第61話決意を胸に

 たいらの将門まさかどが在京する事になり、二ヶ月が経とうとしていた。

 雪雲が空にこびりつき、しんしんと雪を降らせ、花城はなしろを白く染め上げていた。

 宮中きゅうちゅうでは寒い中、年末年始の行事の為に上も下も人が彼方あちら此方こちらへと走り回り、忙しくしている。


 当の将門は藤原ふじわらの忠平ただひらより頼まれ、居館の門前で人を待っていた。

 どれほどの時を腕を組みながら、じっと過ごしていたのか。……肩や頭には雪が積もり、冬場の畑のカカシのようになっていた。

 その将門の表情は、忠平の言葉を何度も脳内で反芻はんすうしているのか、どこか上の空であった。

 

 そうこうしている内に人影が近づいてくる。

 その男の風貌ふうぼう検非違使けびいし放免ほうめんと、よく似通っていた。

 ぼさぼさの傷んだ髪に髭面ひげづら、ぎらついた目。そして何より、肩をそびやかして大威張りで歩く様が彼らと同類である。と……将門は察知した。


 男は大欠伸おおあくびをしてから、将門の近くに寄ってくる。


其処そこ偉丈夫いじょうふさんよ、ここが藤原忠平様の居館で間違いないか?」


 下卑げびた笑いをしながら将門に話しかける男。

 将門はゆっくりと動くと降り積もった雪が、はらりと山茶花さざんかの花弁のように落ちる。


如何いかにも。……しかし、用があるなら、ずは名乗るのが道理どおりではないか?」


 将門は一歩引くどころか、悪党面の男の前に一歩でる。二人の間に緊迫した空気が漂う。

 そして空気を読まずに、杖を突きながら二人の横を通り抜けようとする、ほっかむりをした老人。


「ごめんなすって、通らして貰いますよ」


 そう老人は口にしながら歩く。将門の横に差し掛かった瞬間。

 老人が杖の柄の部分を右手で、支柱の部分を左手で持ち、抜刀するように支柱を引き抜く。――中から白刃しらはが煌き出る。


「死ね! まさか――」


 そこまで口にした老人の顔面に、悪党面の男より、振り下ろし気味の右拳が叩き込まれる。

 仕込刀の杖を振るう暇も、うめき声を上げる暇も無く地面に突っ伏す老人。

 悪党面の男は獰猛どうもうな笑みを浮かべる。


「それもそうだな! 伊予いよ藤原ふじわらの純友すみともという者だ。藤原忠平様に呼ばれて来た。――で、殴ってしまったが、この爺は知り合いか?」


 純友は動かない老人の首根っこを掴み上げながら、また笑う。

 将門はしゃがみ込み老人の顔を見るが、へしゃげており、心当たりがなかったのか首を傾げる。


「うむ。知らん顔だな」


 将門は立ち上がり、純友の顔を見る。


「平将門という者だ。――忠平様は中で、お待ちだ。この者は責任を持って検非違使庁に突き出しておこう」


 二人は軽く笑いあう。


「では、またな平将門」


「そちらこそ息災で、藤原純友」


 軽い挨拶を交わした二人。――純友は笑いながら居館に入っていく。


「あれが都で噂の平将門か。……良い面構えの男じゃねぇか。えんがあったら、また会いてえな」


 門を通り、居館内を進みながら純友は独り言つ。


 一方の将門は老人を米俵の様に担ぎながら、検非違使庁へと向かう。


「うむ。藤原純友といったか、あの男。中々、良い腕っぷしであったな。何処かでまた会うかもしれん」


 将門も笑みをこぼしながら独り言つ。


 この後、将門に検非違使庁に突き出された老人。……素性すじょうは源護本人であった。

 みなもとのまもるはこの後、再起をする事なく表舞台から退場する。





 藤原純友と藤原忠平は座り、顔を突き合わせていた。


「純友よ、息災で何よりだ」


「はっ。しかし、海の上に居る方が長いせいかおかいが酷いですな」


 頬を掻きながら笑う純友。

 その姿を見ながら笑みを浮かべる忠平。


きの淑人よしととの連携による、海賊の追捕ついぶ。実に大儀であった。……官位を用意している故、こっちに戻ってこんか?」


 忠平の言に、純友は渋い顔をする。


「忠平様、官位よりも。……海賊の彼ら達を、また朝廷などで雇っていただきたいのです。……今は百姓の真似事をやらせていますが、何処かで限界が来て、また食い詰める羽目になり海賊に逆戻りかと」


 たどたどしく考えながら言葉を発する純友。

 忠平は苦々しい顔をする。


「そうしてやりたいのは山々なのだが。……朝廷へ納められる税が年々と減ってきておる。今のままでは彼らを雇い入れる余裕が無いのだ、分かってくれ」


 その言い分に対して、純友は少し語気を荒げる。


「何故です? 我々や市井いちいの者は、しかと税を納めている。なのに何故、朝廷の余裕が。……」


 忠平は溜息を吐きながら、立ち上がる。


「帝の御威光ごいこうないがしろにする不届き者が、私腹を肥やしている。……そういう事であろうな」


 忠平から聞きたくもない言葉が発せられ、純友は唇を噛みながら拳を震わせる。


「純友よ。お前は武勇に優れ、人当たりも良い、海賊となってしまった者達が暴走しないように手綱を握っておいてくれ。――多少。多少だぞ? 不正に私腹を肥やしている悪人を仕置きしても構わん」


 忠平の言葉に対して、純友は義侠心によるものか。……漁火いさりびのようなほのおが、その瞳に灯る。





 誰も居なくなり、灯りが揺れる部屋の中で藤原忠平は独り、碁盤を見つめる。――黒い碁石で形作られた日ノ本。

 白い碁石が坂東ばんとうの地と都、そして西の地に置かれている。


「東の地はたいらの将門まさかど。中央はみなもとの満仲みつなか。西は藤原ふじわらの純友すみとも。……武勇に優れた三人の武士もののふが奮起してくれれば、帝が視た大乱は未然に防げるであろう」


 忠平は目を瞑り、深呼吸をする。


「頼んだぞ。三人とも」


 忠平が心に宿すのは不退転の決意。

 激動の一年が終わろうとしていた。





 都は大晦日おおみそかとなり、行事がしめやかに行われていた。

 風が少々強く吹き、雪雲が陽の光を遮り、粉雪が降り注ぐ中。

 大臣以下、百官が朱雀すざく門前の広場に集まり、帝の大祓詞おおはらえのことば奏上そうじょう静聴せいちょうする。


高天原たかあまのはら神留坐かむづまります。

皇親すめらがむつ神漏岐かむろぎ神漏美かむろみみこともちて。

八百万やほよろづ神等かみたちを、かむつどへ集賜つどへたまひ、かむはかり議賜はかりたまひて」


 風の音が鳴り止み、ゆったりとした柔風が百官の頬を撫でる。


あが皇孫尊すめみまのみことは、豊葦原とよあしはら水穂みずほくに安国やすくにたひらけく所知食しろしめせ事依ことよさたてまつりき。

如此かくよさたてまつり国中くぬち荒振あらぶる神達かみたちをば」


 帝の白い束帯が風で揺れる。


かむとはしに問賜とはしたまひ、かむはらひ掃賜はらひたまひて語問こととひ磐根いはねきね立草たちくさ垣葉かきはをも語止ことやめて。

あめ磐座いはくらはなち、あめ八重雲やへぐも伊豆いづ千別ちわき千別ちわきて。

天降あまくだしよさまつり如此かくよさまつり四方よも国中くになかと」


 俄かに風が止む。


大倭おほやまと日高見ひたかみくに安国やすくに定奉さだめまつりて、下津したつ磐根いはね宮柱みやはしら太敷立ふとしきたて、高天原たかあまのはら千木ちぎ高知たかしりて。

皇孫尊すめみまのみこと美頭みづ御舎みあらか仕奉つかへまつりて、あめ御蔭みかげ御蔭みかげ隠坐かくりまして、安国やすくにたひらけく所知食しろしめさ国中くぬち成出なりいでむ」


 降り注いでいた雪が小雨に変わり始める。


あめ益人等ますひとらが、あやまちおかしけむ雑々くさぐさ罪事つみごと天津罪あまつつみとは。

畦放あはなち溝埋みぞうめ樋放ひはなち頻蒔しきまき串刺くしさし生剥いけはぎ逆剥さかはぎ屎戸くそへ許々太久ここたくつみ天津罪あまつつみ宣別のりわけて。

国津罪くにつつみとは、生膚断いきはだだち死膚断しにはだだち白人しらひと胡久美こくみおのははをかせるつみおのをかせるつみ

はは犯罪をかせるつみはは犯罪をかせるつみ

畜犯罪けものをかせるつみ昆虫はふむしわざはひ高津神たかつかみわざはひ高津鳥たかつとりわざはひ畜仆けものたふ蟲物為罪まじものせるつみ許々太久ここたくつみでむ」


 罪を洗い流す様に、都の上にだけ小雨が降り注ぐ。


如此かくいでば、天津宮事あまつみやごともちて。

天津金木あまつかなぎもと打切うちきりすえ打断うちたちて、千座ちくら置座おきくら置足おきたらはして。

天津菅曾あまつすがそもと苅断かりたちすえ苅切かりきりて。

八針やはり取辟とりさき天津祝詞あまつのりと太祝詞事ふとのりとごとれ」


 徐々に雨が止み、雲の隙間から陽が差しはじめる。


如此かくのら天津神あまつかみあめ磐門いはと押開おしひらきて。

あめ八重雲やへぐも伊頭いづ千別ちわき千別ちわき所聞食きこしめさむ。

国津神くにつかみ高山たかやますえ短山ひきやますえ登坐のぼりましして。

高山たかやま伊穂理いほり短山ひきやま伊穂理いほり撥別かきわけ所聞食きこしめさむ。

如此かく所聞食きこしめしては、つみいふつみ不在あらじと、科戸しなどかぜあめ八重雲やへぐも吹放ふきはなつことごとく」


 帝の言の葉に合わせて、雲が退き、輝く太陽が子らを祝福するように顔を覗かせる。


あした御霧みきりゆふべ御霧みきり朝風あさかぜ夕風ゆふかぜ吹掃事ふきはなつことごとく。

大津辺おほつべ大船おほふね解放ときはなちとも解放ときはなち大海原おほわだのはら押放おしはなつことごとく。

彼方をちかた繁木しげきもと焼鎌やきがま敏鎌とがま打掃うちはらふことごとく。

のこつみ不在あらじと。

祓賜はらひたまひ、清賜きよめたまふことを。

高山たかやますえ短山ひきやますえより、佐久那太理さくなだりおちたき速川はやかわ瀬織津比咩せおりつひめいふかみ大海原おほわだのはら持出もちいでなむ」


 大内裏の外では民が空を見上げ、手を合わせはじめる。


如此かく持出もちいでいなば、荒塩あらしほしほ八百道やほぢ八塩道やしほぢしほ八百会やほあひす、速開都比咩はやあきつひめいふかみ持可可呑もちかゝのみてむ。

如此かく可可呑かゝのみてば 気吹戸いぶきどす、気吹戸主いぶきどぬしいふかみ根国ねのくに底国そこのくに気吹放いぶきはなちてむ如此かく気吹放いぶきはなちてば。

根国ねのくに底国そこのくにす、速佐須良比咩はやさすらひめいふかみ持佐須良比もちさすらひうしなひてむ如此かくうしなひてば」


 都の北の上空に虹の架け橋が架かる。


今日けふよりはじめつみいふつみ不在あらじと。

祓賜はらひたま清賜きよめたまふことを。

天津神あまつかみ国津神くにつかみ八百万やほよろづの神等かみたちともに。

所聞食きこしめせまをす」


 船岡山から一陣の風が、虹の合間を抜け、都の悪いものを掬っていくように、羅生門へと向けて吹き抜ける。


 帝による大祓詞が終了し、帝が下がっていくのを確認した、藤原忠平は厳しい顔をしながら口を開ける。


「では、これより追儺を行う!」

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