第74話 コンクール

 今日は朝から雨である。

 春を待つ弥生の雨である。

 少しは暖かくなって来たと言っても、まだ、朝夕は寒い。

 

 中学校でも卒業式を終え、これからは終業式、そして春休み…

 学校の先生たちにとってはとてもとても忙しい時期だろうが、生徒たちにとっては一番心が開放されている時期なのかもしれない。


 彼女も部活が早く終わった時には店の手伝いに来てくれる。


 今日は土曜日なのに不思議と客が多い。

 しかも不思議と親子連れで、妙に張り詰めた緊張感を漂わせている…


 その理由は、ここから10分位の所に割と立派な市民ホールがあり、そこで音楽コンクールが明日から開かれるそうで、その下見・リハーサルを兼ねてやって来ているようである。


 少し緊張ぎみの男の子とその緊張を解そうと少しおしゃべりな母親とか、明日のアドバイスを続ける両親とそれを聞いている子供…

 共に無言でコーヒーを飲んでいる母・息子など、それぞれである。

 みんなそれぞれに、明日の成功を想っている。


 彼女はカウンターからそんな光景を眺めている…


 また新たに1組入って来る。


 グラスに水を入れ、オーダーを取りに行く彼女。


 その母娘は、娘がかなり緊張している様で、母親の方が一生懸命気遣っている。

 そんな母親を見つめている彼女。

 少し羨ましそうに見ている…


 そうだなあ…

 彼女の母親が生きていれば、こんな光景の中に入っていたのかもしれない…

 ピアノかバイオリンかは分からないが、譜面片手にコーヒー飲みながら彼女にアドバイスをしている…

 十分に考えられる一場面である。


「ココアとレモンティー」

 と、戻って来ながら私に告げる彼女は、どことなく無理に笑顔を作っているように見えた…


 その後も数組、入れ代わり立ち代わりやって来た。


 夕方近くにやっと落ち着ついてきた。

 外はまだ雨が降っている…

「明日、見に行ってみれば?」

 と、私が聞くと、

 彼女は静かに首を横に振る。

 私もそれ以上は聞かずに、片付けをしていると、彼女がぽつりと、

「やっぱり、ああいうのって、専門の高校とかに行かなきゃいけないのかなあ?」

 と、コーヒーカップなどを下げながら、私の顔を見ずに半分独り言の様に聞いてきた。

「さあ、どうだろうねえ…そりゃあ、専門の学校に行く方が有利かも知れないけど、行ったからと言って、みんながみんな優勝するわけでもないし、本当に天性の才能がある奴は、どこの学校に通ってたってスーッと優勝するもんだからね」

 と、少し冷たく返事した。

「ふ~ん」

 と、分かったような、分からないような返事をして、彼女はテーブルを拭きに行ってしまった


 テーブルを拭きながら“天性かぁ”と、つぶやいた彼女の声は私には聞こえていない。


 まだ、雨は降り続いている…

 春の前の冷たい雨が…


 通りに面した窓のガラス。

 その曇りガラスに映る彼女の表情は、少し憂鬱そう…

 だが…どこかある一点を見据えていた…

 何か決意したかの様に…


 そんな彼女の心境にも気付かず、私はのほほんと、鼻歌まじりにジャガイモの皮を剥いていた…


 まだ、雨は降り続いている…













 


 




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