第11話 カフェラテ風カフェオレ
まだ梅雨入り前なのに、初夏を思わせるような陽射し。
店の中は早くも冷房を入れている。
さっきまでいた客も帰り、この時間帯にしては珍しく静か。
客も居ないので、少しサックスの練習を。
カーペンターズの“イエスタデイワンスモア”。
だいぶ慣れてきたが、入りの部分の㋛・㋹・㋹・㋛・㋹・㋛、特に㋛から㋹に移る時の指を抑えるタイミングがちょっとずれ込む。
おまけにリードの噛みが甘かったりすると、妙な音が出る。
チューバッカが風邪をひいて様な音が出る。
リードをくわえ込む位置によって音の太さが変わっていく様で、この辺がなかなか厄介。
やはり上達するには、まだまだ時間がかかりそうである。
でも、まあ、焦ることは無い。
私は私のペースでやれば良いのだから。
そんな時であった。
店の片隅にいた老犬が、むくッと顔を上げると、シッポはパタパタ振り始めた。
カランカランと店の扉が開く音がする…彼女が少し戸惑いながら入って来た。
しかし、店に入ると度胸を決めたのか、スーッとカウンターの少し奥の方の席に掛けた。
彼女はメニューなど見もせずに、
「アイスのカフェラテ、お願いします」
と、言った。
”なんだ、この挑戦的な注文は”
レトロな昭和の香りしかしないこの店で、なんという大胆な注文。
しかし、彼女には何の悪びれたところがない。
「かしこまりました」
と、答えたかったが、今までそんな物作ったことなんか無い。
ましてや、この店にはエスプレッソを抽出する機械など無い。
しかし、出来ないとも答えたくないが…
私は彼女に微笑み返すと、
「出来ません」
と、答えた。
彼女には、その言葉の意味が分からないのか、キョトンとしていた。
今時、コーヒーを出しているお店でカフェラテの無い店が存在している事が理解出来ていないような…
私が、
「…アイスのカフェオレでも、いいですか?」
と、聞くと、
「…アッ、はい…」
彼女は、俯いてしまった。
今やっと、店のメニューに無い、無理な注文をしてしまったことに気づいて、恥ずかしそうに少し顔を赤くして俯いてしまった。
私は冷たい水のグラスを彼女に差し出しながら、
「…いいんですか? 一人でこんな、喫茶店なんか。まだ、中学生でしょう?」
彼女は、顔を上げると、少し突っ張ったように
「いいんです。もう中学生ですから」
と、彼女は答えた。
どうやら彼女は、彼女なりに”大人である”と宣言でもしたげな様子だった。
それはともかく、私は、未だに彼女が誰なのか分からないでいる。
常連さんの娘さんなら、そうムゲにもできないし…
彼女は、私がコーヒーをたてている間、カウンターの壁に飾ってあるジャズなどのレコードを物珍しそうに見ている。
今ではすっかり本当の飾り物になってしまったレコードたち。
今はもっぱらCDか有線をかけているから…
コーヒーの香りが立ち込める。
もちろん、アイスコーヒーのストックなら冷蔵庫にあるのだが、
“まあ、いいじゃないか”
彼女が楽しみに待っているアイスのカフェオレをじっくりと作る楽しみを私は味わいたかった。
少し濃い目に落としたアイスコーヒーを素早く冷ますと、特製のグラスにミルクと氷を入れて、それから、静かに、ゆっくりとミルクの上にアイスコーヒーを注いでいく。
すると、コーヒーとミルクが見事二つの層を作る。
まだ融合していないミルクとコーヒーの状態で彼女の前へ。
彼女は、少し驚いたような表情を浮かべながら、少しためらい、それからそっとストローをグラスの中へ。
かき混ぜる彼女のストローに続くかのように、コーヒーとミルクはゆっくりと混ざり合っていく。
彼女は、チラッと私を見て、それから静かに飲み始めた。
彼女の満足げな表情が私を少し安心させた。
しばらくして、彼女がカウンターの壁を指差して、
「あれ、レコードって言うんでしょう?」
私は少し戸惑ったが、
「そうか、そういう世代なんだ…そうだよ」
「レコード、掛けたりすることあるんですか?」
「今はないね」
「そうですか…」
少しがっかりした様子の彼女。
「プレイヤーがね、ダメになってね…なにか、聞きたい曲でもあったの?」
彼女は、首を横に振って、
「別に…ただ、どんなのかなと思って…」
二人の会話はここで途絶えた。
私はこの沈黙に耐え切れず、
「今度、直しておくから。そしたら、聞かせてあげる」
と、つい言ってしまった。
私の一番ダメなところ。
適当な事を言って、ついその場を取り繕ってしまう。
「ありがとうございます」
と、彼女は笑顔になる。
彼女の素直な返事が、余計、私に心にぐっさと刺さる。
彼女は気を良くしたのか、アイスのカフェラテ風カフェオレを飲み干すと、一瞬、チラリとサックスの方に目をやり、それからレジの方へ。
「今日はいいよ」
と、言う私に、
「それはダメです」
と、今度はメニューをしっかりと見て、カフェオレ分の450円を財布から取り出し、
「それじゃ、また来ます」
と、出て行った。
その表情は、余りにも親しげであったので、私も、つい笑顔で返してしまったが、彼女が帰った後、首を傾げ、
「…どこの子だったかなあ?」
店の片隅で、老犬が機嫌良さそうに尻尾を振っていた。
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