第75話望郷の思いと、他愛のない約束。
幼い頃の夢を見た。
今までは、寂しさを感じても、夢にまで見るという事はなかったのだが。……故郷の安倍野を離れ、幾星霜。私にも望郷の念が出たのかもしれない。
「母様、どうして姿を見せてくれないのですか」
夢の中。はっきりと夢だと認識できる。
私と母様の間には、大きな壁によって隔たりが出来てしまっている為に、母様の姿は見えない。
しかし、息遣いと衣擦れの音により、確実に壁の向こうに居る事が分かる。
私は母様の姿を一目でも見たくて泣きじゃくる。
「童子丸。……ごめんなさい。貴方達の姿を一目でも見てしまえば、私は……私は」
──貴方達を喰ってしまうかもしれない。
そこで夢は途切れてしまった。
目を覚ませば、いつもの賀茂忠行様の邸宅の一室。
雑多で手狭な一室であるが。……今回は、雉をご馳走していただいた源満仲殿が寝ている為に、さらに狭い気がする。
高貴な血筋の方であるにもかかわらず、色々と頓着の無い。……変な人である。
身支度を整えながら考えるのは母様の事である。
覚えている母様の顔は、優しく微笑む顔ばかりであったのに。……何故、そう言い放ったのか。
父様は何故かを知っている筈なのに何も言ってくれない、教えてくれない。
ただ、「賀茂忠行様に教えを請い、大成なさい。それが母様の望みであり。……母様が、童子丸の為だけに拓いた道だ」と繰り返し言うだけであった。
その時の父様の悲しみを一切見せない素振りに憎悪し、少々荒れた。……が、分別をわきまえた今なら分かる。
父様も悲しかったのだ。母様を追いかけ、その隣にいつまでも居たかった筈だ。──だが、私の存在があった。母様に託された。
だからこそ、ぐっと自らの悲しみと意思を飲み込み、耐えたのであろう。
……私はそこまで心強くあれるだろうか。
何にせよ。お師匠様の元で陰陽のいろはを学び、この特異な体質を御する術も教えていただいた。
「筋がええねぇ。晴明くんならすぐにでも大成できるんやないかな。……知らんけど」
と、あっけらかんに笑いながら、他愛無い悪戯を仕掛けてくる、お師匠様だが。……私がお師匠様を超えれる日が来るのかも甚だ疑問だ。
心も、技術も、身体も、何もかもが足りない気がする。
「精進精進、日々研鑽と。……」
そういえば昨日、久方ぶりに父様と話していた時に、ふと言いづらそうにしながらも語ってくれた事があった。
あの日、母様が去ったあとには一首残されていたと。
「恋しくば、尋ね来て見よ、和泉なる、信太の森の、うらみ葛の葉。……か」
夢を見た原因はこれだな。
「よい歌じゃないか。……であるが、哀しい歌だな。そのうちにでも里帰りしてみたら良いじゃないか」
目を覚ます事がないと思っていた満仲殿が、大欠伸をしながら身体を起こしていた。
「起きていたのですか。……誰も故郷が恋しいなんて言ってませんよ。何より忙しいですし」
この御方は、幾らか行動を共にしていてわかった事がある。
その一つが、一を聞き、十を理解するようなところ。──非常に鋭い。
「占ってくれる約束をしただろう? 霊験あらたかな場で占うとか、適当に
──なるほど。名案である。多分、きっと。全てが無事に終われば。
「確かに、そうすれば角が立たずに丸く収まりそうですね。……いつの日か、そうしましょう」
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