第83話 梅雨の走り

 今日は朝から小雨の土曜日。


 お客も少なく、のんびりした空気が店に漂っている。

 こんなにお客が入らなくても、これで特にどうと焦りもしない。

 気楽な独り身の経営だから、なんとかやっていけている。

 

 全くのんびりとした雰囲気がこの店には漂っている。

 客の方もこの空間を楽しみに来てくれているのかもしれない。


 老犬も雨は苦手なのか、こんな日は散歩をせがんだりせず静かにしている。


 “あ~、なんてのんびりとした、いいひと時なんだ”

 と、私用のコーヒーの香りを楽しんでいた時、サッと老犬が立ち上がった。

 続いて“カランカラン” と、店の扉が開く音がすると、彼女が飛び込んで来た。

 サックスの雨の日用のハードケースを抱えて入って来た。


 もしや、これから、予告なしの“練習?ライブ?”を敢行するというのか‼


 すると後から、数人常連さん達も入って来る。

 おそらく、どこかで、彼女がサックスケースを持って店の入るのを見つけたのだろう。

 

 私ののんびり気分は一転。

 少し慌ただしくなる。

 お店にとっては有り難いことであるのだが…


 サックスの音が店の中を満たしてゆく…

 彼女の演奏テクニックもなかなかの物で…


 “そりゃあ、ほぼ毎日吹いてるんだから”

 と、少し妬みも入るが、かなり上手くなっているのは紛れも無い事実である。


 雨の日にスローテンポのサックスは心地良い。

 外降る小雨が銀色に輝いている…

 最近の彼女のお気に入りなのか、それとも、オーディエンス達に合わせてくれているのか、’70~’80年代に流行った曲を演奏してくれている。

 

 30分~40分位の心地良いひと時、これまた、ゆったりとした空気が店の中に漂っている…

 ことに、カーペンターズの”青春の輝き I Need To Be In Love”と ”雨の日と月曜日は Rainy Days And Mondays”は、良かった。

 小雨交じりの土曜日の午後には…


 “練習?ライブ?”が終わると、彼女は楽器をしまい、カウンターへ。

 老犬が退屈そうにしているのを見て、

「こんにちは、元気ないね」

 と、老犬に話しかける。

 老犬が上目遣いに彼女を見つめている。

 彼女が私に、

「散歩、連れってってあげようか?」

「いいんだ。雨はどうも苦手らしいんだ」

「本当?」

「ああ」

 彼女は私の返事にどうも納得がいって無い様で、今度は直接老犬に、

「ねえ、散歩行こうかッ!」

 と、声を掛ける。

 すると、老犬は、

「ワンッ‼」

 と、吠えて、大喜び。

 シッポの振り方が尋常じゃない。

 その老犬の喜びように、私は唯々、

「‼‼‼」

 で、ある。


 彼女はサッと老犬の首輪にリードを付けると、大喜びの老犬と共に小雨降る街の中へ。

 呆気に取られ、呆然と見送る私…

“信じられない”

 老犬はどうやら、雨が嫌いじゃなくて、雨の中の散歩が嫌いな私に諦めを感じていただけだったようだ。

“なんてことだ…”


 老犬のことを分かっている様で、実は、理解しきれていなかったなんて…

 ちょぴり寂しい気持ちになった…


 彼女たちが出て行くと、また直ぐに、店の中は静かになった。


 窓の外は相変わらず音も無く降り続く小雨…

 

 梅雨の走り。

 

 間もなく雨の季節がやって来る…





 


 


 

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