3-20 悲壮感の無い戦争前夜

 芳香は一人、事務室で書類や帳簿のチェックをしていた。

 夕方のトレーニングを、と木剣を取り出したところで優喜から「そんな事よりお仕事を」と言われてしまったのだ。

 芳香は頬を膨らませながらも、内容を精査したり算盤を弾いて仕事を進めていく。

 尚、算盤は優喜が作った物だ。この世界に類似したものは見当たらないが、優喜は特にこれを広めようともしない。

 なんと、この国の商人は誰でも、六桁×三桁くらいは暗算で計算できるのだ。商人SUGEEEEEEE

 でも、彼らは方程式や三角関数はもちろん、分数計算すら知らない。

 日本人から見るとアンバランスだが、それで彼らの生活が問題なく成り立つのだから、彼らとしてはそれで十分なのだろう。

 芳香が仕事を一通り終えて食堂に下りてくると、優喜たちもちょうど仕事が一段落したようで、揃って食堂へとやって来た。

 席に着くと、すぐに夕食が運ばれてくる。

 邸の厨房を担っているのはクィナテミだ。ビョグゥトでも厨房勤めだったらしい彼女は別邸の厨房長である。

 主である優喜がティエユの町に移ってからは、王都の別宅には下働きの者しかいないため、質素な食事が多いのだが、今日は久しぶりに主が来ると言うことで、張り切って料理を作っていた。

 食料品を含めた物資が不足がちなティエユの町では食べられないような豪勢な料理が食卓に並んでいる。


「ねえ、優喜様?」

 芳香が食事の手を止め、不安そうに問いかける。

「何ですか?」

「私たちは連れて行ってくれないの?」

「分かっているんですか? 人を殺しに行くんですよ。」

 優喜は不機嫌そうに言う。

「分かってるよ。でも私は」

「ダメです。三人ともティエユの町で待っていてもらいます。」

「……どうして?」

 優喜の強い口調に、芳香の声は消え入りそうだ。

「まず、理恵は人殺しには向きません。というか、人が死ぬところを見ただけで、また何日も寝付けない夜を過ごすことになるでしょう。」

「うう、返す言葉もありません……」

 理恵は俯いて言う。本人もその自覚があるのだろう。


「次に、茜ですが、一人が死ぬくらいなら大丈夫でも、何百人も殺されるところを見れば、あるいは自分が殺せば同じことになるでしょう。あるいは戻って来れなくなってしまう可能性があります。」

「戻って来れなくなる?」

「ヒャッハー状態から抜けられなくなります。そういうタイプです。」

「それって褒められてるんだが莫迦にされているんだか分からないんだけど。」

 茜は不貞腐れ気味に言う。


「最後に芳香ですが。自分で分かっているでしょう?」

 優喜は芳香を真正面から見据えて言う。

「分かんないよ…… 私は優喜様と一緒に、ちゃんと役に立つから一緒に連れてってよ!」

「あなたの役目は戦場にはありません。魔物との戦いならいざ知らず、人間との戦争なんて言語道断です。」

「でも」

「お腹の赤ちゃんに何かあったらどうするのですか!」

「え?」

「赤ちゃん?」

 理恵と茜は驚き、振り向き芳香のお腹を凝視する。

「まだ……」

「分かりますよ。私が気付かないとでも思っているのですか?」

 言いかけた芳香を否定して優喜が声を荒らげる。

「とにかく! 芳香が今最優先にするべきことはお腹の赤ちゃんです。トレーニングも狩りも禁止です。良いですね!」

「はい。」

 捲し立てる優喜に圧されて、芳香は俯きながら返事をした。


 翌日、魔導士団、騎士団、そして近衛隊から選出された六人の精鋭を荷台に乗せて、優喜の運転するトラックは王都を出発した。

 その荷台には優喜が町で買い込んだ食料品に加え、王宮からも支給された糧食や旅のための道具が積み込まれている。

 優喜は、もう何度も往復した道を北に向かって走る。

 何度も地均し移動で往復しているため、道はかなり綺麗に整備された状態にある。現代日本の舗装道路にも劣らない快適さで、トラックが高速で走り抜けていく。

 ただし、日本とは違って、たまに魔物が出る。しかし、それらは射程内に入れば即座に理恵や茜に狙撃され、吹き飛ばされていく。最下級な魔物はそのまま放置して通り過ぎていくが、高級素材となる魔物はその角や牙を回収していく。

 とは言っても、以前していたように首ごと斬り落とすのではなく、緑星鋼のナイフで角や牙を根元から抉り取っていくだけだ。また、鱗を幾つか削ぎ落としていく。

 アフリカで跋扈する密猟者たちが、同じようにサイやゾウを殺して角や牙を抉り取っていくのは許される行為ではないが、魔物をいくら甚振ってもどこからも文句は出ない。むしろ、魔物を殺すことは良いことである。


 ティエユの町に着くまで、二匹の大型魔獣に遭遇し、優喜たちはウハウハ状態である。たった二匹分とは言え、一本十キロ以上ある角が一匹に四本とか八本とか生えているのだ。さすがは大型である。

 ティエユにある優喜の研究所には魔龍の素材はまだまだ大量に残っているが、今後の入手可能性はほぼゼロであり、その希少性はとても高い。

 根がケチな優喜としては、使い捨てるような実験では、とてもではないが使用する気にならないようで、このように棚ボタ的に素材が入手できるのは、とてもとても嬉しいようだ。


 魔物の相手をしてはいたものの、予め宣言していたように、四時間程度でティエユの町に着いた。

 南門から入ってそのまま中央通りを進みティエユ本宅に着くと、トラックは地下駐車場へと入っていく。

 王都から着た魔導士や騎士は、街並みの異様さに驚き、開いた目と口が塞がらない。

 彼らは先刻からあうあうと言葉にならない声を出すばかりで、もはや「なんだあれは」とすら言えていない。


 ティエユの町が異質なのは、コンクリート製のビルが立ち並んでいると言うだけではない。

 道路は石畳できれいに舗装されているだけは無く、白線が引かれ、交差点には横断歩道さえ綺麗に描かれている。

 歩道との境にはガードレールまで作られており、その歩道側には花壇が整備されつつある。

 その光景に、もはや異世界ファンタジーの様相は全くと言っていいほど無い。信号機や街灯が無いことが現代の地球ではないことを物語っているが、それも近い将来には作られそうだ。

 そして、止めが優喜邸である。

 空気の循環を考慮して設計されたビルは地下でも空気が淀まず、雨水の排水設備も整っているため、少々の雨で水没することは無い。

 極めつけは、上階への移動にエレベーターが使用されるのだ。

 ただし、ドアの開閉は手動だし、上下の移動もボタンを押している間だけという原始的なものだ。さすがにコンピューター制御のエレベーターはまだまだ作れない。


 地下駐車場からエレベーターで三階の応接室へと魔導士たちを案内する。

 しかし、彼らは何が起きたのかが理解できていない。

 小部屋に詰め込まれたと思ったら、何やら変に揺れて、再びドアが明けられたら外の景色が変わっているのだ。驚かないはずが無い。


 応接室はスプリングの効いた一人掛けソファーが幾つも並び、ゆっくりと寛ぐこともできる。

 優喜はお茶を用意させ、魔導士達に良く休むようにいって部屋を出て行った。

 休憩してもらう間にも、優喜がすることはイッパイ有る。


 無線機を作らねばならないし、魔力を貯め込んだ魔石は多くあった方が良い。

 それらを作るための道具や材料、作り方を整理し、初心者でも作業ができるようにしていく。

 一時間ほどしてすべての準備が整うと、優喜は魔導士達を呼びに行った。


 魔導士達に与えられた仕事は魔石作りだ。

 魔力釜に魔龍の鱗を一つ入れ、そこに調合済み魔法薬を加えつつ、魔力を込めながらかき混ぜ棒でひたすらかき混ぜるだけだ。

 魔力さえあれば誰でもできる仕事である。

 無線機を作るのに二日は掛かるので、魔力が空になるまでその作業をするように魔導士達に言い渡す。

 優喜は結構人使いが荒い。

 荒いと言うか、人の気持ちをあまり考えない。

 一部の人には酷く文句を言われるのだが、優喜は何故文句を言われるのかを理解していないようだ。


 その辺りは優喜の感性に問題がある。

 優喜にとって、辛いとか、苦しいとかは『命に関わること』を指すのだそうだ。ぶっ倒れるほど消耗していても、命に関わる事でないのならばそれは別に辛くも苦しくもないと言う。

「ご飯食べて一晩寝れば回復するのに、一体全体、何が辛いと言うのですか?」

 そんなことを本気で言うのだ。

 そして、芳香は本気でそれに同意するのだ。

 彼らにとって、『一生懸命真面目に全力で頑張る』ことは当たり前のことらしい。一日中、朝から晩までそれをするのが普通らしい。

 そこらのブラック企業の社長も顔負けの鬼である。

 そして実際に優喜自身も、魔石の作り方を知ってからは毎日、寝る前に力尽きる寸前まで全魔力を注ぎこんでいる。

 ただし、流産の危険があるとして、芳香には余力を残すように言ってある。


 尚、騎士と近衛兵にはやる事が全くない。

 あまりにも暇だと言うことで、翌日から、森探索チームに同行することになった。


 そして三日後、三つの無線機が完成し、優喜は魔導士たちを連れて北の戦場へと向かって言った。

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