第28話 ラスト レッスン?

 私にはその日が何の日なのかその時はまだ知らずにいた…


 いつものように日曜日のレッスン、店に入って来た彼女は、少し暗い表情で何か重い、何かを決意した様なそんな表情だった。

 

 彼女の“ひこうき雲”のレッスンも佳境に入り、もうほとんど完璧に吹きこなしていた。

 音量も逞しく、本当に13歳の女の子が吹いているのかと思わせる位力強い。

 思わず聞き入ってしまう。

 “F”の壁も見事に乗り越えていた。

 と、いうよりも、逆に“F”の音が心地良いくらいに響いていた。

 本当に力強く演奏する姿は、少し大人びて見える。

 

 しかし、結局、彼女は、なぜ彼女の人生の中で一番初めに吹きたい曲が“ひこうき雲”だったのか、その理由は教えてくれなかった。


 レッスンを終えて、と、言っても、私の教えることなど、もう殆ど何も無かったのだが…

 カウンターに座っている彼女に出してあげていたアイスのカフェオレもホットに変わっていた。


 静かに、カフェオレの温かさを確かめる様に飲んでいた彼女が、小さく、

「マスター、ありがとう」

 と、言った。

「うん??」

 と、問い返す私に、

「ううん、何でもないです」

 と、言って、また、ひと口カフェオレを。


 秋の午後、静かに時が流れていた。


 何故か急に、カウンターの奥の老犬が、彼女に向かって“ク~ン”と鳴いた。

 彼女を心配するかのように、“ク~ン”と、ひと鳴き。

 彼女は、そんな老犬に優しく微笑み返した。


 彼女は、カフェオレの最後のひと口を飲み干すと、ある決意を胸に秘めカウンターを降りると、私に向かって、

「マスター、今日まで、ありがとうございました」

 と、深々と頭を下げた。


 その意味が全く分からない私は、ただ、キョトンと彼女を見つめていた。

「…今度の木曜日に…それで、終わりにします」

「今度の木曜日?」

 まだ何のことなのか分かっていない私に、

「今日まで、ありがとうございました。本当に、ありがとうございました」

 今にも出てきそうな涙を唇を嚙みしめて、堪えながら、頭を下げる。

 そして、おもむろにサックスケースを手にすると、店を飛び出して行った。

 呆気に取られている私。

 すると、老犬がひとつ、大きな声で“ワンッ!”と、吠えた。

 我に返った私は慌てて店の外へ。


 しかし、彼女はもう、サックスケースを自転車に乗せて走り去ってゆく。

 追うことも、声を掛けることも出来ず、ただ、店の前に立ち竦む私。


 “…今度の…木曜日…”

 いったい、何の日なんだろう?


 曇天の空の下、北風が吹く、秋の昼下がりであった。


 

 

 


 






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