1-05 こんなはずではなかった
転送から五日後。稲峰高校一年五組は魔法の修練に励んでいた。
しかし、魔法を発動できるものは一向に増えず、六人だけである。残り三十四人は最低レベルの魔法の行使さえできていない。魔力があり、各属性への適性があるのに、魔法を使えないのだ。
「努力もせずに使えるようになるほど簡単なものではない。ただそれだけのことでしょう。異世界舐めすぎではありませんか?」
夢も希望も無いことを言う碓氷優喜。っていうか、それ今、俺に向かって言わなかったか?
そして、優喜は魔法ではなく、明かりを灯したり、火花を放ったりと魔術の修練をしている。
初日に魔法発動に成功した理恵も魔術の修練だ。こちらは魔法陣を書く練習をしている。火と風の初級魔法を完璧に発動できるようになった彼女は、次の段階に進んでいた。
その他の連中は、ひたすら魔法陣と格闘している。発動に成功した者も、何回かに一回上手く行くことがある、という程度であり、魔法を使って戦えるレベルには程遠い。
唯一、百パーセントの発動率を誇っているのが寺島理恵だ。
複数の属性に適性を持っていることが分かり、期待を寄せていた国の上層部も落胆を隠せない。判定は既に出ている。彼らはハズレだ。そしてそれは優喜にも伝えられている。
優喜は、今自分たちにできることとして、野村千鶴(のむら ちづる)とともに異世界料理のレシピを教えていた。使用できる食材が少ないため、現代日本の料理は殆ど再現できずに千鶴は苦労していたが、ポテトチップスや漬物は好評を博し、優喜との合作、あんかけ焼そばは絶賛されることとなった。
小麦粉を捏ねて、玉子をツナギにして麺を作り、燻製肉と干し野菜のスープにジャガイモを絞った汁を加えてあんを作る。見たことも無い料理に、王族たちは大喜びだった。味付けは普段の料理と大差ないはずなのだが、見た目と食感というのは大きいのだろう。
さらに、パン生地を伸ばしてみじん切りの肉・野菜を包んで蒸したもの、つまり、肉まんは特に子供たちに人気が出た。
しかし、彼らの作った料理は、彼ら自身の食事には反映されない。昼食は相変わらずイモである。おそらく、夕食もだ。心なしか、肉の比率が減っているようである。
午後は槍と斧の訓練である。
重いし痛いしで、一部の好戦的な男子以外には不人気である武術訓練は、二回目で既に身が入らない者が多い。
「やってられっかよ!」
西村力也が叫び、槍を投げ捨てる。
「おお、まさに投げやりな態度ですね! 私、そんな冗談みたいなの初めて見ましたよ!」
酷い嫌味に周囲から笑いが漏れる。力也は優喜を睨みつけるが、槍を持つ優喜にはそれ以上何もできない。理由は単純、力也の実力では優喜の足下に及ばない。
反対に、熱心に槍を振っている者が一人。伊藤芳香だ。彼女は、昨日優喜と模擬戦を行ってボロ負けしていた。剣の腕に自信ありと言うことだったが、優喜は一度たりとも彼女を剣の間合いにまで踏み込ませなかった。結果、芳香はほぼ一方的に三連敗を喫することになったのだ。
「腕の差と言うより、これは得物の差ですよ。歴史上、戦場で武勇を立てている剣士なんて殆どいないのですよ。みんな槍使いです。」
悔し涙を流す芳香に、酷い物言いをするものだ。
「私はたちはこれから戦争に巻き込まれることになるでしょう。それは一対一のプライドを賭けた決闘などではありませんよ。綺麗も汚いも無い殺し合いです。伊藤さんはプライド以外に背負うものは無いのですか?」
そんな優喜の言葉に、芳香は結局プライドを棄てることにしたようだ。
騎士曰く、芳香は剣の腕は上級レベルであるらしい。タイミングや間合いを計る能力などはそのままほぼ転用できるようで、腕力も十分にあるため、槍の取り扱い方を覚えたらその時点で中級レベルになるだろうと言う評である。
ここでの修練は今日が最後である。受けられる指導は、可能な限り受けておこうというのであろう。いや、不安を忘れるために必死に体を動かしているのかもしれない。
今朝、食事後すぐに呼び出しがかかり、優喜は、芳香、理恵、拓海、そして山口茜(やまぐち あかね)を伴って宰相と最後の話に臨むことにした。
「私たちはお払い箱です。ただし、伊藤さん、寺島さん、山口さん、お三方は既に及第点をクリアしていますので、ここに残ることができます。交渉の余地は、あなたたち三人が国王に忠誠を誓うことで不合格からも何名かを残す、と言う程度ですね。」
応接室に向かう途中で優喜が話の方針を説明する。
「何名かって、どれくらい?」
理恵は、強張った表情で訊く。
「二人か三人ですね。多くて四人。頑張りに頑張って五人。そこまで期待しない方が良いですね。申し訳ないですが、今すぐ決めて頂けませんか? ここに残るのか、出て行くのかを。」
「急に言われても……」
茜は泣きそうな表情で俯く。
「すみません、私もここまで少ないとは思わなかったんですよ。とりあえず、自分の都合だけで考えてください。進学先や就職先の選択と同じですよ。大学受験で『友達が第一志望に落ちているから、合格したけど自分も諦めておく』なんて莫迦げたことを言うつもりも無いでしょう? 他の人たちが不合格なのはあなたたちの責任ではありません。努力が足りなかった人が悪いのです。合格した人が気に病む必要など有りません。」
優喜が他人の気持ちを考えない理由はそれか。
「不合格者の俺たちは浪人になるのか。」
「上手いことを言いますねえ。」
浪人。すなわち、当ても無く流浪する者。王宮から放り出されたらそのような立場になるであろう。その拓海の呟きに、優喜と二人で笑う。合格者三人は笑えない。沈黙する三人に優喜は言う。
「決断は突如迫られるものです。その覚悟を決めるよう言っておくべきでしたかね。人生を左右する重大な決断は今後もありますよ。」
「覚悟?」
「いわゆる究極の選択ってやつですよ。例えば、子供百人の命を生贄にすれば日本に帰れるとしたら、どうします?」
「そんなこと……」
「伊藤さんは真面目ですねえ。今はそんなことを深く考えなくて良いんですよ。もしかしたらそんな事態もあるかも知れないってだけの話です。でも、もしかしたら、簡単に帰れる方法があるかも知れない。だから、分かりもしないことで悩むのは無駄です。今、そんなことで神経すり減らしても意味がありません。必要なのは、判断を迫られたときに決断するのだと覚悟を決めておくことです。」
芳香は答えられない。理恵、茜、そして拓海も黙って俯くままだ。
沈黙を破ったのは案内役の職員。
「国王陛下でございます。」
見ると、廊下の向こうから豪奢な服を着た男が複数の従者を連れて歩いてくる。
優喜達は廊下の端に寄り、膝を付き頭を下げる。
しかし、国王は優喜達の手前の部屋に入り、従者が一人近づいてきた。
「救世主候補の方々ですね。国王陛下が直接お話をされたいとのことで、お部屋でお待ちです。」
「こ、国王陛下も同席って、そんな話聞いてないですよ!」
さすがの優喜も慌てている。制服のネクタイを締め直し、服を見直すと、他の四人もそれに倣う。
「でで、でゎっ、よろしいですか?」
職員も緊張しているようだ。
ノックし誰何に職員が応えると、扉が開けられた。中にいるのは国王、王太子、宰相、さらに大臣と思しき十人の男女。
「お連れしました。」
そういう職員の声は上ずっている。
「掛けてくれ。」
宰相が着席を促し、優喜達五人はそれに従う。
「挨拶が遅れたな。国王のブチグォロス・ウォルフリク・ハラヘ・イリーシア・ウールノリアだ。」
「碓氷優喜です。こちらこそ挨拶も無く、申し訳ありません。」
返事がワンテンポ遅れている。想定外の国王、いや、首脳陣全員との面会に、いつもの余裕は全くない。
優喜が肘でつつき、慌てて芳香が頭を下げる。
「伊藤芳香です。この度はご厚情いただきありがとうございます。」
「あああありがとうございます!」
理恵、茜、拓海が慌てて頭を下げる。
「そう固くならなくとも良い。」
極悪そうな名前の国王、ブチグォロスは穏やかに言う。だが、醸し出す威圧感は半端ではない。とにかく何より、ブチ殺ス王って名前が怖すぎだ。
「お前たちの料理だが、もっと他にないのか?」
ブチ殺ス王が大臣の挨拶など無視して切り出す。
「色々知ってはいるのですが、こちらでは材料が手に入らないようでして。私たちの国の料理は海の物が多く、香辛料も色々と使うのです。」
優喜の言葉に、王が目を剥く。
「海か。それに香辛料とな。」
「どちらも手に入り難いとのことで、お力になれず申し訳ありません。」
王が食い下がろうとするが、優喜にはどうすることもできないだろう。
「香辛料の栽培に関して良い知恵は無いものか?」
「それはもう、私に国に帰るなと言うことでしょうか? 畑の調査からはじめて、種や苗を取り寄せて、成果が出るまで最低でロナ年くらいは考えてもらわないと無理ですよ。」
「そんなに?」
「種を植えて、その年に収穫などできません。小麦とは違うんです。最初の収穫は種を植えてからギム年以降です。しかも上手く行って、ですよ。農業にこうすれば大丈夫なんて方法はありませんから、色々試すしか無いのですよ。」
がっくりと肩を落とす国王。王太子も項垂れてブツブツ言っている。
「国王陛下がどんな命令を出されようが、植えた種が実を結ぶまで何年かは確実にかかります。クローブとか確かワナ年とか聞いたことが……」
宰相まであんぐりとしている。この人たちは農業を全く知らないのだろう。
「そもそも、この辺りの気候ではどうしても育たないとか、実を結ばないとかあるかも知れないですし……」
宰相以下、大臣たちまで力なく項垂れる。この人たちは一体何を期待していたのだろう。
「本題に入ってよろしいですかな?」
ビビリ近衛隊長が重い空気を破って発言する。
王太子が一瞬物凄い目で近衛隊長を睨むが、国王は話を促した。
「残念ながら、救世主として期待できるほどの力は無い、と判断した。ただし、イトウ殿は騎士として、テラシマ殿、ヤマグチ殿は魔導士として迎えることは検討している。三人とも未熟ではあるが、年齢を考えると十分成長の余地はあろう。」
騎士団長のオルディス、魔導士団長のメケシールは首肯し、芳香、理恵、茜は互いに顔を見合わせる。
「その話ですが、辞退させていただくことはできるでしょうか。」
「なんだと?」
芳香が問いに、国王から大臣まで驚きの声を上げる。このような国で騎士に取り立てられるのは、夢の花道のようなものであるはずだ。それを自ら蹴ると言うのは想定していなかったのだろう。
「本当に、それで良いのですか?」
「私の目標は、みんなと一緒に日本に帰ること。騎士になることじゃない。」
優喜の問いに、決意をもって答える芳香。
続いて、理恵と茜も魔導士団入団を辞退した。
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