第86話 ただ、なんとなく…
「よく降る雨だなぁ…」
カウンターに座っている彼女が、飲み干したアイスコーヒーの氷をストローで突っつきながらつぶやいた。
ここ2・3日、お日様は顔を出さず、梅雨空が…
気分的にも、ただなんとなく重苦しい日々が続いている。
今日も朝から降りそうで降らない、どんよりとした空模様だった。
そのせいか、学校に傘を置いて来てしまった彼女…
取りに戻る気にもならず、
“きっと、今日はもう降らないでしょう”
と、店に寄ってくれた。
言い換えれば”寄り道”であるが…
しかし、店に入ったあたりから雨が降り出し、今は結構本格的に降っている。
真っ直ぐ家に帰っていれば、雨に濡れずに済んだかもしれないのに…
いざとなれば、店には、お客がずいぶん前に忘れて行ったままの傘が何本もあるので、それを借りれば帰れるのであるが…
彼女には、なんとなく此処に寄りたくなった理由があり、そしてまた、なんとなくまだ帰りたくない理由があるのだろう…
ぼんやりと、窓の外の雨の様子を眺めている…
老犬も心配そうに、ク~ンと、鳴く。
普段の彼女なら、ここで、元気に老犬に声を掛けるところだが、今日の彼女は、心配そうにしている老犬に優しく微笑み返すのがやっとだった。
そんな彼女に、温かいロイヤルミルクティーをそっと出してみる。
アイスコーヒーの後にロイヤルミルクティーはどうかなと思ったが、私も飲みたかったので彼女にもいかがかなと思って作ってみた。
そんな私の心を察してくれたのか、こっちをチラッと見て、ロイヤルミルクティーをひと口。
そして、フウ~と、大きく息をついた。
今まで心の中に溜め込んでしまっていた思いを全て吐き出したような、そんな、ちょっと長めの、ちょっと重めのため息を。
学校で何かあったのだろうか…
部活の事か?
進路の事か?
友達関係の事か?
何があったのか聞いてもいいのだが…
聞くのも野暮な様な気がして…
それに、本当に聞いてほしい話があるのなら、きっと彼女の方から話を切り出してくるはずである。
また、彼女は窓の外を眺めている…
今までなら何でも話しかけてくれていた彼女だが、近頃はそうでもない…
彼女も、生まれてから今日までの十数年、彼女なりに懸命に生きているのだ。
大人が聞いたら他愛も無い出来事でも、今の彼女には、途轍もなく大変な問題なのかもしれない…
それを彼女なりに自分で解決して行きたいのだろう。
そんな彼女の心をロイヤルミルクティーが少しでも和らげてくれると良いのだが…
私もあえて話しかけることはしない…
静かな時が流れてゆく…
雨はまだ降っている…
暫くして、彼女がカウンターを降りる。
「マスター、傘借りてもいいですか?」
「いいよ」
私は奥から、もうこれは絶対取りに来ないだろうなと思える、くすんでしまった透明のビニール傘を持ってくる。
レジで、
「ミルクティー、ご馳走さま…ちょっと元気になりました…」
と、彼女は私に微笑み、店を出て行った。
店の外では、どんよりとした雨雲がまだ空を覆っている。
彼女が借りたビニール傘を開く。
バリバリバリと音と共にくすんだビニール傘が開く。
くすんだビニール傘をしげしげと眺めて、
「わあ、これ、今の私だわ…」
と、彼女は呟いていた。
私は、傘をさして帰ってゆく彼女を店の外でしばらく見送った。
”もう少しマシな傘にしてあげれば良かったかなあ”
結局、彼女は私に”彼女の憂鬱”を打ち明けてはくれなかった…
なんとなく寂しい気もしたが、これはこれで良かったのかもしれない…
レジで見せたくれた彼女の笑顔が、そう教えてくれたような気がする。
いつか、“あの時はねえ~”と、笑って打ち明けてくれる時が来るかもしれないし…
くすんだ透明のビニール傘を差して帰る彼女を見送りながら、
“少し背が伸びたかのなあ”
なんとなく、そんな気がした…
歩道の紫陽花たちが雨に打たれながら、彼女を励ますかの様に揺れていた…
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