第10話 五月の雨とサックスと
五月の雨の日曜日。
こんな日は、河原にも行けず、大人しく店の中でサックスの練習を。
その前にコーヒーを入れる。
サイフォンのポットに落ちていくコーヒーを眺めながら、私の友人の事を想う。
このサックスのご主人、本来の持ち主。
私に無い物を全て持っていたような、私はこの友人に憧れていたし、また、嫉妬もしていた。
これは本音である。
明るく、陽気で、少し破天荒、それが羨ましかった。
私も決して暗い方では無いと思うが、ああいう自己表現は私には無理であった。
そして、今、専用のサックス・スタンドに立て掛けてあるサックスが、友人の相棒だった“セルマーMark6”。
ネットで調べたら、100万円以上。
値段を知ってから扱いが変わった。
まあ、友人もその道のプロなのでこれ位の楽器を所有していても当然であるが。
私はまだ、慣れていないので、扱いは丁寧に、丁寧に。
仕事の合間、休日など、最近は練習に熱が入り、お陰で音もスムーズに出るようになってきた。
いろいろ調べてみたら、初心者は低い音の方が出しにくいそうだが、私は何故か、低い音の方がよく出て、高い音の方が出しづらかった。
私は相変わらず、世間一般とは違っているようだ。
運指(指使い)もなかなかの物になってきた。
ピアノを演っていた事もあるし、小学生の頃はリコーダーは得意だったのだ。
親に逆らえず、ピアノを続けたが、ピアノを辞めてサックスをしていたら、案外いいサックス奏者になっていたかもしれない。と、自惚れてみる。
私はなんだか小学生に戻ったかのように、しばし、時間を忘れてサックスを吹いている。
が、しかし、30分程すると、やる気はあっても唇が付いて行けなくなる。
リードを噛む力がだんだん弱くなり、マウスピースを抑えきれなくなり、横から空気が漏れ始め、壮絶な戦いが始まる。
なんとか唇を閉じて音を出そうとするが、上手くいかず、音が震えだし、そして、遂には飛び散る唾。
1時間もすれば、唇はもうへとへと。
この唇との戦いが大きな課題である。
だが、せっかくいい調子で音が出始めたので、そろそろ何か曲でも吹きたいと思い、有線をかけてみる。
ちょうど、カーペンターズの“イエスタデー ワンスモア”が流れてきた。
少し古い曲だが、このテンポなら、何とかなるかも。
これを私の第一曲目にしてみようと思う。
俄然やる気が出てきたが、唇がもうダメ。
今度から頑張ろう!
外はまだ雨。
カレンの歌声が静かに、静かに、溶け込むように店の中に流れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます