすり寄り、久しぶりに会う彼女に甘えまくっている。
彼女も老犬に促され、リードを持ってきて、老犬を外へと連れ出してくれた。
昼間の慌ただしさが嘘の様に静まり返った店内…
何気にラジオを付けると、FMのパーソナリティーがこの地域も今日、”梅雨明けしたらしい”と、を告げていた。
彼女より一足遅れの梅雨明け宣言か。
彼女にとっては、いよいよ中学校最後の夏休み。
夏色の空が雲の合間から顔を覗かせて、セミの鳴き声がより一層大きく聞こえてくる。
さあ、いよいよ夏本番だ!
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