第82話 乙女心と春の空
快晴。
五月晴れの土曜日。
午前中から気温も急上昇で、お昼前には行き交う人も長袖を折って半袖に…
白っぽい服が増え、街並みも春の花と共に明るくなってきたような気がする。
そんな表の陽気とは裏腹に、店の中では少し不機嫌な彼女がカウンターに。
カウンター超しに、彼女は少し怒ったように私を見ている。
「やっぱり気付いて無かったんだ」
これが数分前の彼女のセリフである。
それから彼女は、注文したピザトーストを大きな口を開けて頬張った。
女性の髪が5センチ位短くなったことに気付かない事が、それ程大変な事だと思ってもみなかった私には、彼女のがっかりした様子はかなり意外なものであった。
【乙女の髪形の変化にすぐ気づいてあげる。】
【そして、すぐに褒めてあげる。】
そういうキャラを私に要求されても困るのであるが…
私はそんなことする係ではないような気がするのだが…
それでも彼女は私には気づいて欲しかったようで…
正午近くになり、土曜日ではあるが店は少しづつ忙しくなって来た。
そうそう彼女だけを構っている訳にもいかない。
さらに、この時期からアイスコーヒーの注文が増えてくるのでアイスコーヒー用のストックを作り始めなくてはならない。
普段のブレンドとは違う豆を落とす。
夏へ誘う芳醇な香りが立ち込める…
私はドリップ仕立てのまだ温かい一杯をいただく…
これはこれで、少し苦くて美味いのである。
そして私は、この出来立てのアイスコーヒーを一人前だけ、クラッシュアイスの入ったグラスに注ぎ、ストローを挿し、ガムシロップと生クリームと一緒に、ピザトーストを食べ終わった彼女へのアフターコーヒーとして差し出した。
私としては、髪形の変化に気づいてあげられなったことへのお詫びのつもりなのだが、まだ機嫌が直ってないのか、彼女は素知らぬ顔。
”早くそういうことに気づいてくれる彼氏でも作れば”
と、一言言いたくなったが“火に油”になりそうなので止めておいた。
しばらくすると、店の外からこちらに向かって数人の女子中学生たちが手を振っているのが見えた。
一瞬、”もしかして私に?”
と、思ったが、当然そんなことは無く、それに気付いた彼女が手を振り返し、サッとレジへ。
素早く会計を済ました彼女は私に、少し素っ気無く、
「ご馳走さま」
と、言って、女学生たちの元へ。
これから部活なのであろう。
それぞれに楽器を持っている。
彼女は仲間とはしゃぎながら、上機嫌で街の中へと消えて行った。
“あんなに不機嫌だったのに”
と、思いつつ彼女の食器を片付けに。
カウンターのアイスコーヒーは、いつの間にか飲み干してあり、傍にあったナプキンに、
“アイスコーヒー ごちそうさま いつも ありがとうございます いつも ごめんなさい”
と、彼女の丸っこい字で…
私は、つい、クスッと笑ってしまった…
店の外は抜けるような青い空。
手を伸ばせば、宇宙に手が届きそうな…
キラキラした春の陽射し。
路面の街路樹の若葉の影が、皐月の風に揺れていた…
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