第87話 梅雨の晴れ間のサプライズ

 朝、目を覚ますと、ここ数日降り続いていた雨が上がり、久々にお日様が顔を出していた。


 そんな午前中の事。

 店はブランチタイムで、客もまばら…


 私宛に宅配便が届く。


 私宛?


 通販なんて頼んだ覚えも無い…


 箱は小さいが、中身は少しずっしり感。


 差出人の苗字には全く覚えが無い。

 住所にも心当たりは無い。

 縁もゆかりもない地名。

 ”こんな所、行った事も無いしなあ…”


 一応私宛なので、宅配便を受け取りはしたが、開ける気にはならず、もう一度伝票を見る。

 

 差出人の苗字には全く覚えが無いが、その下に、(  )して、旧姓○○と書かれていた。

 

 旧姓○○?…○○?…○○‼


 ”ミス・モーニングだ‼”


 もう一度、差出人の住所を見る。

 ミス・モーニングの嫁ぎ先の町だ。


 私は夢中になって箱を開ける。

 今まで時限爆弾かの様にいぶかしんでいた箱を、今は、季節外れのクリスマスプレゼントの箱の様にドキドキときめきながら開けている。

 きちんと包んでくれている包装紙が逆にもどかしい。

 

 箱の中には、プチプチ 梱包材に包まれた物体がふたつ。

 これまた、きっちり包んである。

 やっとの思いで、プチプチ 梱包材をはぎ取ると、中からマグカップがふたつ。

 白っぽい陶器のマグカップ!

 

 中に手紙が入っていて、私と彼女のために、旦那さんの手解きを受けながら拵えてくれた物で、ミス・モーニングがデザインした物を旦那さんが焼いてくれたそうだ。

 

 ひとつは、大きくてどっしりとした物で、もうひとつは、小ぶりのカップである。


 おそらく、このどっしりしている方が私のだろう。

 私は一目でこの大きい方が気に入った。

 絵柄もカラフル…

 

 ”上手く行ってるんだろうなぁ~”

 幸せそうな二人の様子が目に浮かぶ…

 その感じがマグカップにも表れている。


 私の気分は上々!

 久しぶりの太陽の陽射しがそうさせるのか。

 ミス・モーニングのサプライズがそうさせるのか。

 何故だかとてもフワフワした心持。


 私は暫くカウンターにマグカップを乗せて、目線を低くして、マグカップの取っ手を回しながら、ミス・モーニングのデザインを眺めていた…

 幼い頃、親に買ってもらったミニカーをテーブルに乗せて、目線を低くして眺めていた、あの時と同じ感覚…


 ふと、何かの気配を感じて振り返ると、老犬が怪訝そうな様子でこちらを見ていた。

 私はスーと現実の世界に引き戻されてしまった。

 が、何故だかフワフワした心持だけは抑えきれない。

 

 心が幸せ感で満たされている。


 その時、一人のお客が会計を済まそうとレジへ。

「今日はいいですよ」

 と、言う私の言葉に驚くお客。

 私がもう一度、

「今日は、いいですよ」

 と、言うと、

「払わなくて、いいんですか?」

「はい。今日だけは特別無料サービスです」

「本当に?」

「日ごろ、来ていただいてるんで」

「…初めてなんですけど」

「あっ、でも、今日は特別なので、本当に結構ですよ」

 戸惑うお客をよそに、私はレジでニコニコしていた。

「じゃ…ご馳走さま…」

 と、その初めてこの店に来たお客は少し不安げに帰っていった。


 しかし、私はどうしても今日はお金を取る気になれなかった。 

 今日だけは、お客から料金をもらう気になれなくなってしまっていた。

 “どうせ土曜日だし、今日ぐらいいいだろう”

 そんな気になってしまった。


 土曜日はいつもお客の数は少ないので…

 ”今日だけはいいだろう” 

 と。


 昼過ぎになると常連の客たちもやって来る。

 いつもと違う私の態度を見て不思議そうな顔をしている。

 でも、”どうしたの?”とは、聞いて来ない。

 ”何かあったんだろうな”とは察しがついている様だが、ココは気心が知れている者同士、敢えてそういう事は聞いて来ないし、逆に、

「毎日やってよ」

 と、言ってくる。 


 夕方になると彼女がやって来た。

 彼女は何のためらいもの無く、私の様子を見て即座に、

「どうしたの?」

 と、聞いてきた。

 私は気持ちが悪い位ニヤニヤしながら、彼女にミス・モーニングの手紙を見せ、カウンターの上にマグカップふたつを並べる。

 

 彼女は手紙を見て、

「ふ~ん、そうなんだ」

 ニコニコしている私に、

「人がいいんだから」

 と、やや呆れ顔。

 私が、

「こっちのが私ので、この小さいのが君の」

 と、大きいマグカップを自分の方へ引き寄せた時、  

「ちょっと待って、大きい方が私のだって書いてあるよ」

「エッ⁉」

 心底驚く私。

「ほら、ここんとこ」

 私は彼女から手紙を取り、よく見ると、確かに…

 なぜか、大きいのが彼女ので、小さいのが私のだそうだ。

 彼女が、

「浮かれて、最後まで読んでないんでしょう」

 と、子供を諭すかのような口調で私に言った。

「…」

「はい、交換」

 と、大きい方のマグカップをサッと手に取る彼女。

 てっきり大きい方が自分の物だと思っていた私は…

 幼い頃、むちゃくちゃ気に入っていた玩具を取り上げられた時みたいな、とても悲しい切なさを感じた…

 “気に入ってたのになあ…”


 しかし、改めてよく見ると…

 彼女には、大きいマグカップの方が収まりがいいようだ。

 取っ手の所に彼女の4本の指がすっぽりと入って、両手で包み込むようにマグカップが持てる。

 今からは夏だけど、冬になって、これで温かいカフェオレなんか注いだら美味しそうだな…

 そう思わせてくれる。


 私がいやいや引き取った小ぶりのマグカップも…

 カウンターの袖で、自分用のコーヒーを注いで飲む時に邪魔にならないサイズ。

 “ちゃんと考えて作ってくれたんだ”

 そう思って、改めて小さい方のマグカップを見ると、ミス・モーニングの優しさが伝わってくる…


 お客が一人帰ろうとする。

 私は、

「今日はいいですよ」

と、支払いを断る。

 少し戸惑う客。

「ええ? いいんですか?」

「はい。今日だけは特別で」

「あっ、そうですか。じゃあ、ご馳走さま」

 と、帰っていく。

 その様子を見ていた彼女は、

「もう、本当にお人よしなんだからなあ~」

「今日だけ、今日だけ」

「潰れちゃうよ」 

「今日だけ、今日だけ」

 と、受合わない私。


 完全に呆れ顔の彼女は、夕食前だというのに、普段は頼みもしないハンバーグセットを頼んで、デザートにフルーツパフェまで平らげた。


 帰り際、支払いを断った私に、

「本当に潰れちゃうんだから」

 と、少し膨れて帰っていった。


 どうやら彼女だけが、この特別無料サービスを喜んでくれなかった唯一のお客となった。


 彼女を見送って、店の外に出てみた。

 今日一日だけが運良く梅雨の中休み。

 西の空にある雲が、夕日を浴びて黄金色に輝いていた。


 私は、背伸びをしてみた。

 本当に久しぶりに、”う~~ん”と、背伸びをしてみた。


 明日からはまた、梅雨空に戻るらしい…

 でも今日だけは、今日だけはもう少しこの気持ちのままでいさせてもらいたい…


 チョウチョが二羽、梅雨の晴れ間を楽しむかの様にじゃれ合いながら追いかけっこをして黄昏染まる西の空へ舞い上がって行った…

 

 カウンターに並んだ大きいマグカップと小さいマグカップ…

 窓越しに気持ち良さそうに背伸びをしている私が見える…





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