桜の木の下で

桜の木の下で

 小さいころ、祖母に聞いた桜の話とあの日の出来事が今も忘れられないでいる。


 僕が5歳のころ、祖母の家の庭には大きな桜の木があった。祖母の家は僕の家から近かったから、両親が仕事の時やなにか用がある時はいつも祖母の家に預けられていた。

 祖母は、昔から不思議な話が大好きだった。今にして思えば、それは祖母が僕を飽きさせないために考えてくれた話だったのかもしれない。祖母の家は古く、テレビもなく、僕が遊ぶには庭で虫を探すか、かくれんぼをするか、お絵かきや工作するしかなかった。たぶん祖母は僕にはそれだけではつまらないだろうと思ったのだと思う。

 あれは冬の終わり、まだ幼稚園があったから、2月ぐらいだと思う。なんだかすごくあたたかい毎日で、僕はしょっちゅう上着を幼稚園に忘れて毎日のように母に怒られたからよく覚えている。

ある日、いつものように祖母の家に預けられた。まだ朝だったから、土曜日か日曜日だと思う。祖母の家の桜が満開だった。まだ2月だったし、町の他の桜は1本も咲いていなかった。5歳の僕だって、桜は春に咲くって知っていたからそれが不思議だった。まるで魔法のように思えたし、桜の木からひらひらと花弁が降ってくる中に立っているのは、夢の中にいるみたいで、長いことぼんやりと桜を見上げて立ち尽くしていた。

「おばあちゃん、どうして桜が咲いているの? おばあちゃんちだけ春が来たの?」

「あのね、この桜の木の下にはね、神様が眠っていて、その神様がたまに、神様の見えない人たちにも自分がいるんだぞってわからせるためにこうやって花を咲かせてるんだよ」

 祖母は何かというと神様を引き合いに出した。悪いことをすれば、神様が見ていると叱り、良いことをすれば神様がいつかご褒美をくれるとほめてくれた。物を粗末にすれば、その物に宿っていた神様に失礼だとたしなめられ、長く使っている物には神様が宿るんだよ、と古い家財道具を本当に大切に手入れしていた。

 そんな祖母が言うから、作り話には思えなかった。祖母はこの桜のおかげで本当に神様がいると知っているから、普段から神様についてよく考えているんだなと納得さえした。でも、もし本当にそんな理由でこの桜が咲いたなら、それは少しかわいそうに思えた。

 土の中では友達と話すのだって大変そうだし、ずっと寒そうだ。

 だから、僕は神様を大切にする祖母の目を盗んで、その日、桜の木の根元を掘った。

 もし本当に神様が眠っているなら、桜を咲かせなくても忘れられないように、外に出してあげたかった。でも、本当は祖母の話が嘘だといいな、と思っていた。そんな悲しい神様は嫌だった。もし本当に忘れないで、と咲いているのだとしたら、時々両親に会いたくてたまらない気持ちに襲われたときに、桜の木が見守るように生えている祖母の家では我慢できずに泣いてしまいそうな気がした。寂しがりの神様が桜を咲かせる家で、僕は寂しい気持ちを我慢できそうにない。祖母や両親に嫌われることが何よりも怖かったから、僕は祖母に預けられるときは絶対に泣かないと決めていた。だって、もしも泣いて困らせたら、嫌われてしまうかもしれない。家が近くだとしても、両親は僕を面倒くさく思って迎えに来なくなるかもしれない。


 僕は、本当に本当に真剣に掘った。お昼ご飯の匂いがし始めたら、祖母にばれないように掘るのをやめて、靴と服の土を払って家の中で絵を描いていたふりをした。食事が終わって祖母が掃除に取り掛かるのを確認して、僕はまた桜の木のもとに戻って、さらに掘り進めた。たぶん太ももぐらいまでの深さの穴を僕は掘ったと思う。掘っても何も出てこないことに僕はほっとしていた。本当に心底安堵していた。そろそろやめようかな、と考えていた時に聞きなれない女の子の声がした。

 細くて消えちゃいそうな声だった。

「何を探しているの?」

 顔を上げて、僕は泣きたくなった。そこに神様がいた。

 その女の子は、真っ白で透けそうな肌をしていて、風で飛んじゃいそうな頼りない雰囲気だった。僕はそんな人間を知らなかったから、これが神様なんだと確信した。

 神様は真っ白の顔でやさしそうに微笑んだ。桜の似合う春の日向みたいな笑顔だったから、僕はこの桜の神様に違いないと思った。

「神様を探して掘ってたの」

「そっか」

「さびしかったから、きれいな桜を咲かせたって本当?」

 神様は不思議な顔をして首を傾げたけど、またふわっと微笑んでそうかもしれないね、と小さい声で言った。

「きれいだよね、この桜。君もそう思う?」

 僕には寂しそうにしか見えなかったけれど、神様が泣いちゃうかもしれないと思って口には出さなかった。代わりに、力いっぱいうなずきながらそっと土を戻した。なんだか、神様をまっすぐ見つめていちゃいけない気がした。どきどきしたし、見ているそばから消えてしまいそうだった。だからもう土の中に戻らないようにせっせと穴を埋めながら、思いつく限りいろいろな話をした。お母さんとお父さんが忙しいこと。おばあちゃんはいつもやさしいこと。もうすぐ年長になること。それから縄跳びが飛べるようになったことや、お母さんが悲しむからブロッコリーを残さないようにしているけど本当は嫌いなこと。話の合間で神様をそっと盗み見たけれど、神様は時々うなずきながら僕を見たり、桜を見上げたりしていた。時々風が強く吹いて、神様のスカートが揺れて桜がいっぱい散ると僕はなんだか不安になった。

 穴を埋めて、ついに話すこともなくなって神様のことをもう一度聞いてみた。

「ねぇ、さびしいの?」

「私のこと? そうだね、今は君がいっぱいお話ししてくれたし、きれいな桜も見ることができたから寂しくないよ」

「明日もさびしくない?」

「うん、ずっと眠っていなきゃいけないから何年も桜をみることも家族以外と話すこともなかった。けど、こんな桜も見れて、やさしい男の子と話すことができて、またすぐ戻らなきゃいけないけどしばらく幸せだと思う」

 僕が神様を見ると、神様はきらきらとした笑顔をしていた。僕は恥ずかしくなって目をそらした。

「おうたぁ? 誰かお友達でもきたのかぁ?」

 家の奥から力強いおばあちゃんの声がした。おばあちゃんがこっちに歩いてきているみたいだ。

「あ、おばあちゃん。桜の木の神様が」

 そう言って顔を上げると、もうそこに神様はいなかった。


 僕は神様が土の中に戻っちゃったのかと思って、おばあちゃんの家に行くたびに、桜の木の周りの土を何度か掘ってみた。でも神様はその後、一度も現れなかった。


 大人になって、今も桜の木を見ると神様のことを思い出す。本当は神様じゃなくて、近くに住む病弱な女の子だったのではと、思うようになった。透けるような肌は、青くみえるほどだったし、小さな声はそっと話していたのだと今ならわかる。たぶん時期外れの桜に誘われて、庭先に入り込んできたのだろう。

 それでも、僕の中ではやっぱりあの女の子はきれいで儚い、桜の神様だ。


 そしてたぶん、これは僕の初恋の思い出。

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桜の木の下で @akira06

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